短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

スカスカ夢日記4

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とあるレコーディングスタジオ。

地下です。薄暗くて風通しは悪いけど調度品はなかなか豊かで、皮の三人がけのなめし革のソファーは家主いわく70万したらしい。いったん腰掛けたらついつい横になって結局寝てしまう。エンジ色の柄もの絨毯がしきつめてあって、照明はシャンデリア。熊の置物もあるし、日本人形も置いてある。食器棚は鈍いバーガンディ色のカリモク製だ。

いつものメンバーがくだけた録音作業をしていて気の置けない、というか惰性だな、金のかからない時間潰し、維持費のことは家主が地上で済ましている。一階はカルト宗教じみたコミュニティカフェだ。毎日だれかしら、座敷で近隣の主婦が主婦に手製のお守りとかクッキーとか売ってて、家主の鹿肉のカレーとかフェアトレードのコーヒーとか(原価はたかが知れている。ジビエはいただきものだし)それなりに高く値付けされた逸品をちんたら飲み食いしながら共感の輪みたいのを拡げている。

ちょっと前よく風の通るその一階のカフェの座敷スペースで死んだミュージシャンの奥さんが死んだミュージシャンの旦那の曲を息子の伴奏と一緒に歌う、という催しをみた。

決して便のいい場所ではなくて、市街からのバスは平日一時間半に一本、ダムのある山の谷あいの国道沿い、最寄の停留所は辰の落とし子弁財天。名物の「やわらぎ水」目当ての参詣客はちらほら見受けられるけど、せいぜい週末に2、30人とかちゃいますかね。

その催しのたけなわ、夜の八時くらいかな。地下でカーペットにコロコロクリーナーをかけていた僕は平常通りの気怠さをもって冷やかしに、たまには上を覗いてみようかなと思いたってそろそろ階段を登りまして厨房というか台所を通っていたら家主家族のプライベートな居間の引き戸の隙間から斑の飼い猫と目が合った。

猫はファックス台の上にましまし、こちらに向けギャッという威圧感を放って尻尾を逆立て、僕は毎度のようにゾッとなった。三年くらいは借り手として世話になっているけど猫には余所者と思われ続けている。なんとなしに直感できる、彼女の敵意はこれから先も失くならないだろう。

それはそれでインドの琵琶の爪弾き音がてろてろ響いてきた。

張り詰めているかんじはないけど、静聴ありがとうございますって雰囲気。そんな誰もおれへんやろ思いながら腰をかがめて障子戸をあけたら曲に合わせて20代から50代くらいの生成りのワンピースをきた女たちがぞろぞろ、ハワイアンダンスみたいなのを皆が皆、それぞれの恍惚を表しながら踊っていてついつい、思わずゾッとしてしまった…

谷あいの辺鄙なお店でぞろぞろ…

そんな胡散臭さを通奏低音みたいに感じながら俺は今日も現状維持。

すでにベロベロの先輩のシャオさんがボコーダーシンセでミョ〜ンとした音に執着している時、僕はミョ〜ンに心なし同調しながら背筋を伸ばしてグラスを拭いている。テーブルの上の吊り下げ照明がゆらゆらしていて、時折光色が淡い紫に見えたり見えなかったり気のせいかなとか思ったり。

今日はかなり有名な地元のロックバンドの生収録、生配信、生演奏が控えていてちょっとそわそわしてます。先方、この不景気で気でも迷ったんだろうか。そういえば十数年前くらいに紫野のどよんとしたカフェでシークレットライブしてたな。あそこの店主最近亡くなったらしい…

唐突に、なんだか剽軽な表情をした折坂くんがやってきた。やけにヘラヘラしている。

そんな感じの時もあるんや、なんか変だなと夙と思ったけどそこは時の人、僕もけっこう調子のいい人間なので、お酒を要求されたら下手はこけない。

めっけもんの年代物のホワイトホース12年を開封することにしたんだけど、小気味いい音は出ず、コルクがぼろぼろと崩れて酒に入ってしまった。

先輩は相変わらずミョ〜ンと音を出している。

茶こしで濾してコハクイロの街♪♪

今日はペースが早いですね、いつものペース知らないんですけど、

「そうっすか?どうなんですかね」

「あ、なんとなく」

「ところでヨンニャムチキンあります?」

はてな

よんにゃむ?

いつの間にかボコーダーの音が破裂音になっている。

行きます!

と折坂さんは財布から(たぶん)韓国の紙幣を渡してきた。

私は寸、あっけにとられたが、そこはトンチかもしれんと意識を切り替え、先方の顔を正面から見定めたが、ことさらにへらへらしていてピエロみたいだ。

くるりと振り返ると、一応はガラス張りの収録室で今日の主賓がガットギターを弾きながら歌っている。

上から下へのストロークがベベベベベベン、ひとつひとつの弦をしらみを潰すみたく押し鳴らしていて、少しばかりこちらに音の質感が漏れてきたくらい。

大御所感ってやつか。

なんとなしに感心している自分がいるなあ。