短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

横浜ぶらぶら日記7

すぐ消えてしまうので大切なことは書かないが、好きなこと、何にせよ大切なことしか書けないので、その塩梅が難しいけれど、今日は再度、大好きな新宿駅西口の喫茶店Pに結局、また来れているので、駄文が弾みそうだ。まだけっこう空いている、昼前に訪れた(ハートランド小瓶が飲める以外は)純喫茶Pは珍しくメンズデーである。

今はシンメトリーだが(髪型)、最初に見たときはえげつないアシンメトリーだったぽっちゃりしたお兄さんがレジ。

前線のホールがガリガリで赤い髪をポニーテールにしたパンクロッカーみたいなおじさん。歩き方がコミカルなガニ股で可愛らしい。ルパンの次元をさりげなくした感じだ。歩速は常にゆっくりの一定で、早まることはない。白い半袖シャツの袖を一まくりするのが彼のスタイル。

その後衛にニューカマー、いかにも整った好青年スタイルの大学生風、人畜無害な感じだが、恐れいりま〜〜す、お水お入れしま〜〜す、お砂糖お下げしま〜〜す、という接客用語の「〜」が、いささか長すぎて甘すぎる。声だけ聞いたらかなり曲物だ。ちょっとチョケてる感じもする。芸人志望か?それともチェットベイカーか?しかも、ついうっかり、水を一口二口すするやいなや水を足しに来てくれてしまう。それはそれでありがたいが、何回もちょっとチョケてて「〜」が一本余計に長すぎる接客用語を甘い声で受けねばならず、気が抜けない。

カウンター内にはメニュー作り係が一人いるが、こちらはパキラの鉢植えが視線上にあり、はっきりと伺えないが、どうも初見ぽい。メンズである。

三か月も通わなければ、人員も入れ替わり立ち替わる。知る限り従業員の入れ替わりが少ないPでさえ、そう。人生はすなわち流動である。

それから、あらゆる飲食業界に従事する労働者は皆、マスクをしていなければならない、という不文律もさりげなく固着してしまった。むかしからの職業差別の名残というか、表れのようでなんとなく、嘆かわしいことではある。あれは耳の付け根がじわじわ痛くなって骨にくる。後に頭に来てゆくゆくは精神を蝕む。ろくなもんじゃない。いずれ早く皆んな、そのファニーフェイスを見せてほしい。

マスクにおすすめがあるとしたら、一部のキャンドゥにしか売っていない「耳ゴム革命」という製品だ。あれは製品名に違いなく画期的で、一見すると指を切ってしまいそうな樹脂製かなんかの細い紐がゴムがわりになっており、いざ嵌めてみるとみょ〜んと伸びる。熱を感知し適度に伸びるらしく、付け根への負担がびっくりするくらい少ない。ともあれ、着けている人を見たことがないし、キャンドゥでも見かけることが少なくなっているから、いずれ廃盤になることだろう。最近、引っ越した先にほど近い商店街のキャンドゥにそれを発見し人知れず安堵したものだ。しかしながら五枚で百円というコストも今の消費者にとってはぱっとしないみたいだ。いずれ廃盤になることだろう。

人生はすなわち流動である。

その後「犬としゃべる人は楽しい?」という新作の映画を新宿Pシネマで鑑賞。安堵して帰る。

 

 

 

横浜ぶらぶら日記6

死ぬかと思った。

先週の桜花賞でボロ負けしたのである。

まじで死ぬかと思った。

昨日の皐月賞でボロ負けしたのである。

桜はとうに散っていて、冷たい雨は降るわ、きつい風は吹くわで、平穏というには程遠い春であり、そもそも春はそういうものだったような気もするが、毎年毎年去年のことは忘れており、忘れたつもりでいたら思い出して、世はなべてこともなし、は嘘。逆です、な感慨がひとしお。周囲も私も目まぐるしく変わる。細胞からしてまるで別物。三歳馬は四歳馬になり、あんなに輝いていた、去年応援した皐月賞馬はどこへ行ってしまったのか。願わくば、あのテレビ観戦時空、あの鰻ざくの美味しい満員の大衆居酒屋に帰りたい。みんなどこへ行ってしまったのか。そもそも私はどこへ行ってしまったのか。

