短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

周回遅れの日記 

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   五月七日 曇天

 午前九時起床。掛け布団のカバーが盛大に破れて中身がみえている。

 このカバーは確か、まだ大学在学中にロフトで買ったやつ。往時、ようするに二千年代初頭だったかな、まだ勢いのあったムードサイケバンドのシロップみたいなノリの曲がロフトで執拗に流れていたのを覚えている。

~♬あれもこれもそれもこれもロフトでゲット♫♬♫~

 ベースラインが太くてグルービーでかっこよかった。ロフト自体もロフトがロフトであることに矜持を持っていたような時代だ。スカスカなりに様になっていた気がする。ようするに景気がマシだったのか。

 そのロフトで買った布団カバーはうぐいす色のあんこみたいな色だったけれど褪色して厩の干し草みたいな雰囲気になっていて、ところどころ母親のパッチワークが施されている。いかにも貧乏臭いのだけれど、そもそも買ったときからじじむさかった。実家って、ていうかおかんってそういうのちゃんと残しておいてくれてすごい。なんでも取って置いてる。

 布団のことはどうでもいいが、なかなか布団カバーの予算が下りない。それにどうでもいいが何でもいいわけじゃないみたいで、そもそもどこに買いに行けばいいのかわからない。一見手軽そうな無印良品は極力行かないようにしてる。ニトリも同じく。

 布団に限らず生活用品全般が苦手になった。やればできる、というか買える、が誰でもできる。

 なんとなく湖畔のホテルに住んでスルメでも齧って暮らしたい気持ちになっている。

 しかしながら新居はかなり好きです。監獄まではいかないが、なんというか女郎部屋みたいで。つまり、いい具合に狭い。

 雨がいつ降り出してもおかしくないように見えるけれど、こんな日に限ってチャリに乗ろうかなとか思い立つ。かれこれ一週間以上乗ってないような気がして。下手したら二週間か。散歩がけっこうライフワークなのに。

 今のマイマウンテンバイクのサドルのカバーがズタボロになっているんだけれど、出町柳のナミイタアレイの大家さんの息子のお下がりで、なかなか替えが思いつかない。息子の趣味だったであろうサドルカバーのズタボロと等価か、それ以上の何かが見いだせないのだ。特に自分が物持ちがいい、というわけじゃないんですが。

 それはそうとして軽快にチャリにライドン。まだ雨は降っとらん。

 この部屋に越してから余程の遅刻がない限りレコードをかけたまま出る。

 盤が終わったら勝手に針が上がる便利なレコードプレーヤーをジモティでゲットしたのです。五千円払ったけど。呉れたのはせどりで生計を立ててそうな欧米人だったな。

 私は鍵はかけない。鍵アカとかなんのことかわかんない。

 レコード、今日は何かけたっけな。出てすぐはその音の余韻をひきづっていて楽しい、思い出せないけど、まあ帰宅したらわかります。

 そんでもって、この歳になってアホみたいだがチャリの手放し運転にはまっている。

 たいてい木屋町を北上するけど、河原町でやると尚おもろい。市バスが走る後ろを徐行したり迂回したりするのがスリリングなのである。

 これは私の疫病流行後の一年の体幹レーニングの賜もので、気が付いたら九十度のターンもすうと出来る。もちろん車がやみくもに走ってるときはしないけれど、車がやがて確実に来ることも含めて、手軽な集中法、チューニングになる。やめ時も重要。もちろん意識は丹田、あとはテキトー。鼻くそだってほじくって飛ばせます。マスクもグラサンもながら外しができます。Nちゃんのこともあるので事故らないように励行。彼の入院中はこちらの方がむしろ多分、あんまり生活の記憶がない。蟄居。時短やらなんやら休店やらで暇だったのもあるけど困ったもんである。おないのT氏も糖尿病で入院してたし何が起こるかわからん、それに尽きますな。

