ソカイ日記六
そもそもが目に見えないばけものなのでコロナの厄介といのは収束しそうにない。
本格的に前近代に逆戻り。というか、それにつけて国のもってる雰囲気というのは発展しようがしまいが変わらないと思うので金持ちはトンチキで貧乏人は悲惨なままである。ミザリーだ。
それにしても京都の鳩は美しい。
飾り気がなくて慎ましげで清潔で痩せすぎでも太りすぎでもない。でかいピアスもつけてないし、コロナを気にしている風でもない。人畜が少なくなっているせいか川から道に上がって腹を地面につけて無警戒にひなたぼっこをしている。
ところで、愛すべきダロンドみたいな店主がやっている六角通りのカフェーに寄ったら翌日からコトが沈静するまで閉めてしまうらしい。
往来のひとびとが夢みたいに通り過ぎて、通り側の出窓からきもちよく風が吹き込んでくる得難い場所なんだけどなあ…
「どうもご無沙汰してしまいまして、…一遍お伺いせんならん思うてましてんけど、お許しのないのんに上がってええのんやらどうやら思うて、…お宅の前までは二三遍参ったんですが、ようはいらんとしまいましてん。…」
「まぁ、気の毒に。何で寄ってくれはれしません」
「僕、心臓弱いもんですさかい」
がらんどうの祇園から岡崎へ向かって疎水が流れる堀のベンチで釣りをしながらタバコをふかしているおっさんを見ながらドッグオブザベイを聴いて月曜日のミカちゃんの店に寄ったら、つい先々月に渋谷の道頓堀劇場で踊っていたY氏に出くわした。よもやま話をしていると面会謝絶中の元配偶者がとある青年に連れられてやって来て面食らった。ムスコちんも一緒である。いくらか事情を知っている店主とY氏は目を合わせくすくす笑っている。Y氏が、
「悪いことはできへんなあ」と云った。
「パーシーくれた人だ!」
と、彼ははじめ恥ずかしがって距離を置いていたが、だんだんと落ち着きがなくなってきて、とうとうカウンターで黒い水をすするこちらの膝の上に乗っかってきた。
「コーヒーいれてんのか?」
と訊いてきた彼はもう三歳である。
それなんなん、とシケモクが積まれた灰皿を掴もうとするので、大人の嗜みや、とこたえて、彼を引っ張って外へ出て、きゃらきゃら笑いながら走るのをおっかけて抱っこしたらとても自然だなあ、と思った。
私ももともとスキンシップは好きです。