短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東京日記5

今更ながら節約するつもりが案外やっぱりできないタチで、それにつけてボンヤリここ何日か、自分のためだけの昼メシの自炊に狂っているのもあって、今日は三宿豆腐屋で、お揚げさんだけならたった七十円なのだけれど、さすがに七十円の買い物だけではみっともないし実際、黒胡麻豆腐も食べてみたいと昨日から思っていてつい、七十円プラス二百五十円の会計を済ました。どっちにしろみっともないか、予想していた高野山の豆腐みたいのではなく、おぼろ豆腐にあっさり黒が乗っている感じのやつで、ワサビをつけただけでとても美味しかった。清涼感があった。

こないだしんや君に五千円借りた時は、なんとなくフラフラ二人で散歩することになり、ノリで中目黒まで行くことになった。

その日の朝から、彼が言うところの「ツーカー」状態にある、つまりオンラインしっぱなしの彼の恋人が絶えず食卓での会話に遠隔から参加していて、オフラインと直接対話に慣れ過ぎている私としては、この辺は微妙な世代ズレ(三歳くらい)もあるのか、慣れないところはあるにしてもそれ以上に新鮮だし、彼らがオンラインに慣れまくっていることもあるので、こちらも便乗電波として無理なく付き合ったつもりでいる。

つまり、電話しっぱなしの恋人たちの間で一方には身体ごと、一方には声だけでお相手をさしてもらったわけだけれど、何かの拍子に以前、細かくは覚えてはいないにしてもしんや君と中目黒の、彼が言うところの「小山田橋」という小さな赤い橋で二人の写真を収めたことがあったみたいで、それをオンラインから三人のグループラインで差し出された時は正直びっくりした。当の本人が覚えていないデータを第三者が見ていて、前もって把握している事実に。空間時間に関係なく情報感度が高いんだろうな、と思った。ちなみに「小山田橋」というのは某しぶや系元カリスマバンドのアー写へのしんや君のパロディ言語であるが、そんなこと言うまでもないか。

ただの絵面とはいえ、過去の自分を差し出されてみたらみたでジワジワ過去を思い出してくる。若い幼いどうしようもなさそうの三拍子が二人揃って写っている、姿勢も極めて悪くて、私は真っ青、彼は真っ赤なイカにも安そうな上着を着ていた。彼に付いてやっていたユニットみたいなもののツアーのようなものをしていた時、浜松(こちらで最初で最後かもしれない「さわやか」に連れて行ってもらった)、横浜、それから国立だったかその辺のどこか、最後に幡ヶ谷で演奏のようなことをした後、戯れで撮ったやつで、その写真を覗いているとどうやら撮影者がいたことも同時に、ぼんやりながら思い出す。おそらく当時、七年前とかその辺か?その辺のやたら古くて広めのアパートに住んでいたKくんだろう、ということも思い出す。ビルとビルの間隙にひっそりと、二階建てのそこは確かにあった。やたら明瞭でデカい低音の出る幡ヶ谷の地下にある狭いイカにもライブハウスというようなライブハウスでの演奏を終えたあと(薄ぼんやり実感として、ここでの演奏だけは本当によかった覚えがある。機材が物凄くよかっただけだろうか)、彼のアパートにお世話になり、泊まらせてもらったんだろう。夜だからか、ビルの間隙にあるからか、やたら仄暗い空間で彼の自作のキャンパス絵が置いてあった。パリテキサスとか、そういう映画でも観ながら寝たのかな。

自分でも覚えているつもりのなかったことを遠隔からでもぞろぞろ思いださせてくれるオンラインははっきり触媒で、やっぱりすげえな、と改めて思った後日、しんや君を通して八丁堀で面と向かって再会したら、七年前と印象が変わっていなくて安心したところもある。彼、当時、私が店みたいなことをやっていた出町柳にちょくちょく現れていたのである。今でこそ客観的に、いい意味で驚いてしまうがそこには、何の指向性もなく、衒いもなく、営利目的もなく、すっとぼけた素の素みたいなものしかなかった半分外みたいな場所にふと、彼は近所のパン屋で見初めたらしい出来立てのパンを私のコーヒー屋に持ってやって来て(持ち込みも人によってはなんとなく許していた)、本気の他人事みたいに「これ美味しそうですよねえ」と言ってパンを手でぱかんと割く様をカウンター越しにお互いで見ていた。まさかと思ったが割かれたパンの間からはぽわあんと湯気が立っている。

