短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

横浜ぶらぶら日記3

天気予報士が言うには関東で、ほぼ二ヶ月ぶりに雨が降っていて、スポーツ紙には幸宏さんの訃報が飾られている。一月十六日。午後一時半。

なんとなく間が空いて、いつもクラフトワークがBGMの黄金町駅前の喫茶富士に、ほぼ二ヶ月ぶりに訪れたら、いつも通りツールドフランスが流れていた。

そこは二階です。珍しく客は一人もおらず、プログラミングされたような疎らな、交差点の往来が上から望める窓際の席を陣取ると、三角形状の店内の頂点に当たる、言うなれば移動しない点Pに当たるところにデヴィッドボーイのロウのポスターB 1サイズが枠に入り飾ってあるのが、私の視界の正面である。

テーブル向かいの椅子の背もたれの後ろに、子供の背丈くらいのダイキンの空気清浄機が置いてあってその向こうに、夕焼け雲みたいな赤い背景に映えるボウイの横顔がどーんと描かれており、相変わらず気が遠くなるような美男子だ。

ロウの斜め横、やや上は横尾先生の灯台のイラストポスターB 1サイズで、これらが無意識に視界に常に入ってくる。灯台の向こう、海原の真ん中に赤い鳥居が見える。

もはや無意識というのがなんのことだか、いつからあるのかそもそも無いのか、いつも全くわからないのが、余計わからなくなってくる。

唐突に、私の背後のカウンターから、ナポリタンのような何かを炒める、やや乾いたジャーという音が音に被さって来たと思って、ハッとして、スポーツ紙を畳んで元の場所に戻すと、いつの間にか客が三組ほど増えていて、BGMが幸宏さんの音楽殺人に替わっていた。

なにせ常時、音がクラフトワークの店なので、スペシャルな計らいである。それでいて、とてもスムースだ。なんというか、来てよかった。

だいたい四十年前の音源がすんなり時を超えていて、今となってはそんなことは月並みなことだけれど、私の今の実感では、ベタな追悼みたいな、かけてやりましたで!みたいな薄気味悪いメディアっぽい著作使いじゃない、見た目ちょっと怖い店主の「好き」がいかにもハイレゾじゃないスカスカな音源越しに無言で、すうっと入ってくる。今、ストップインザネイムオブラブ。

いやはや至高のスカスカ感だ。簡単にいうとダサい。ダサいのが、いわゆる今の世の中を席巻している本流の、全てのホンモノっていう体の、ダサくない音に舗装された人工道の地下層で、そこには暗渠というカッコいい言葉があるが、そんな感じに案外カッコよく流れていて、どちらもあくまで人工製ではあるものの、たまに頭に隙のある変なタイミングで、こちらの頭のチャンネルに波長が合ってしまい、謎の情報として音みたくなって流れてくる。

予報では昼過ぎに止むと言っていた雨はまだしらじらと降っているようだ。窓から見える数人の信号待ちが傘を差している。

こちら側の向こう側、道路越しにフィットネスクラブが入った新しめのテナントビル。一階に気の利いたご当地ドトールみたいな喫煙室付きのカフェ。二階に口腔外科。三階は泌尿器科。一定以上の、心体に不都合を抱えている誰かしらが、のべつ訪れているはずで、それ故に安くないはずのテナント料を各テナントが毎月納めているという奇跡、その余剰利益で各従業員がそれぞれ生活しているという奇跡としかいいようがない、謎を丼ものにしてトリプルサイズで汁だくにしたような現実。

スポーツ誌が報じるような、幸宏さんが世界にテクノを広めた、みたいな記事には、常時クラフトワークが流れている茶店で茶をしばいている以上、ハテナマークがたくさん付いちゃうけれど、ともかく私は幸宏さんのドラムが好きだ。

私は馬の骨。流れ流れた俄か客でしがないが、喫茶富士もあってよかった。

いつしか客も満員になっており、BGMはクラフトワークに戻っている。ウッディな内装の茶店ながらエレクトリックカフェである。時刻は三時半になっている。

いや、よく耳を澄ませると、これはもしかして未だ幸宏さんの音源なのか?

年末から年始にかけて、謎を丼ものにしてトリプルサイズで汁だくにしたように謎に、働けど働けど金はないがコーヒーはおかわりしちゃうぞ。