短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東京日記16

おとついくらいからやたら雨に濡れていて、というのは無論傘をさしていないからなのだけれど、どうも傘を買っても借りても盗んでも、その後晴れたら確実に出先で置き忘れてしまうので、所望する甲斐もなければ邪魔だから元から持たないようにしているわけで、濡れるときはしこたま濡れる。濡れることを想定していないわけではなくて、雨降ればすなわち濡れることは分かっているんだけれど、ものごとには必ず間隙がある、節穴というか、という確信が先にあって、間断のない雨降りがないように、間断の少ない降雨のなかにも小休止があり、また小休止以外の時間の中にもアーケードとか庇とか高架とか地下街とか、東京にでもどこでも今や雨を放心するような都市機能といったら大袈裟だが、広義における雨避けがあるわけだから、濡れ鼠になる可能性は極めて低いと私は考えている、にもかかわらず昨日は池袋駅の西口から地上に出てからものの五分で濡れ鼠になり下がり、徒歩五分で着くと位置情報に案内された銭湯にたどり着くことが出来なかったばかりか、街路の間隙に発見した屋根のある駐車スペースで一服し放心したのち、引き返し帰宅する意を決していざ雨に突入して間もなく、型落ちのアイホーンをどこかに置き忘れたことを発見し、いよいよ途方に暮れてしまい、のたうちまわりたくなったことは確かなんだけれども、銭湯が見つからなかったかわりに、スペースにゆとりのある清潔なコンチネンタルホテルのトイレが使えたので、どっちにしろ過酷な荷上げバイトの後で衣服がべちゃべちゃになっていたから(ポケットに突っ込んでいたショートホープまで汗で吸い物にならなくなった)、着替えもできたし、雨がシャワーがわりになった感があり、爽快な気分にならなくはなかったし、その先刻にサラダチキンとカフェラテを買ったセブンイレブンにアイホーンもあった。アジアのアルバイターは「ありましたありました」と言い、それを受け取った私はまじで良かった、という切実な、感謝のアイコンタクトを彼女のマスクの上のアイに投げやると、アイは同じ気持ちをキャッチしたみたい、こちらに投げかけたことがよく分かる、というのが本来のアイコンタクトであり、アジアの人というか、本国以外の国の出身者はアイコンタクトがうまいことが多いから何気ない関わりでも気持ちよくなる。そのかわりに、滅多に買わない謎の機械が絞り出すカフェラテは全くおいしくなかったので、もう買わないし銭湯に辿り着くことができない池袋にももう降りないかもしれない、と思ったことを今朝、新宿東口近くのタバコが吸いまくれてモーニングセットのある喫茶店でぼーっと放心している時、壁際の柱にもたれかかっていたら、その柱の内側をネズミが鳴きながら駆け上がっている音がいきなり聞こえ、はっとして思い出した。

今日はことさらに豪雨、出先で傘を借りたはいいが、膝下までべちゃべちゃで、タバコの紙が使い物にならなくなった。あと、全身ナマリになったような鈍い筋肉痛で腕が上がんない。