ムービング。実は先週、横浜市南区某所からまた別の横浜市南区某所に引越しました。以前から引っかかっている、何か身近なことを文章にすると消えてしまうあれこれ、誰に読ませたわけでもないのに、が今回も例によってもたらされ、居住する部屋のことを書いたら、移住が決まってしまった。いつも不思議でならないし、新居のことはまだ引越したくないので詳細は書かない。ともあれ生き死にに関わることではないし、その他だいたいのことはレベル推移で、今朝も横浜市南区で目覚め、今は目黒区のドゥーにいます。久しぶりに寄れて良かった。

ドゥーは変わらず平穏で、カウンターで七十くらいの鳥打ち帽のおっさんが、こちらに背中を向け、薄いいびきをかいている。こともなげな時間を過ごすため、月曜日からこちらに能動的に寄る人々。いつもの人、イレギュラーな人。

私はどうして、動くべき、動かすべきなにがしか、を書かねばならない。目まぐるしいマイナーチェンジを繰り返す浜崎あゆみの顔みたいな。どうかしてどうせいずれ読んじゃう村上春樹の新作みたいな。たとえば、いずれ十数分で辞去せねばならない喫茶店ドゥーについて。時間的肉体的に負荷がありすぎるバイト先の焼き鳥屋について。吹いても吹いても擦過音しか吹き出してこないトランペットのマウスピースについて。ここぞというときに動かない繋がらない型落ちのスマートホンEないし格安シムサービスQについて。勝負どころで当たらない馬券Kまたは走らない馬Gさもなくば騎手Tについて。そんなに値段が張らなかったはずの王将の天津飯について。吐きたいくらい進展しない謎の恋愛について。

絶望的な文章ですが、昨日の皐月賞のあとの福島最終レースがめっぽう当たって生き永らえています。あきらめないことの尊さを学びました。ギャンブル競馬の神様はやっぱり野毛ウインズにいます。計らずも勝ち馬のジョッキーは新人未勝利騎手でした。田口くんあるいは未冠のおっさんKおめでとう。

調子に乗って喫茶ドゥーにて。コーヒー豆、イタリアンとマンデリンをダブル所望。バイトに遅れそう。

 

 

 

 

 

 

 

横浜ぶらぶら日記5

以前、いきつけの居酒屋の大将に勧められて貰って読んで結局ハマってしまったハードアンドルーズという探偵漫画のおじさんの探偵は春が苦手で競馬が好きだった。「春は死の匂いがする…何もやる気がおこらない…」とか言って依頼電話を置き去りにして、事務所のソファーで寝起きからバドワイザーを飲んで廃人化しているのだけど、どちらかと言うと私もそんな感じで、私立探偵だったら絵にもなるんだろうが、ただのおっさんになってしまった。酒すら飲む気が起きない。

二月三月は思えばよく働いた気もする。くたくたになって何をやってるのか分からなくなり、無くならないはずのものを無くし、割らなくていいはずの皿も割れた。これはかなり無意味なオーバーワークだと気づき、あらかたの申し出を断り予定をなくし目覚ましを止めて寝て起きたら、ただのやる気のないおじさんになって目が覚めた、というようなことを以前に何回も書いた気もしている。これも一つの回復なのかもしれない。

隣人のおっさんのいかにも悪そうな咳払いが聞こえる。あのおっさんは朝っぱらから家にいて何にしとんのやろ、と思ってはいるが、タバコに火をつけ縁側に腰を下ろしウグイスが鳴いているなあ、とかぼんやり、お互い様なのだ。

向かいの家の太ったおばあさんがガタガタとコチラに向いた雨戸を開け、あら休みなの、珍しいわねえ、とか洗濯物をかけながら笑いかけてきて、いい天気ですねえ、とか答える。雨戸が開くとテレビの音が漏れ聞こえて来、期せずして野球の世界大会の結果が分かってしまったりした。居間ではかなりの爆音で流れているのだろう。耳もそんなに良くないのかもしれない。日本強かったですねえ、と伝えたつもりが、明日は雨らしいわねえ、と返ってきた。隣人のおっさんの咳払いは苛烈さを増している。心配してもどうしようもないから、そそくさと上着を被って部屋を出た。

