短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

横浜ぶらぶら日記7

すぐ消えてしまうので大切なことは書かないが、好きなこと、何にせよ大切なことしか書けないので、その塩梅が難しいけれど、今日は再度、大好きな新宿駅西口の喫茶店Pに結局、また来れているので、駄文が弾みそうだ。まだけっこう空いている、昼前に訪れた(ハートランド小瓶が飲める以外は)純喫茶Pは珍しくメンズデーである。

今はシンメトリーだが(髪型)、最初に見たときはえげつないアシンメトリーだったぽっちゃりしたお兄さんがレジ。

前線のホールがガリガリで赤い髪をポニーテールにしたパンクロッカーみたいなおじさん。歩き方がコミカルなガニ股で可愛らしい。ルパンの次元をさりげなくした感じだ。歩速は常にゆっくりの一定で、早まることはない。白い半袖シャツの袖を一まくりするのが彼のスタイル。

その後衛にニューカマー、いかにも整った好青年スタイルの大学生風、人畜無害な感じだが、恐れいりま〜〜す、お水お入れしま〜〜す、お砂糖お下げしま〜〜す、という接客用語の「〜」が、いささか長すぎて甘すぎる。声だけ聞いたらかなり曲物だ。ちょっとチョケてる感じもする。芸人志望か?それともチェットベイカーか?しかも、ついうっかり、水を一口二口すするやいなや水を足しに来てくれてしまう。それはそれでありがたいが、何回もちょっとチョケてて「〜」が一本余計に長すぎる接客用語を甘い声で受けねばならず、気が抜けない。

カウンター内にはメニュー作り係が一人いるが、こちらはパキラの鉢植えが視線上にあり、はっきりと伺えないが、どうも初見ぽい。メンズである。

三か月も通わなければ、人員も入れ替わり立ち替わる。知る限り従業員の入れ替わりが少ないPでさえ、そう。人生はすなわち流動である。

それから、あらゆる飲食業界に従事する労働者は皆、マスクをしていなければならない、という不文律もさりげなく固着してしまった。むかしからの職業差別の名残というか、表れのようでなんとなく、嘆かわしいことではある。あれは耳の付け根がじわじわ痛くなって骨にくる。後に頭に来てゆくゆくは精神を蝕む。ろくなもんじゃない。いずれ早く皆んな、そのファニーフェイスを見せてほしい。

マスクにおすすめがあるとしたら、一部のキャンドゥにしか売っていない「耳ゴム革命」という製品だ。あれは製品名に違いなく画期的で、一見すると指を切ってしまいそうな樹脂製かなんかの細い紐がゴムがわりになっており、いざ嵌めてみるとみょ〜んと伸びる。熱を感知し適度に伸びるらしく、付け根への負担がびっくりするくらい少ない。ともあれ、着けている人を見たことがないし、キャンドゥでも見かけることが少なくなっているから、いずれ廃盤になることだろう。最近、引っ越した先にほど近い商店街のキャンドゥにそれを発見し人知れず安堵したものだ。しかしながら五枚で百円というコストも今の消費者にとってはぱっとしないみたいだ。いずれ廃盤になることだろう。

人生はすなわち流動である。

その後「犬としゃべる人は楽しい?」という新作の映画を新宿Pシネマで鑑賞。安堵して帰る。