短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東京日記4

年末年始にかけて、大切なレコードを売り払ってしまってから、抑制はしながらも結局レコード屋に入ってしまったりすると、まるでいつの間にか鼻詰まりが取れたていたみたいにすうぅっと、ちょうど欲しかった盤があったりして、そういう機会にはギリギリであろうと、手持ちがあれば即購入することにしている。

この度、といっても結構まえなんだけれど、滅多に入店しない六角通りのレコ屋になんとなく入ったら、持ち回りの店々では見かけたことがついぞなかったビートルズホワイトアルバム二枚組イギリス盤が、オフホワイトのシミがジャケットにけっこう入っていたものの、なにげなしに探していたので、すうぅっと購入。ママがやんわりビートルズおたくの二条のジャズバーで借りた、そのホワイトアルバムのエピソード本の翻訳版を予め読んでいたこともあり、つるつる内容が入ってきた。

ホワイトアルバムの肝は人それぞれ色々あるんだろうが、私としては、バンド内で苦渋を舐めていたジョージハリスンの才気復活にあると思う、とか書いていると何が日記やねんみたいになってくるので、詳細を省いて日記に戻りますと、今朝、居候している友人のしんや君の家でホワイトアルバムを聴いて改めて、めちゃ良かった。

そのホワイトアルバムは無論、私がしんや君にあげたやつなんですが、どうも大切なレコードを軒並み売り払ってから、あげ癖みたいのがツイてしまったみたいで、大切だろうがなんだろうが、所望したばかりでもアレコレを、持っていたらすぐ友人にあげてしまう。

別にトクを得るためにやっているわけではないんだけど、モノへの執着がやたら失くなってしまって、他にも色々加速度をつけて失くしているが、スッキリするのが気持ちよくて貯まらないんです。

先々月、あげるものが無さすぎてなんとなく、持っていたホワイトアルバムしんや君にあげるわ言うたら、

「おー、これ高校のとき聴いてたやつや!懐かしいなあ!」

というような反応も返ってきて面白い。

ていうか音楽偏差値もとから高いな。結局わたし二ヶ月後、彼の家に居候しているわけで、ただ単にマーキングしただけ、みたいになってるんですけど…   意識してるわけじゃないんですけど…

ところでそのホワイトアルバム。個人的に何が良いのかというと、全部なにかと聴きどころはあるが、白眉はやっぱりジョージハリスンのサボイトラッフル。二枚目のA面に入っている、雰囲気的には地味な佳作風のそれだがジョージが軽快。それにつけて、この曲中のブレイクを締めるリンゴスターのスネア二発がむちゃくちゃかっこいい。こういうニュアンスを、口であれ文章であれ説明するのがとっても難しいんだけれど、とにかくドラマーというドラマーに真似してもらいたい、抜きのドラミングである。簡単に説明するとパパパというブレイク前のスネア三発をリンゴは抜くのである。すなわちパッパで抜くのだが、リンゴのドラムは叩きかたが物凄い地味、よく言えば音をデッドにしているので、パッパの間の小さい「ツ」がほとんど聴こえない。抑制されている。つまりパ パと聴こえるわけで、これがまあめっぽう渋い。

この頃、六十八年か六十九年だったろうか、ビートルズバンド内はよもや散会寸前に仲が悪かったみたいで、ジョージ同様リンゴは、なんかのメディアのインタビューにおいてジョンに「ちなみにリンゴはビートルズで一番うまいドラマーというわけでもないしね」とか言われている始末で、いやはや可哀想で堪らない。もしかしたら、イングリッシュジョークも含まれているのかもしれないが、つまりはジョン、ポールのドラムが一番うまいことを暗に仄めかしていて、実際ホワイトアルバムの一曲目のバックインユーエスエスアールではポールの曲ということもありポールがドラムを叩いているが、そんなレコーディングはビートルズ史上初めてのことだった。

バックインユーエスエスアールは当時勢いのあったビーチボーイズに対するポールのパロディらしいが、バンドの曲というよりポールのソロというようなこの曲が実際にはファンにはウケて、その後シングルカットされたという皮肉に私はびっくりするわけで、ようするにあんな軽薄な歌は無いと思っている。とにかくドラムが軽薄なのである。バックイン…が終わってディアプルーデンスのドラムが始まった時の安心感といったらない。

そんな安全地帯みたいなリンゴスターのスネアドラミングパ パが聴けるサボイトラッフルはまさに彼とジョージの信頼関係の結晶であり、ジョージはホワイトアルバム唯一のリンゴの曲ドントパスミーバイでも曲作りを助けている。そもそも、この二人の良さもジョンとポールありきなのだが、卑屈な私はどうしてもこの頃のジョンとポールに高慢ちきな雑味を感じてしまう。

それはそうと、今朝たまたまかけたサボイトラッフルの余韻を引きづりながら代沢の緑道を散歩、池尻大橋に出、そのまま三茶の方へ、首都高の下をぼんやり裸眼で歩いていたら、パ パを繰り返していた視界に横文字でトラッフルという看板を出した店を発見して「お」と思った。なんの店かは知ったことではないが、こういうのを良くいえば、シンクロニシティとでもいうのかもしれない。しかしながら最近では、こういうことは日常茶飯事。私の中では「無駄な霊感」と分類されていて、よくあることのような気がすることさえよく忘れていて、たまにかち合って、ちょっとびっくりする。