私がたまたま、寝起きできる部屋を得たのは地名でいうと八幡町という所で、車が通れない坂の中腹にある平家の青い家だ。外観だけはめちゃくちゃいい。この辺の家はたいていプロパンガスで、引越しなんぞしようものなら、坂下に車を停めて、荷物を市道の石段を登り運ばねばならない。苦役という響きがぴったりの何か昭和くさい情景の引越しを何回か見た。台車に段ボールや冷蔵庫を積み、タオルを首に巻いた苦役人たちがだんだら坂を登っていく。どこまで上があるかどうかはまだ確認していない。あたしん家は中腹だが、まだまだ上があるはずで、そんな引越しに当たってしまった業者はいまどき災難だとしかいいようがない。

ときに横浜の街ブラ書籍で確認したら、こちら八幡町ないし、坂下の浦舟町あたりは一昔前はちょっとした歓楽街だったみたいで、いまは首都高と並行しているが、中村川というけっこうな川幅の運河が流れていて、実際、川のこちらがわには日本で最初に出来たらしい常設の演芸場がまだしっかりある。テント芝居に旅一座で各地をまわるあの、白黒の小津映画で見れるような、チャンバラ芝居がまだ毎日、生で見れるところで、夕方前におばさん達がぶわあっと吐き出されるように出てくるのを何回か見た。そういった川芸能のメッカではあるらしい。戦後から八十年代に入る前までは、河岸に舟を乗りつけた船乗りたちが、この今しがた私がチャリで下降りている通りを上り飲み歩いていたり、ようは歓楽していたわけだ。名残あります。ものすごい暗い角打ちのオープンエアな酒屋があり、暗すぎてよう入れないが、夕暮れ時、どこからともなくおっさん達が三、四人集まって、静かに物思いに耽ってるように見える。だらだら飲んでる様に亡霊を見たと言っては失礼か。

演芸場を起点にした浦舟町の商店街は短い。商店街は名ばかりの、いかにもうらぶれたような盟店街だが、いなり寿司や赤飯なんかも売っている団子屋は芝居帰りのおばさん達でまだしもアクティブ、デッドストックだらけの時計屋が通りに向かい合わせで何故か二店、八百屋、下駄屋、こういうのはどこの街にも、思い出すなら京都は出町柳だけれど、映画のセットみたいに物哀しくちゃんとあって、ちょくちょく観察していると、ネックレスとか指輪とかも置いてる時計屋の店主のおばあちゃんは毎日シャッターを上げていて、出入りするのは親族か保険屋くらいなのだが、とにかく毎日決まった時間に店に出向き、膝掛けかけて決まりの椅子に座り、日が落ちたらシャッターをちゃんと下げていた。

飲み屋は外から通り見る限りローカルな常連ばっかりでちょっと恐くてよう行けてない、むちゃくちゃ変な名前の、べろべろbarとか、串焼き豚陣地と、ヤバい駄洒落な店名がかなり多いのは土地柄なのか。場所は逸れるが伊勢崎町にある、油そばぶらぶらっていう店名はぎりぎりありだなって思う。行かんけど。

川を越えて、粋な下町アーケード、横浜橋商店街は今日も満員、チャリを降りて徐行し、大通り公園へ出、伊勢崎町方面、つまりダウンタウンへ赴くのが惰性となってはいるが、今日は結局また四谷のRという喫茶店に来ている。

ビートルズが聴きたくなったらこちらへ来る。外は先程から豪雨で春の風がびゅんびゅん吹いている。こういう既視感は言うまでもなく、そもそも一回は書き残しているはずで、薄く流れるセットリストからは二度目のペニーレーンが聴こえて来、二杯目のコーヒーは無くなりかけで、声のトーンがアンニュイでいい大学生らしい給仕はカウンターに肘をかけて文庫本を読んでおり、カウンター内のマスター翁はタブレットで動画かなんか見ていて音がちょっと漏れてる気がする。

なんのことはないんだが、三十六年も生きていて初めてトランペットが吹きたくなった。

セットリストは冷静に的確に回り続けており、ヘイジュードに至っては本日三度目です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横浜ぶらぶら日記4

横浜に住み出してから半年にも満たないので、ぽっかり空いた、こんな小春日和の穏やかな日は何も考えず伊勢崎モールや野毛山なんかをぶらぶらしたいとは常々思っているが、そういう日に限って渋谷の焼き鳥屋でバイトが入ってたりするので、結局下北沢に来ている。

渋谷はちょっと嫌い。こんないい陽気の日は確実に混み過ぎているし、点在しているタバコスポットつまり古い喫茶店は若者が殺到し長居しているので大概入れないのである。愛である。否。渋谷を迂回し、無念無想で、ナンセンスで変な迷宮みたいな地下通路を上がったり下がったりして、京王線に向かうのには案外慣れた。

