短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

モンク帽4

IN THE FLIGHT

IN THE FLIGHT

三月某日。三田線で移動中。モンク帽未だ見つからず。

月半ばからのケータイの速度制限というのは都会の暮らしをよくよく反映しているような気がするなぁ。なんというか、

 私というのは文章上の私というだけのことであって、、(百)

心臓に小さい穴が開いているらしい古いバンド仲間の八十田の家はメゾネットで、どちらかというとかなり高台、昔は富士が望めたような地名がついている駅から坂を緩やかに下ること徒歩数分、彼と彼のパートナーが住んでいる、いかにも調和の整った生活をしているように見え、それはどういうことかといえば例えば赤いキャセロールでごはんを炊いていたり、テレビの棚のマンガ(コジコジとか、A子さんの恋人とか。ただ、後者は一巻だけ抜けている)がつるりと整頓されていたり、タオル類が茶色で統一されていたり、二人の寝室が別れていたり。
二人ともタバコをばかすか吸っていた、八十田はがにまたで下駄を鳴らし(後日談彼はルパンの次元に憧れ真似していたらそういう走り方になって治らないらしい)灘波のライブハウスに迷う僕を手招きし、さよ子は三条の老舗の喫茶店でくるくるたち働いて水色のキャメルをふかしながら店の裏事情を教えてくれた、なつかしくもなんともない光景で、今でも遠メガネでそちらを見ていたりもするのだけれど、そのケータイの速度制限みたく今さよ子は自炊に夢中、質素ある意味ケチになっているのに驚くのは共に会社勤めをしていたときにけっこう派手に飲み食いしてたイメージがあるし、去年なんかは熊五郎でしたたか飲み過ぎ予約した深夜バスにすんでで乗り遅れた無一文の僕に八十田は豪気、バスタ新宿まで一緒にがにまたで走った、付き合って一緒に走ってくれたっていうことなんだけど、その上バスのチケット代を立て替えてくれた。
まだ、返していない、ということをじつはだいたい全部覚えていて、
重ねて言うと、だいたい全部覚えていて、金にかかわることでいえば、その八十田が呉れたバスチケット、◎◎金融サービスからの借金、親族からの借金、そういうのはなんとかなるとして、そーいえば反古にせざるを得なかったコーヒーチケットもあるな、かねとかものならまだわかり易いけれど気持ちの借り物とか、気持ちと物の間の子クオーターみたいのもたくさんあるので、あれなのだが、アタシちゃんは味噌汁を拵えるのがとにかく速い。
階段をかけあがったしばしば風が吹きすさぶ広い屋上のあるその部屋はものであふれかえっており、文字通り玄関先に靴とかキャンプセットとか、あふれていて、手前のベースギターも今そこに突っ込んでいる。窓はいつも開いていて、居間、寝室を森となって侵食しつくそうとしているような能口の本本本とアタシちゃんの思い出そのもののような物物物、自然キッチンは狭くごちゃごちゃで、宿飯の礼に朝の能口に弁当を作ろうとしたら驚いた。蛸足から延びている電気コンロの線はぎりぎりで大事どころで切れがち、木を重ねただけの食器棚の最下段すなわち床に狭しと押し込まれた開けると蓋がつっかえる炊飯器も同様、まな板は流しの角でバランスをなんとかとるしかなくとにかく包丁の切れ味が悪い。
氏いわく「何回か研いだけどもうええねん」
あくる日、半分寝ぼけている僕をよそにやけに身の厚い生き物じみたネギを親の仇みたいにぶつ切りにしていくのをハイライトをふかしながら横目で見た、流しにつっこんだコチラは緑のキャセロールにぶつ切られた先からネギが放り込まれてゆく、あとはねばこい青菜とか太ったキノコとか、蛇口についた洗浄器から水が落ち、さながら野菜の行水、そのままその切れがちなコンロに鍋が移るまでおおよそ20秒、すかさず火をつけ、しまいに油揚げで蓋をした。