 いつも通り六角のダロンド氏の店でコーヒーを飲む。

 話にオチが無さすぎる、と言われる。

 まあオチはないな。

 関西人にはウケへんで、とも言われる。

 はい。

 それから久々に月曜日のミカちゃんの喫茶店まで走ってオムライスを食った。

 食った気がしなくてもう一個食ってもよかった。

 カウンターに置いてある高野文子のマンガを走り読みしたが、その主人公もやたらオムライスを食っていた。

 月曜日のミカちゃんにAちゃんの連絡先を教えてもらう。岐阜くんだりで知ったが、なんや知らん間に身重らしい。彼はウナギの寝所に住んでいて、ひとりで雄犬を飼いだしたとか。何かとストーリー性の強い展開で気になりまくる。犬も好きだし。彼は魅せる役者みたいだなあ。

 雨が降ってきたので、竹林の坊主の店へ出向く。雨が似合う場所。京大の正門前あたりにやたら警備員がたくさんいたので構内を通るのをやめ、吉田神社の横を迂回して走った。

 竹林の坊主は、酒のボトルが一掃されたカウンターでコーヒー豆をピッキングしていた。近況を尋ねると、

「なんで前からしてへんかったんかゆうくらい快適やわあ。朝起きてな、朝ごはん食べて、昼ごはん食べて、夕ごはん食べて、それで九時にお風呂入るようにしてんねん」

 そういうのは、とてもいいなあ。

「それで朝に京大のベンチで三十分くらい本読んでんねん。人がおらんええポイントがあってな。日も当たってええ感じやねん。それからうなされることなくなったわ」

「うなされてたん」

「うなされんで」

「夢」

「妄想とか気がついたら永遠にしてるしなあ」

「差し障りのない範囲で聞いていい、内容」

「なんかお隣のおばさんに会いたないなあ、とか」

「そんなんやったらいくらでもするわ。それ妄想に入んの?

僕、朝起きたばっかりとかに、ひとりで架空の誰かといちゃついてんで」

「わかるわあ。布団抱きしめてたりするなあ」

「せやけど自分がその対象になってるとこはまじで想像つかん」

「私もそれはないやろなあ。こんなんやし、そこはまあその人の自由やろ。ひとりよがりでええねん」

「そうかあ」

とかなんとか身も蓋もない会話を楽しんだ後、彼が猫のエサをボウルに入れてるのをみて、高瀬川の商店のネコの餌やりを頼まれていたことを思い出した。予定の時間から四時間ほど過ぎている。

「いやあ、ぼけっとしとったわ」

「雨やしちゃう?」

 そう言われてみればそうかも。

 それでチャリを置きぱなし、市バスに乗ってきたわけだが、いいか悪いかは別としてなんかオチのない夢みたいだな。

 二千年前後にやっていたと聞いている「羅針盤」というバンドの「リフレイン」もしくは「アドレナリンドライブ」という歌が二十歳くらいから大好きで、その終盤の歌詞♪ どこからどこまでが夢なのかとうにわからなくなってる 誰もがほんとうは夢なんか一度もみたことがないのかもしれない♪が、たまに頭を去来する。だいたい雨降りでまばらに空いた市バスに乗ってる時かな。それかチャリ手放し運転中。

 ネコは近所でのバイトを抜け出して来ていたMちゃんに抱かれて丸くなっていた。かなり憔悴してるみたいで顔を近づけても目の焦点がなかなか合わなかった。

 どうも、なんとか禍の折で商店が閉まってる間、外へ出てお隣のクリーニング屋の猫捕りに捕まってしまったらしい。網づくりの窮屈そうなやつ。

 なんかあっし、旅行とか楽しんでて申し訳ないかんじ、すまんな、仕方ないが、不憫だ。

 で、Mちゃんが帰ってから、この日記を猫の隣で書いとるわけですが、ちょぼ穴、少しく生気が出てきたかな。

 午後六時半。いつのまにか生活の中に猫がいて、猫の生活に自分も、もしかしたら少しばかり欠かせなくなっていて、なんだか、よく考えたらすんごい不思議。