ときに唐突に今、思い出したのだが、いくらか前に東急線のどれか、夕方に大井線だか池上線だかに立ち乗りし、目黒だか五反田だかに向かっていたら、目の前のやや年配のお姉さんが英語教則用のプリントを熱心に読んでおり、彼女の背後にいた私の目にはそのプリントが丸見えだった。

今時、英単語の暗記をプリントものでしているのは珍しいなあ、中高生でもあんまり見ないなあ、と心なしに思いながら結局、それが目に入ってしまうので眺めていたらもってのほか、私はウケていた。ぱっとそのプリントの全景を盗撮してもよかったと、少し後悔しているくらいだ。

それ、おそらくは私塾、カルチャースクールみたいな、あくの強い講師が拵えた渾身のダジャレ英単語学習レジュメで、

【愛である。理想的な人生は。】

みたいな標語然とした短文の横に、

【ideal=理想的な】

とか英単語の和訳が示してあり、つまりダジャレをもって難なく、ややこしい記号的なアルファベットの羅列を暗記するシステムを、おそらくかなり変態的な私塾講師が、見た目でいったら十中八九うさんくさい色メガネをつけている、色眼鏡でなくても昆虫の輪郭みたいな、いわゆるレインドロップ型のフレームの眼鏡をつけ、紫が燻ったような色合いのペイズリーの柄シャツを着、あの、丸い石を引っ張り上げて留めるネクタイをつけている、彼が独力で考案し、捻じ上げるように、作り上げたスタイルなはずだ。彼はいわゆる正規雇用の教師にはなれるはずもなければ、そもそもなる気もなかった。イメージだ。

自慢じゃないが私はもともと英単語の暗記が案外得意で、ひいては中高時代の試験用英語の学習がぜんぜん嫌じゃなくて、むしろ偏差値が比較的高かった。

そのおかげで、岡山の山間の片田舎からのドロップアウトが叶い、ハイカラな盆地にまします古都京都の私大にストレート合格し、何の因果かそこで十五年も過ごすことになった。今となってはそれが自分にとって理想的だったのかどうだか謎だらけだし(大学も足かけ七年くらい通い中退した)、英語のコミュニケーションもまるで取れない。今となっては、あらゆるイングリッシュバイリンガルに僻みに近い嫌悪感すら感じる。なぜだろう?

それはともかく、私は田舎町から理想的な形でドロップアウトできた。そのチケットは、中学時代の英語教師、林てるおというおっさんによってもたらされた。それは一応、事実だ。

思い返せば、彼はとにかく昼飯を食うのが早かった。

担任ではなかったが時たま、昼食時の教壇に座り、私たちと同じ給食を食べていたのはなんかなしに覚えている。それを親の仇を噛み潰すように、教師というよりは明らかに工事現場の日雇い労働者みたいに、ランチを一瞬で食い散らし、あとは忙しなく貧乏ゆすりをしながら虚空を睨んでいる。こちらから見ると、教室の角あたりをじっと見据え、林てるおが何を考えているのかはもちろん分からなければ、こちらも成長期、給食に夢中で放ったらかしだが、とにかく異様なおっさんだ、と感じたことは覚えている。

授業ののっけに彼はいう。

「はじめまして!林てるおと申します!

名前の由来は生誕時、なぜか私ヒゲが生えてたんです!母親は言いました!赤ん坊のくせにヒゲ生やしてるよ!林てるおです!」

山村に近いくらい片田舎の無邪気ですれてなどいないはずの中学生たちにしてみても失笑すらなく絶句しているか、憐憫に近い眼差しを彼に投げかけていた。彼は例えば古き良き、アメリカからも廃れ去った(去ったのか?)、下ネタと社会風刺と左翼批判でがちがちの漫談を拵える、目をガン開きにしたコメディ脚本家だった。ウディアレンのアニーホールで、あんな感じのおっさんを見たことがある。

しかしながら私はうっかりウケてしまった。よくいえば無邪気だった。他人に対して盲目だったのもあるだろう。彼がいぶし銀にしか見えなかった。

「私のことはさておき、早速英語の学習を始めましょう!みなさんはアイマイミーマイン知ってますか?いわゆる、私の活用なんですが、アイマイミーマインあんま意味ないん!岡山弁と一緒です!あんま意味ないん!」