粉々になった削り節ががつんと効いたその味噌汁は無二でありていにいうと、うまい。破壊力のあるうまさ。変な表現だが聴いたことのない味がする。というか食ったことないけどまさかこれが家系?
それで、存外うまい伊賀の玄米がいくらでも食える。
入退院後、米を噛むカタルシスを知ってしまった僕は思わず能口に玄米を、
「売ってくれ」と言った。
「家から送ってもらってるやつやしなぁ」
「分けてくれといってるわけじゃない、買うで。実家に訊ねてくれ」
「そう言われてもなあぁ」
いつまでも噛みつづけて、時折うわくちびるを誤噛などし、そのままアタシんちでスティーリーダンとか薄く聴きながら、果ててしまいそうな気分だった。

アタシちゃんの施しはいつでも速攻なのでお返しを返す隙がまるでなく、とりあえず逗子のテツオの家で、頭から離れがたい味噌汁のモーションをカレーで試してみたが、彼のキッチン居間はがらんどう広広としていて、なぜかとうがらしが大袋で置いてあり、なんとなく久しぶり、天才バカボンを思い出した。
包丁はよく切れて、かぼちゃもこともなげに、切れ、かえって遅々としている、僕とねこは暇である。

前の日の晩、彼が呉れたかす汁は旨かった。けれど米はやさぐれているみたいに不味かったので慎重に洗い、水量も調節したけれど、やはり噛みごたえがまるでなかった。

なにかあるな、と思ったが、ほんとうのところなにもないかもしれない。歯が立たないこともある。それに不味いものが旨いということがあることも、この歳なので知っているつもりで。

しかし、テツオのバイト先の焼き鳥屋に行ったらフツーにめちゃくちゃヤキトリ旨かった、、
テツオはしゅっとした男前のクルーのなかで一人談志みたいなねじり鉢巻をしてバタバタと生ビールをいれていたので今度腹巻きをプレゼントしたいと思う、メモ。

ところで、A 子さんの恋人は面白いな。
中央線が舞台というだけで無駄にトレンディに読める。
八十田のメゾネットハウスでは歯抜けだった一巻だけ、前の自宅でS子ちゃんに読まされたことがある。そのときはなんかキャラクター全員不快に感じて、勧められてたその後の巻を読まずに、うっちゃって、東京くんだりで三百円の盛りそばをすすっている僕は断じてグルメではない。

断らずにやってしまった懺悔としては、八十田の家の折り目ひとつついていないA 子さんの恋人の四巻目を、風呂に持って入って半身浴しながらちんたら読んでしまいました。済みませんでした。濡れないように神経は使いました。ひきかえに、というかそのおかげで、どのキャラクターもけっこう好きになりました。

じつは風呂に本を持ち込んでマンガやら雑誌やらをちんたら読んでずたぼろにしてしまうのはS子ちゃんの癖であり、いつの間にかコチラに移ってしまっていることに気が付いたのは、昨日能口の家で夜に、能口が頻りに半身浴を勧めてくるので、
「なんか風呂で読んでいい本ないかな」と訊いたらアタシちゃんが「これならええんちゃうん」と早川義夫氏のエッセイ文庫本をさっと取って僕に手渡そうとしたところ能口は慌てて「あかんあかんあかん、なに言うてんねん!本は風呂で読んだらあかん、ふざけんなよ!ラジオええやん、ラジオで菊地成孔聴いてアンビバレントな知性を養おう」
都会の生活は日々反省である。

暇な僕が、能口の蔵書のひとつを散歩用に持ち出そうとしたら、彼はそそくさと透明のセロハンを取り出してその本の表紙を外し、開いた表紙に丁寧にセロハンを纏わせてパッケージした。意外性のあるかの所作は刹那、敬虔にまで見えた、くらい案外かなりエロチックで、こいつはモテるな、と感心してしまった次第である彼はれっきとした古本屋店員でもある。

 とまあ思いつくまま何人かをあげたが、どの作家もみなダイナミックで不良である。でありながら自分の信条に忠実で、やりたいと思った迷路のなかを自由に彷徨している。
(坪内祐三編「明治文学遊学案内」の中の嵐山光三郎より)

とりあえずの区切りにシティ派回文を三篇
【快感魔 御徒町 カオマンガイか】
Eテレ入れていい?】
【さてはアパレル系いけるレバーパテさ】
新宿ベルクで舌鼓を打つ私は断じてそんなにグルメではない。

A子さんの恋人 4巻 (ハルタコミックス)

A子さんの恋人 4巻 (ハルタコミックス)

あと、もっかい寝ても覚めてもを見直してみたい、メモ。