短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東京日記6

前回の日記(おとつい?)に「自炊に狂っている」と書いたが、そのせいか急に自炊に白けている。なおかつ食材もじわじわ枯渇していっている。文章に書いてしまって即白ける問題については、自分の中で再三、逡巡しているけれど、やっぱりなんでも書けばいいってもんではないのか。なにか縁起でもないことを書いた方がいいのか。ともかく無いことは書けない。

今昼の献立は昨日の冷や飯(シソの実入)、おあげとキャベツの味噌汁、ゴーヤの炒め物、黒胡麻豆腐。

ついにすでに真夏に突入してしまっているのか、食えば食うほど汗だくになるので半裸で食事。朦朧としてくるが、米がうまいのでたくさん食べた。最近は米の炊き方が我ながらうまい。コツは米がうまいことと、うまい塩をしゅませることである。なぜかしんや君の部屋にはうまい米とうまい塩が置いてある。浸透圧を利用しまくるというか、人力生理食塩水に米を漬けた後、空気にさらしておき、散歩などした後、また人力生理食塩水に漬けて炊く。しょっぱくしているわけではないが、ようするにエビアンみたいなミネラルウォーターにもさりげない塩味を感じるので、水道水に塩を入れたら人工ミネラルウォーターになってしまうんじゃないか、という仮説がふと立って、ここに来て即実践している。効果はもう出ているのかもしれないし、ないのかもしれないが!

また、朝風呂にもパキスタンの岩塩を入れさせてもらっていて、まるで硫黄くさい温泉水になる。飲み水にも混ぜるし、ウチとソトからいい塩で身体を挟み撃ちしている格好である。やたら汗が噴き出るのも、蒸し暑いせいもあるが、そのせいかもしれない。どっちにしろ、市販のバスソルトとか、姉とか使ってるけど、あんなん要らんで。

食後、昨晩寝る前と同じく本棚に置いてあった中原昌也氏の分厚い身も蓋もない日記本(2004〜2007)をゴロゴロしながらダラダラ読んでいたらそのまま寝ていた。身も蓋もないので寝るにはうってつけなのか。

起きたら起きたでスッキリしてると思いきや蒸し暑いしやたら気怠い。季節の変わり目かもしれない。

これまた本棚からセリーヌという人の「なしくずしの死」なる翻訳本がなんとなしに目に入って来、午前中に読んでいたら、主人公の同僚のギュスタンという医者が出てきて、その日の天候で患者の傾向を言い当てたりしていて面白かった。

ーふむ、ずっと涼しかったのに急に土用の暑さだ! いいかね、きっと甘汞が入り用になるぞ! 黄疸が空中に匂ってやがら! 風が変わったな…北から西んなった! 雨の上に寒さだ!…二週間は気管支炎カタルだな! 服を脱がすまでもないさ!…おれだったらベッドに転がったまま処方箋を書いてやるよ!…

どうもギュスタンは肝臓が悪いみたいで、主人公と連れだったカフェで寝落ちしている描写があったが、その後どうなったんだろう。

そんな感じに目が覚めたら、今日は二十日だから、私の誕生日を足したら49だな、とかいう自分占いをする癖がついていて、四十九日か、なんか縁起でもないかもな、死人の霊が成仏するまでの日数だっけ?

足したら13、嫌いな数ではないけれど、どことなく孤独がつきまとう数ではある。自由な孤独か。

とかいうことをもっとクリアに、夢の中で演算していたような気がしているけど、あれは確かに夢だろうか。

昨日新宿に置きぱなしにしてきたしんや君のチャリを取りに行かなくちゃ。取られてなきゃいいけどな。数年前、知り合いに借りた小さいチャリを新宿三丁目の職場前に置きぱなしにしていたら、人の仕業とは思えないくらい、ハンドルからサドルまでグニャグニャにされていて慄然としたことがある。そこらへんでボブサップでも酔っ払っていたのか。当時の同僚に陳情したら、

「置いていったお前が悪りいよ」と言われた。それもそうですな、言うてる間にちょっと涼しくなってきた。