彼によって、私と同じ釜の飯を食った前途明るい若者たちが、英語の学習を早々と放棄してしまったことは想像に難くない。二千年前後の田舎町の小童の誰が十数年後、ケータイ会社の成り上がり社長が、社内通用言語を英語にすることを予見できたろう?少なくとも、あのおっさんから適切な英語を学ぶのは困難であるとは、さっさと察知したはずだ。現に岡山で安住を目指すのに必要なのは英語でないばかりか、慣れ親しんでいるし、今では全国放送でも普通に聴こえる千鳥みたいな岡山弁だ。

ともあれ彼への謎の好感から、彼のつくる定期テストのための学習に、私は熱心に取り組んだ。それ以外の教科はあらかた学習を放棄した。なぜか、彼以外に心を打たれる教師がいなかったからだ。

不条理といえば不条理、過去も変えられなければ、そもそも未来も変えられない。おかげさまで、今の自分という自分に落ち着いている。

下北沢に着き、なんとなく予感していたが、週明けの大平日にかかわらず、好きな二階の喫茶店Tにはすでに若者が殺到し、踊り場に待ち客がはみでていた。春みたいな好天につき人間が虫みたいに地から這い出て溢れている。啓蟄である。自分とて同じだが、もはや渋谷も下北もない。喫煙者と喫煙スポットを、中国のゼロコロナ政策失敗みたいに投げやりに大開放してほしい。メディアには生きてるうちに糸井重里氏なんかを起用するだかなんかして嫌煙家を愛煙家に劇的にマインドコントールさせてほしい。

どうでもいいことで長くなったが、林てるおは私が中学を卒業して間もなく、教師間の宴会の席、忘年会かなんかで酔って暴力沙汰をやらかし、放逐されたらしい。その後のことはついぞ聞かない。

Tを退いた後、ぶらぶらしていたら、駅前でブルーマンデイという縁起でもない名前のカフェを見つけ、入ったら案外空いていて、タバコも吸えてすごいよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横浜ぶらぶら日記3

天気予報士が言うには関東で、ほぼ二ヶ月ぶりに雨が降っていて、スポーツ紙には幸宏さんの訃報が飾られている。一月十六日。午後一時半。

なんとなく間が空いて、いつもクラフトワークがBGMの黄金町駅前の喫茶富士に、ほぼ二ヶ月ぶりに訪れたら、いつも通りツールドフランスが流れていた。

そこは二階です。珍しく客は一人もおらず、プログラミングされたような疎らな、交差点の往来が上から望める窓際の席を陣取ると、三角形状の店内の頂点に当たる、言うなれば移動しない点Pに当たるところにデヴィッドボーイのロウのポスターB 1サイズが枠に入り飾ってあるのが、私の視界の正面である。

テーブル向かいの椅子の背もたれの後ろに、子供の背丈くらいのダイキンの空気清浄機が置いてあってその向こうに、夕焼け雲みたいな赤い背景に映えるボウイの横顔がどーんと描かれており、相変わらず気が遠くなるような美男子だ。

ロウの斜め横、やや上は横尾先生の灯台のイラストポスターB 1サイズで、これらが無意識に視界に常に入ってくる。灯台の向こう、海原の真ん中に赤い鳥居が見える。

もはや無意識というのがなんのことだか、いつからあるのかそもそも無いのか、いつも全くわからないのが、余計わからなくなってくる。

唐突に、私の背後のカウンターから、ナポリタンのような何かを炒める、やや乾いたジャーという音が音に被さって来たと思って、ハッとして、スポーツ紙を畳んで元の場所に戻すと、いつの間にか客が三組ほど増えていて、BGMが幸宏さんの音楽殺人に替わっていた。

なにせ常時、音がクラフトワークの店なので、スペシャルな計らいである。それでいて、とてもスムースだ。なんというか、来てよかった。

だいたい四十年前の音源がすんなり時を超えていて、今となってはそんなことは月並みなことだけれど、私の今の実感では、ベタな追悼みたいな、かけてやりましたで!みたいな薄気味悪いメディアっぽい著作使いじゃない、見た目ちょっと怖い店主の「好き」がいかにもハイレゾじゃないスカスカな音源越しに無言で、すうっと入ってくる。今、ストップインザネイムオブラブ。

