短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東京日記12

今、東京が異常に暑いと聞いていたけれど、実際はただ暑いというだけで、人々が非常に暑そうにしていたり、暑い暑いと言っているだけだ。

ただ今朝方、歩いて三軒茶屋駅前の喫煙所に赴いたら、先週までハイビジョンでけたたましく流れていたやたら喧しいキンカンのコマーシャルが流れておらず、すり鉢状の駅の踊り場の人工の滝も流れていなかったことは確かだ。節電か、もしくは朝が早すぎただけかもしれない。

それから、エアコンを付けずにしんや君のボロアパートで、ひとり昼飯を食べていたらえげつなく発汗して止めどなく、まるで食い物とセックスをしてるみたいになった。シャツを脱いで、短パンを脱いで、口元からしたたる汗がレタスに混じってやや塩っぽい… 

夏は摂食を生々しくし、生のダイナミズムをはっきりさせるものだなあ。食べ散らかし方も自然、荒々しくなり、生野菜や肉がコチラに喘ぎ声をあげているみたいに感じられる。なんでもかんでもフレッシュでうまいなあ…   ようは暑さによる食欲不振とは無縁、というだけのことなんだが。

ところで、夏の摂食がセックスだと認識、言語化されてしまった頭の中は自然セックスに行きつき、精子卵子に着床し外界に生み落とされるまでが十月十日と聞いているから、春生まれの私なんかは遠く三十七年まえのことではあるが、季節で言えばそろそろ今くらいに雛形が出来ているんじゃなかろうか、とか下らないコトを考え出すのが夏だとしたら、夏はまるで気まぐれな幻みたいだけれども、占いみたいなのを齧っていると、どうも人にはバイオリズムというのがあるということを実感してしまうといいますか、こないだも京都で二件、なんかしらんが無償で、心に隙間を感じているのかどうかは知らないが、占いをせがむ時点で心に隙間があると判断せざるを得ない女性たちの誕生日を聞き、テキトーなアドバイスをあれこれ口から滑らせてしまい、それでもしまいには喜ばれたりもするし、それはそれで悪くないか、ともかく自分的には思考が大分アクティブになって来ている所があって、実際的にどういうことかというと、先日浅草あたりで拾ったメガネの矯正視力を出町で矯正してもらい乱視だったらしい目がめちゃ見えるようになった、とか今日なんかずっとオフライン状態だった型落ちのアイフォーンを二年ぶりに(3GB)オンラインにしてみたり掃除したり自炊したり洗濯したり何かと身体等も起動しているみたいだから、二月前に陥ったとはっきり感じた性的不能状態ももしかしたら気まぐれの幻だったのか、そのへんの事情はポンコツゆえ自分では分からないが、そう推察できなくなくはない、風の歌とか心の声とかを聴け、という声がどこからともなく聴こえて来たような気もするが、もしかしたらクイーンのレディオガガみたいに幻かもしれない、タバコもうまいしメシもうまいという実感が気持ちいいし、はて、これから何しよかな、みたいな茫漠状態もなんか楽しいから、案外元気っていうことか、しかしながら依然、型落ちのアイフォーンのバッテリーはスカスカであり、摂食、セックス含め、なにかと色々お金がかかるという実感を言語化するとしたらなんだ、私は経済とでもセックスをしているんだろうか。