短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東京日記17

私は今年三十六になるので卑しいといえば卑しいのかもしれない、三十になるかならまいかの頃に、三十になったら二度とやらまいと意を決していたキセルをまたしてもやらかし、東海道を横断して京都に来た。所要時間はおおよそ九時間。熱海、浜松、大垣、米原を当地に降りることなく中継する、苦行に近い行為に違いないが、ともすれば軽犯罪に当たるわけだから考えようによっては割に合わない、リスクに対して価値がないと思う人が大抵、尻も痛くなるし暇すぎて辛いだろうけども、私にとっては、ぼんやり移動が出来て旅費も浮く、時間で金を買うような塩梅なので丁度いい、モルヒネ等がなくてもどこでも寝落ちができるし、とも思っているが、みだりに行使するわけではなくてよっぽどの時、たまたま古都京都は祭りの真っ最中、バス賃が約四倍に跳ね上がるし、新幹線はそもそも乗らない、もともとが高過ぎるし移動時間がやや早すぎる、痩せ我慢もあるが、時間が勿体ないの逆である、乗客にご当地感もなければ情緒もない、余韻もくそもない有償のスピード移動に脳が付いて行かないのだ。

私感として、脳を東京に置き去りにしたまま身体だけ京都に連れ去る行為に違和感を感じざるを得ないし、そうでなくても度重なる移動で脳はどこか知らない場所に追いやられているから、ユニバーサルな捉え方によっては魂か、アマゾンの限界集落土人だったら気が狂っていただろう。土人を差別するわけではなくて、むしろ親近の情が強い。キャッシュもキャッシュレスも投資信託もFXも仮想通貨もまるで理解できないから、大義を持たない脱藩藩士さながら、健脚だけが頼りなのは頼りなのだが、昨年末に友人達と五人で戯れに行った京都→高槻への約三十キロ徒歩企画で私は真っ先に膝が曲がらなくなり、前に付いていくのが精一杯、真っ先に泣き言を吐いて、黙々と先陣を切っていた齢五十のお兄さんに「誰も文句を言ってないんやから口を慎め!」と戒められたもの、頭の中ではなぜか、ジョンレノンのリアルラブが般若心経よろしく逡巡していた。ひたすら無意味で馬鹿げた苦行の後、ハルピンという中華料理屋において交わした紹興酒の乾杯はいかにも甘露で、その余韻が今なお離れないが、その時私はハルピンで真っ先に寝落ちた。

能書きが長いけれど、そもそもこれは意識の正当化、チキン日記レースに違いないから、とはいえ自身とチキンの雌雄を決するつばぜり合い、意味の無意味化、無意味の意味化、イミテーションラブの行使権は私にあるのだろうが、出町柳の喫茶店Gの窓の外は今とてつもない豪雨、祭りのあとに堰を切ったよう、オカルトじみた感覚ではあるにしても陰陽呪術でインバウンドを護っていたとしか思えないような、呪術都市の越権行為に無力な私はさすがに立ち往生、なにかと間が悪かったとしか思えない帰京ではあったけれど、主目的はハローワークで失業保険受給の手続きを済ますことなので、上記に輪をかけて無意味なことには違いないにしても、さっさと済まして、夜行バスで戻ります。

今しがた、先日オンラインにしたばかりに、洪水警報だか避難勧告だかのアラームが型落ちのアイホーンから鳴り出して、喫茶店Gの面々と輪唱している様。