いやはや至高のスカスカ感だ。簡単にいうとダサい。ダサいのが、いわゆる今の世の中を席巻している本流の、全てのホンモノっていう体の、ダサくない音に舗装された人工道の地下層で、そこには暗渠というカッコいい言葉があるが、そんな感じに案外カッコよく流れていて、どちらもあくまで人工製ではあるものの、たまに頭に隙のある変なタイミングで、こちらの頭のチャンネルに波長が合ってしまい、謎の情報として音みたくなって流れてくる。

予報では昼過ぎに止むと言っていた雨はまだしらじらと降っているようだ。窓から見える数人の信号待ちが傘を差している。

こちら側の向こう側、道路越しにフィットネスクラブが入った新しめのテナントビル。一階に気の利いたご当地ドトールみたいな喫煙室付きのカフェ。二階に口腔外科。三階は泌尿器科。一定以上の、心体に不都合を抱えている誰かしらが、のべつ訪れているはずで、それ故に安くないはずのテナント料を各テナントが毎月納めているという奇跡、その余剰利益で各従業員がそれぞれ生活しているという奇跡としかいいようがない、謎を丼ものにしてトリプルサイズで汁だくにしたような現実。

スポーツ誌が報じるような、幸宏さんが世界にテクノを広めた、みたいな記事には、常時クラフトワークが流れている茶店で茶をしばいている以上、ハテナマークがたくさん付いちゃうけれど、ともかく私は幸宏さんのドラムが好きだ。

私は馬の骨。流れ流れた俄か客でしがないが、喫茶富士もあってよかった。

いつしか客も満員になっており、BGMはクラフトワークに戻っている。ウッディな内装の茶店ながらエレクトリックカフェである。時刻は三時半になっている。

いや、よく耳を澄ませると、これはもしかして未だ幸宏さんの音源なのか?

年末から年始にかけて、謎を丼ものにしてトリプルサイズで汁だくにしたように謎に、働けど働けど金はないがコーヒーはおかわりしちゃうぞ。

 

 

 

 

 

 

横浜ぶらぶら日記2

一月四日。私は今、横浜駅西口の高島屋の裏手の喫茶店「8番街」に席を取ってブレンドコーヒーを頼んですすり出したところ。気分は競馬場の馬場コンディションで言えば「稍重」くらいで、「ややおも」と読む。前日に集中豪雨が降ってずぶずぶになった芝が、今朝方の晴天で回復傾向にあるものの、軽めのステップでぴょんぴょん駆けるのが得意な馬にとっては少し走りづらい状態だ。つまりノットソーグッド。頭がしけた柿ピーみたいになっている。正月三ヶ日を痴呆みたいに寝て過ごして、ペヤングで空腹をしのいだ余韻だろう。悲しいかな、年末年始にかけてなんか知らんが例年通り、懐がすっからかんになっていた。

それにしても2022年は長かった。

昨年も今年と同じくして例年通りスカスカな状態で新年を迎えた。

園田競馬で一計をはかったものの失敗。

オケラになってから友人宅のプレステ2で久々にやった桃鉄でも借金地獄に陥った。歳下の友人の今西はそれからついぞ会っていない。彼のつくるカレーはとても美味い。

それからしばらく実家で伏せっていたのだが、三条の喫茶店でたまたま再開したグラサンの先輩に誘われて、スナックの居抜き内装工事を手伝うことになった。丸鋸で材木を切ったり、壁に漆喰を塗ったりする仕事だったが、納期前には三十六時間くらい寝ずに稼働するような無茶苦茶な現場だった。深夜から早朝にかけて、親方のケータイからアップルミュージックが垂れ流しになる。だいたい陽水、または長渕。ブラックアウトしかけの脳に染みた。読んで字のごとく洗脳みたいだった。特に陽水のカナリアはきつかった。

人々の愛をうけるために飼われて

鳴き声と羽根の色でそれに答える

カナリア カナリア カナリア カナリア‥‥

しかしながら時給が二千円だったので俄に小金を得、助かった。それに、丸鋸を使い、フリーハンドでまっすぐ板が切れるようになった。親方は今も夕暮れ前に三条の喫茶店へグラサンをかけて赴き、ケータイの画面に集中し、事務処理でもしているのかと思いきや、アプリで将棋を打っていることだろう。過去の名人戦棋譜なんかも逐一チェックしているらしい。なにはともあれ感謝している。

