ねじ式健康呼吸法その4
(今回は晩年の吉本隆明先輩風でいこうかな)
今はどうだかわかりませんが、ひととき自己肯定という言葉を巷でよく聞きました。
この言葉には私が思うに少し恐い側面があります。
同語の発信源であるともいえるアドラーという心理学者が説明するところによると、ライフスタイルつまり一人ひとりの生き方を考える上で特定の誰かが例えば「さらに自分を高めていかねばならない」とかいう風に思ったり感じている時、彼は常に「相対的マイナス状態」にあると捉えられます。
つまり「自己肯定感を高めていかないと!」と言っていること自体が「自己肯定感まじでありません!」と言っていることと同じなのです。これは冷静に考えますと、たいして発展性が無い、わざとらしい言葉のドツボにはまっているようなものなので、だからといって人の頑張りや向上心を無下には出来ませんが、私は「頑張る」人をどちらかというと信用していません。
同じロジックを用いると、例えば「私ってほんま酒癖悪いねん!」というようなことをしばしば友人等に訴えている人をちょくちょく見かけますが、私自身、酒癖が悪い人が結構好きな事をさておきまして差し引きましても、いささか子供っぽいといいますか、「そんな頑張ってる自分を認めてくれる?」という強かな欲求ばかりが透けて見え過ぎてしまってやんわり若しくは速攻に距離を置きたくなってしまいます。
こういったことを面と向かって実際頑張りまくっているように見受けられる誰かに伝えると大抵トゲばかりが受けとられるというか、特にレデイというのはデリケエトである場合が多いのか直ぐに「ほんなら私喋られへんし、もうアンタには何も言わへんわ」というような状態に陥ってしまうので困ってしまいます。ようするに自己批判が出来ないのです。
批判と否定は全く別のものだと思います。
「なんで私の悪いとこばっかり見つけるの?」と誰かが言ったり思ったりする時、それは当人が自身を既に否定していて、他人の思いを率直に受け取れる状態に無いと吐露しているようなものです。往々にして自ら何かに疲れ過ぎているのでしょう。建設的な話にはなり得ず、たいてい見ず知らずの出来事や見ず知らずの誰かの話にばかり執心していて、ちっとも面白くありません。
悪意があろうが無かろうが、言葉尻が丸かろうが上品だろうが、こういう人は言動に攻撃性の強い場合が多いので三歳くらいの子供っぽい健康な子供と稚拙な言葉を交わしている方が面白い。
ちょくちょく宅に会いに行っている友人の兄ちゃん、もとい友人の娘がおりまして、こないだ不意に彼女が私を暗い寝室に招いてくれたのですが、その大人ぶりにびっくりしてしまいました。どうやらトイメンで内緒話をするムードを演出してくれているようです。少し恥ずかしそうに身を捩りながら、
「○○ちゃん(友人の娘)な、子供が出来たらあ、男の子だったら✖️✖️くんて名前つけんねん。女の子だったら、、」といった告白を受けて私は度肝を抜かれてしまいました。いと微笑ましいというか、真摯というか、おてんばというか、シチュエーション的に君は今、私に抱かれてもいいというモーションをかけていると誤解されても全くおかしくない意思表示をしているようなもんですよ!
とは、まあ、伝えませんが、なんと直接的で面白いなあ。
彼女は身許にお母さんが居ないのですが、それにも拘らず自然に女の子に成長している不思議。どこでそんな表現覚えて来るんでしょうね。
とにかく、なんでもしたい、なんでも出来る、という可能性が体から溢れていて、今、わりかし身近の中で、とても勉強になる存在の一人なんです。
いやはやロリコンと思われても仕方がない前置きが長くなってしまいましたが、、
【ねじ式健康呼吸法その4〜川のほとりで真言エブリシングマストパスを唱えまくる〜】*夏は暑いとひたすらに叫び続けたい方はご遠慮ください。その5は次回です。ステイホット!*
いやあ暑いですね。
ところで先ず、鼻詰まりをなんとか取った状態でもって、動いたり、汗かいたりなんかして、特に脚が疲れた状態まで持っていく。
其れから、適度に足を漬けられるような出来る限り淀んでいない川を見つけて、煩くない日陰をオキュパイする。
腰を据えて、タバコなど一服したのち、水を手ですくい顔を洗ったり、腕や脚にかけたりしたら、それだけで取り敢えずクーリッシュ。
リラックスできて尻がなるたけ痛くない落とし所が決まったら、真っ直ぐ見据えた視界のセンターに意識を据えるポイントのような何かが見つかる。石であれ、植物であれ、落書きであれ、パッと動かない何か。
もし余裕があるなら視界のセンターから両翼にかけて左右対称か対称に近いスポットがより好ましい。(ちなみに神社はたいていシンメトリーに作られている。寺もかな?)
ほんでもってリラックス状態を保ちながら、背骨をすうっと弓なりに伸ばす。この時点で、臍の下のあたりで腸がギュルルと回転するような音が聞こえたら、あなたは既に決まっている。
腹から息を捻り出すように吐き切るギリギリのタイミングで鼻から川の流気を思い切り吸い込んだら、普段の瞑想より効果がまったく早いことに気付くでしょう。
遅くとも三呼吸くらい満遍なくしていたら、頭の奥からマイブラの音楽がぶっ壊れてサンバ調になったみたいな音が聴こえて来、前後不覚、ハードリラックス状態、まるで身体にダブがかかったように浮ついてくる。
なんとなく慣れてきて、意識が散漫になってきたら川の流れに意識を及ばして、このような真言を唱えましょう。
すなわち、エブリシングマストパス
和訳するなら、一切は過ぎ去りまっせ
もくもくと唱えていると瞑想が長持ちしたりします。
だいたい自分においては気持ち良すぎて五分で限界が来ますけど!
事後もちろん、脚はすっきり頭もすっきり、事前より風が涼しく感じられるようになっているはずですヨ!
健康第一!
マネーがあったら尚いいな!