「✖️✖️堂のパンがこんなんなってた試しないで!」と私が言うと、

「え、だって焼きたてだし当たり前じゃない?」と、オンラインは言った。

今では、開いたり開いてなかったりする、町のごくふつうの駅前のパン屋のパンのことだ。

 

これから中目黒に散歩に行くという私たちの思いつきに対し、そんな彼はスタバ行きを勧めた。

アミューズメントパークみたいで楽しいよ!」

散歩する植物、触媒の触媒状態にあるしんや君は、「ええやん、あそこはタチのプレイタイムみたいな感じやぞ!知ってるか?」とこちらに言った。私は「タチはおじさんしかみたことないなあ」と言った。

「そんなもんかあ」

私たちはボンヤリ目的地に向かって散歩している。

しんや君は「全編一発取りでばかでかい建物の中をウロウロするだけの映画で商業的には大失敗やったらしいけど僕はめちゃくちゃ好きやねん」と言う。

触媒の触媒の触媒のような私は「そういえば、そういう感じのロングショットがおじさんにもあった気がするなあ。違うか、観たんかなあ?」とか言った。

「まあとにかくおじさんの後の商業作ではあるんやけど、大ゴケ!」

なんとなく二人で爆笑しながら入ったスタバはもはやスタバではなく確かにアミューズメントパークだった。平日にもかかわらず、さすがに世田谷区で見るような方々とは違った人種が昼下がりに小混雑しており、二階には緑茶用の石臼まで置いてあり、三階では揃いのしゅっとしたワークウェアを決めた兄ちゃん三人が物凄い焙煎機でクラフトワークみたいに生焙煎作業をしている、四階のベランダからはエグザイル関係か何かのダンススタジオが丸見えだった。

こういうのが近未来的で最先端なのか?私はコーヒーくらいはスタバだろう、と早合点して頼んだ、メニューの一番上に書いてあるナントカという豆をアメリカーノで頼んだらナント六百五十円もして、しみったれた話ではあるが、また散財してしまったと一瞬途方に暮れたわけで、だからといって後悔しているわけでは全然なくて、カウンターにずらっと並んだ、お湯が金のパイプから計算づくで、スプリンクラーみたいに飛び出る自動式機械ドリッパーでドリップされたドリップコーヒーを同じ豆で注文したしんや君を少し羨ましがりながら見ていたところはある。値段もさほど変わらなかったので、そっちにしたらよかったな、と思って。

試しにちょっともらったが、味はまあスタバやなって感じ。

ひとしきり、身をもって歩き回りながら観劇するみたいに上へ行き下へ行き横へ行きベランダで談笑した夢っていうか穴から抜け出るみたいにスタバから出ると目黒川の沿道にけっこうな琵琶の木があって実もたわわだった。柵から川側に身を乗り出して、実の成っているあっちがわにぶらーんと伸びた枝の方に手を伸ばしたけれど、ぎりぎり届かず、私たちはタバコをふかした。

「いやあ、やっぱり金を惜しげもなくかけ過ぎてて、逆にスカッとしてるなあ!」としんや君はスタバ焙煎工場兼キャフェーに対して言った。

その後か先か忘れたけれど七年前の「小山田橋」に赴き、タイマー撮影で並んで撮った写真は「ツーカー」状態のオンラインの元にすぐさま届き、感想もすぐさま戻ってきた。

「なんか泣けるねえ」

言われてみれば、たしかにそんな感じもするねえ。

というようなことを先程一人で、しんや君家の本棚に置いてあった「プレーンソング」という保坂さんの小説の文庫本を久しぶりに読み終えた(好きな喫茶店Tで一息に。好き過ぎてコーヒーおかわりしてもうた、節約…)こともあり、数日前のことではあるがなんとなしに思い出していた。あれはどうも一九八六年の出来事が描かれたものらしい。つまり私が生まれた年のことだ。刊行が九十年だから下手したら書き上げられたのは八十九年だったりして、とかいう憶測はこの際どうでもいいか。

午後七時。緑道の死角に座って青いアジサイ見たり見なかったりしながら書いていたらどうやら雨が降ってきたみたいです。