そんな気分がまるで遠い昔みたいに感じられる。軽快なラグタイムが流れている。横浜駅西口の高島屋の裏の喫茶店「8番街」は今日も時が止まったみたいに日常とBGMセットリストが繰り返されていて、ランチタイムになると二階の席が開放され、従業員が二人くらい増える。人々は飾り気のないカレーやスパゲティ、クロックムッシュにクロックマダムをそそくさと、濃いめのコーヒーで流し込んでいく。

それで時たま、かのセロニアスモンクが来日公演を終えたのち、記念品のオルゴールでアメリカに持ち帰ったという「荒城の月」のピアノ曲がしれえっと流れて、ああ、私はなんとなく横浜にいるなあ、という感慨に耽るわけだが、その洋題が「ジャパニーズフォークソング」とモンクによって名付けられているところが、なんとも乙なことと感じる。云々。

さっき、この近くの立ち食いソバ屋で、しけたイカ天を載せたかけソバを食って、年越しソバとしました。

 

 

 

 

 

 

 

横浜ぶらぶら日記1

目黒のドゥーという喫茶店に来るのは二回目で、一回目はこの夏にフランスの移住ビザ待ちの人妻と彼の友達、昭和の某大アイドルの娘との待ち合わせに使ったんだけれども、これが案外大当たりで喫煙者専用の方舟みたいな、このまま、そのドゥーとたまたま居合わせた客だけで辺境に浮かんで行ってしまったとしても、それなりに長いこと幸せだろう、と思えてしまうような安心感のある良くできた店で、今となっては再現不可能な佇まいの内装、屋根裏部屋みたいな低い天井が斜めに降りていて、そこからカウンターにダウンライト、突き当たりの壁際からアップライト、やたらに暗いわけではないけれど陰影が、それぞれみんなの顔に浮かび上がって、私は窓際の一人用ボックス席からカウンターとカウンターの客、特にその右端に席をとった目の前でサライの昭和特集を読むでもなく眺めている感じのどうしようもなさそうなおっさんを眺めざるを得ないわけだが、そんなおっさんさえ芝居の役者みたいに見えてしまう。

そもそもおっさんが入店にした時は私を含めて満員で、マスクをしていたらどことなく能の翁みたいな表情に見える、つまり笑ってんのか笑ってないんか全然わからん垂れ細目のマスターは「すいません。いっぱいです」と伝えた。おっさんとマスターの歳のほどはだいたい同じくらいだろうか。

こちらの空間では誰かの発言は居合わせる全員にはっきり聞こえる。そういう広さで、おっさんは「それじゃあ、豆を買いたいけど濃いのはどれですかな」と言ったが、マスターは「濃いのは淹れ方なんで、濃いも薄いも豆にはないですよ」と柔らかいけれどスパっとした口調で返した。

カウンターの化粧板は真っ赤っか。サイフォンや水差し、スプーンが雑然そうでぜんぜん整然と並んでる間にすんと座った細いフラスコに小さいバラがイケていてちょうど、ダウンライトの一つにすぼめた口を向けているみたい。どれもヒジョーにキレイ。なんというか、ここの壁に貼ってあるロートレックのデザイン絵のステッカーは臭くない。いやらしくない。

関係ないが、僕の好きな京都のカフェ・コネクションの自称キチガイのマスターも店のセンターにバラをイケていて、私が「いいっすね」と場つなぎに伝えると「バラ、いいっすよね!これはねー!店を開けてからずーっと!欠かしたことないんすよ!いわばオレの意地なんです!ずーっと客居なくてもあるんですよ!オレ、実はキチガイなんすよ!」と言っていたのを、こんなような機会、つまり一輪の活けバラが目に入った瞬間に思い出すわけで、その都度、感動を追体験し、吹き出してしまうわけだけれど今しがた、対角線上に向かい合わせになった女性と目が合って、多少不審に思ったことだろう。私は型落ちのアイホンを下手くそな経理部の電卓打ちみたいに打ちながら、コネクションのマスターを思い出してニヤニヤしていた。

