短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

横浜ぶらぶら日記5

以前、いきつけの居酒屋の大将に勧められて貰って読んで結局ハマってしまったハードアンドルーズという探偵漫画のおじさんの探偵は春が苦手で競馬が好きだった。「春は死の匂いがする…何もやる気がおこらない…」とか言って依頼電話を置き去りにして、事務所のソファーで寝起きからバドワイザーを飲んで廃人化しているのだけど、どちらかと言うと私もそんな感じで、私立探偵だったら絵にもなるんだろうが、ただのおっさんになってしまった。酒すら飲む気が起きない。

二月三月は思えばよく働いた気もする。くたくたになって何をやってるのか分からなくなり、無くならないはずのものを無くし、割らなくていいはずの皿も割れた。これはかなり無意味なオーバーワークだと気づき、あらかたの申し出を断り予定をなくし目覚ましを止めて寝て起きたら、ただのやる気のないおじさんになって目が覚めた、というようなことを以前に何回も書いた気もしている。これも一つの回復なのかもしれない。

隣人のおっさんのいかにも悪そうな咳払いが聞こえる。あのおっさんは朝っぱらから家にいて何にしとんのやろ、と思ってはいるが、タバコに火をつけ縁側に腰を下ろしウグイスが鳴いているなあ、とかぼんやり、お互い様なのだ。

向かいの家の太ったおばあさんがガタガタとコチラに向いた雨戸を開け、あら休みなの、珍しいわねえ、とか洗濯物をかけながら笑いかけてきて、いい天気ですねえ、とか答える。雨戸が開くとテレビの音が漏れ聞こえて来、期せずして野球の世界大会の結果が分かってしまったりした。居間ではかなりの爆音で流れているのだろう。耳もそんなに良くないのかもしれない。日本強かったですねえ、と伝えたつもりが、明日は雨らしいわねえ、と返ってきた。隣人のおっさんの咳払いは苛烈さを増している。心配してもどうしようもないから、そそくさと上着を被って部屋を出た。

私がたまたま、寝起きできる部屋を得たのは地名でいうと八幡町という所で、車が通れない坂の中腹にある平家の青い家だ。外観だけはめちゃくちゃいい。この辺の家はたいていプロパンガスで、引越しなんぞしようものなら、坂下に車を停めて、荷物を市道の石段を登り運ばねばならない。苦役という響きがぴったりの何か昭和くさい情景の引越しを何回か見た。台車に段ボールや冷蔵庫を積み、タオルを首に巻いた苦役人たちがだんだら坂を登っていく。どこまで上があるかどうかはまだ確認していない。あたしん家は中腹だが、まだまだ上があるはずで、そんな引越しに当たってしまった業者はいまどき災難だとしかいいようがない。

ときに横浜の街ブラ書籍で確認したら、こちら八幡町ないし、坂下の浦舟町あたりは一昔前はちょっとした歓楽街だったみたいで、いまは首都高と並行しているが、中村川というけっこうな川幅の運河が流れていて、実際、川のこちらがわには日本で最初に出来たらしい常設の演芸場がまだしっかりある。テント芝居に旅一座で各地をまわるあの、白黒の小津映画で見れるような、チャンバラ芝居がまだ毎日、生で見れるところで、夕方前におばさん達がぶわあっと吐き出されるように出てくるのを何回か見た。そういった川芸能のメッカではあるらしい。戦後から八十年代に入る前までは、河岸に舟を乗りつけた船乗りたちが、この今しがた私がチャリで下降りている通りを上り飲み歩いていたり、ようは歓楽していたわけだ。名残あります。ものすごい暗い角打ちのオープンエアな酒屋があり、暗すぎてよう入れないが、夕暮れ時、どこからともなくおっさん達が三、四人集まって、静かに物思いに耽ってるように見える。だらだら飲んでる様に亡霊を見たと言っては失礼か。

演芸場を起点にした浦舟町の商店街は短い。商店街は名ばかりの、いかにもうらぶれたような盟店街だが、いなり寿司や赤飯なんかも売っている団子屋は芝居帰りのおばさん達でまだしもアクティブ、デッドストックだらけの時計屋が通りに向かい合わせで何故か二店、八百屋、下駄屋、こういうのはどこの街にも、思い出すなら京都は出町柳だけれど、映画のセットみたいに物哀しくちゃんとあって、ちょくちょく観察していると、ネックレスとか指輪とかも置いてる時計屋の店主のおばあちゃんは毎日シャッターを上げていて、出入りするのは親族か保険屋くらいなのだが、とにかく毎日決まった時間に店に出向き、膝掛けかけて決まりの椅子に座り、日が落ちたらシャッターをちゃんと下げていた。

飲み屋は外から通り見る限りローカルな常連ばっかりでちょっと恐くてよう行けてない、むちゃくちゃ変な名前の、べろべろbarとか、串焼き豚陣地と、ヤバい駄洒落な店名がかなり多いのは土地柄なのか。場所は逸れるが伊勢崎町にある、油そばぶらぶらっていう店名はぎりぎりありだなって思う。行かんけど。

川を越えて、粋な下町アーケード、横浜橋商店街は今日も満員、チャリを降りて徐行し、大通り公園へ出、伊勢崎町方面、つまりダウンタウンへ赴くのが惰性となってはいるが、今日は結局また四谷のRという喫茶店に来ている。

ビートルズが聴きたくなったらこちらへ来る。外は先程から豪雨で春の風がびゅんびゅん吹いている。こういう既視感は言うまでもなく、そもそも一回は書き残しているはずで、薄く流れるセットリストからは二度目のペニーレーンが聴こえて来、二杯目のコーヒーは無くなりかけで、声のトーンがアンニュイでいい大学生らしい給仕はカウンターに肘をかけて文庫本を読んでおり、カウンター内のマスター翁はタブレットで動画かなんか見ていて音がちょっと漏れてる気がする。

なんのことはないんだが、三十六年も生きていて初めてトランペットが吹きたくなった。

セットリストは冷静に的確に回り続けており、ヘイジュードに至っては本日三度目です。