短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

横浜ぶらぶら日記4

横浜に住み出してから半年にも満たないので、ぽっかり空いた、こんな小春日和の穏やかな日は何も考えず伊勢崎モールや野毛山なんかをぶらぶらしたいとは常々思っているが、そういう日に限って渋谷の焼き鳥屋でバイトが入ってたりするので、結局下北沢に来ている。

渋谷はちょっと嫌い。こんないい陽気の日は確実に混み過ぎているし、点在しているタバコスポットつまり古い喫茶店は若者が殺到し長居しているので大概入れないのである。愛である。否。渋谷を迂回し、無念無想で、ナンセンスで変な迷宮みたいな地下通路を上がったり下がったりして、京王線に向かうのには案外慣れた。

ときに唐突に今、思い出したのだが、いくらか前に東急線のどれか、夕方に大井線だか池上線だかに立ち乗りし、目黒だか五反田だかに向かっていたら、目の前のやや年配のお姉さんが英語教則用のプリントを熱心に読んでおり、彼女の背後にいた私の目にはそのプリントが丸見えだった。

今時、英単語の暗記をプリントものでしているのは珍しいなあ、中高生でもあんまり見ないなあ、と心なしに思いながら結局、それが目に入ってしまうので眺めていたらもってのほか、私はウケていた。ぱっとそのプリントの全景を盗撮してもよかったと、少し後悔しているくらいだ。

それ、おそらくは私塾、カルチャースクールみたいな、あくの強い講師が拵えた渾身のダジャレ英単語学習レジュメで、

【愛である。理想的な人生は。】

みたいな標語然とした短文の横に、

【ideal=理想的な】

とか英単語の和訳が示してあり、つまりダジャレをもって難なく、ややこしい記号的なアルファベットの羅列を暗記するシステムを、おそらくかなり変態的な私塾講師が、見た目でいったら十中八九うさんくさい色メガネをつけている、色眼鏡でなくても昆虫の輪郭みたいな、いわゆるレインドロップ型のフレームの眼鏡をつけ、紫が燻ったような色合いのペイズリーの柄シャツを着、あの、丸い石を引っ張り上げて留めるネクタイをつけている、彼が独力で考案し、捻じ上げるように、作り上げたスタイルなはずだ。彼はいわゆる正規雇用の教師にはなれるはずもなければ、そもそもなる気もなかった。イメージだ。

自慢じゃないが私はもともと英単語の暗記が案外得意で、ひいては中高時代の試験用英語の学習がぜんぜん嫌じゃなくて、むしろ偏差値が比較的高かった。

そのおかげで、岡山の山間の片田舎からのドロップアウトが叶い、ハイカラな盆地にまします古都京都の私大にストレート合格し、何の因果かそこで十五年も過ごすことになった。今となってはそれが自分にとって理想的だったのかどうだか謎だらけだし(大学も足かけ七年くらい通い中退した)、英語のコミュニケーションもまるで取れない。今となっては、あらゆるイングリッシュバイリンガルに僻みに近い嫌悪感すら感じる。なぜだろう?

それはともかく、私は田舎町から理想的な形でドロップアウトできた。そのチケットは、中学時代の英語教師、林てるおというおっさんによってもたらされた。それは一応、事実だ。

思い返せば、彼はとにかく昼飯を食うのが早かった。

担任ではなかったが時たま、昼食時の教壇に座り、私たちと同じ給食を食べていたのはなんかなしに覚えている。それを親の仇を噛み潰すように、教師というよりは明らかに工事現場の日雇い労働者みたいに、ランチを一瞬で食い散らし、あとは忙しなく貧乏ゆすりをしながら虚空を睨んでいる。こちらから見ると、教室の角あたりをじっと見据え、林てるおが何を考えているのかはもちろん分からなければ、こちらも成長期、給食に夢中で放ったらかしだが、とにかく異様なおっさんだ、と感じたことは覚えている。

授業ののっけに彼はいう。

「はじめまして!林てるおと申します!

名前の由来は生誕時、なぜか私ヒゲが生えてたんです!母親は言いました!赤ん坊のくせにヒゲ生やしてるよ!林てるおです!」

山村に近いくらい片田舎の無邪気ですれてなどいないはずの中学生たちにしてみても失笑すらなく絶句しているか、憐憫に近い眼差しを彼に投げかけていた。彼は例えば古き良き、アメリカからも廃れ去った(去ったのか?)、下ネタと社会風刺と左翼批判でがちがちの漫談を拵える、目をガン開きにしたコメディ脚本家だった。ウディアレンのアニーホールで、あんな感じのおっさんを見たことがある。

しかしながら私はうっかりウケてしまった。よくいえば無邪気だった。他人に対して盲目だったのもあるだろう。彼がいぶし銀にしか見えなかった。

「私のことはさておき、早速英語の学習を始めましょう!みなさんはアイマイミーマイン知ってますか?いわゆる、私の活用なんですが、アイマイミーマインあんま意味ないん!岡山弁と一緒です!あんま意味ないん!」

彼によって、私と同じ釜の飯を食った前途明るい若者たちが、英語の学習を早々と放棄してしまったことは想像に難くない。二千年前後の田舎町の小童の誰が十数年後、ケータイ会社の成り上がり社長が、社内通用言語を英語にすることを予見できたろう?少なくとも、あのおっさんから適切な英語を学ぶのは困難であるとは、さっさと察知したはずだ。現に岡山で安住を目指すのに必要なのは英語でないばかりか、慣れ親しんでいるし、今では全国放送でも普通に聴こえる千鳥みたいな岡山弁だ。

ともあれ彼への謎の好感から、彼のつくる定期テストのための学習に、私は熱心に取り組んだ。それ以外の教科はあらかた学習を放棄した。なぜか、彼以外に心を打たれる教師がいなかったからだ。

不条理といえば不条理、過去も変えられなければ、そもそも未来も変えられない。おかげさまで、今の自分という自分に落ち着いている。

下北沢に着き、なんとなく予感していたが、週明けの大平日にかかわらず、好きな二階の喫茶店Tにはすでに若者が殺到し、踊り場に待ち客がはみでていた。春みたいな好天につき人間が虫みたいに地から這い出て溢れている。啓蟄である。自分とて同じだが、もはや渋谷も下北もない。喫煙者と喫煙スポットを、中国のゼロコロナ政策失敗みたいに投げやりに大開放してほしい。メディアには生きてるうちに糸井重里氏なんかを起用するだかなんかして嫌煙家を愛煙家に劇的にマインドコントールさせてほしい。

どうでもいいことで長くなったが、林てるおは私が中学を卒業して間もなく、教師間の宴会の席、忘年会かなんかで酔って暴力沙汰をやらかし、放逐されたらしい。その後のことはついぞ聞かない。

Tを退いた後、ぶらぶらしていたら、駅前でブルーマンデイという縁起でもない名前のカフェを見つけ、入ったら案外空いていて、タバコも吸えてすごいよかった。