「じゃあ、深煎りはどれ」とおっさんが訊いた。「うちはイタリアンだけですね」とマスターが言った。

「マンデリンは」

「いわゆる普通ですね」

グアテマラは」

「だいたい似たようなもんですよ」

「ええとねえ、じゃあグアテマラもらおうかな」とおっさんは言ったが、私はイタリアンにせんのかい、と心の中で突っ込んで、なぜか少なくない腹立たしさを人知れず感じてしまう。そんなことはどうでもいいし、他愛ない質問と受け答え、というだけのことなんだが、それにしても会話が成り立っているように思えない。マスターは依然、ビハインドマスクの心情が読み取れようもないけれど、朗らかな声で「どれくらいご用意しましょう。挽きますか」と訊ねた。

そうこうしている合間に私の目の前のカウンター席の客が辞去し、入り口の前に立っていたおっさんは「折角なんで試飲がてら一杯いただきましょうかな」と言い、スポーツ新聞と昭和特集のサライを手に取り空いた席に座をしめた。スポーツ誌の一面は前日のサッカーのワールドカップのニッポン代表を称揚している。

「何にしましょう」とマスターが尋ねると、おっさんは「それじゃあ、コロンビア」と返したが、私はイタリアンにせんのかい、と心の中で突っ込んで、なぜか少なくない腹立たしさを人知れず感じてしまう。つまり、深煎りのコーヒーを所望していると仄めかしながら、イタリアン以外は中煎りですよ、というアドバイスをマスターがしれえっと、とはいえ、しているにもかかわらず、それを無下にしてまう節穴みたいなおっさんにはどうも愛嬌を感じない、冷たく言い切ってしまえば、豆の産地名称を声に出して唱えたいだけのトンチキおじさんは無害に違いないことは言うまでもなく、ドゥーにとっても売り上げに貢献しているわけだから、有益な存在だと見做していい、とか勝手にうだうだ言ってる私は間違いなくこの世で一番卑小な存在である。

ところでJR目黒駅は東京23区において目黒区という区に位置するみたいだが、この区と区の区切れが私みたいな東京素人にとってはちんぷんかんぷんで、山の手環状線の一駅という認識くらいしかなく、寄るべないというか、親しみがないというか、記号的というか、いやまさに「目黒」という記号でしかなかったところにドゥーが現れて、どうなるわけでもないけれど、そこから街の個性について肌で感じるきっかけにはなる。

今朝方は、池上という大田区の一駅に赴く用事があり、なんとなしにドゥーがそんなに遠くなさそうだな、とか思い当たり、ドゥーを目的の一つに据えることで本日の動線が、無意味を前提として勝手に組み立つことが、いわば無意味中の無意味に居る私の唯一の救済であり、最後の憩いといっても過言ではない、まさに華厳の行で、ふざけているわけではなく、私は一輪のバラになりたいと今、急に思った。

池上は東急池上線という、現代においては少なからずぼんやりしているように見える路面電鉄の蒲田寄りに位置し、上りは五反田で終着する。五反田は目黒にも増して記号感が強い、恐らくは世間の大半の人、東京に住み続ける人間でさえ、山の手環状線でただ通過するだけの一駅だろうが、聞くところによるとジモティの本社があるとか、サザンオールスターズの桑田さんのセカンドハウスがあるとか、そういうどうでもいいかんじの情報が、当駅ビルに降り立つ私の頭に彩りを加えるし、花房山通りという線路沿いの、だんだらした坂道を歩いていくと標識で、ここが品川区であるという発見もあるし、いつの間にか目黒区に至っていてるというか目黒、目黒といえばドゥーだ、ドゥーはやっぱり近かった!みたいな答え合わせがおおよそ当たったいて、アホみたいだが、ちょっと楽しい。

私の印象では目黒駅周辺は、つけめんがメニューにあるラーメン屋とマスクしてない人がやたら多い気がする。

花房山通りを引き返せばサラリーマンの品川区、目黒川を下っているのか上っているのか、とにかく歩けば池尻大橋つまるところ世田谷区、路面電車で行けば下町が連なる黒湯の噴き出る大田区で、オールドタウン蒲田はイメージ的にもどうしようもなさそうなおっさんが多そうだが、羽田空港へのバイパスであるゆえにキャビンアテンダント風のハイミスがたくさん見えるという街徳を兼ね備え、多摩川を渡れば、競馬場と競輪場を兼ね備えた川崎、神奈川県ということで、横浜も感覚的に近くなる。実際すぐそこだ。距離のことではなく「なんとなく遠い」が「なんとなく近い」に無意識に、ちんたらすり替わっていく感じが面白い。