短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

アーモンドアイ

狂い坊主が歩いて行きます

うちわのような太鼓をたたき

荒々しく狂い坊主が歩いて行きます

けれどパンクしたバスはなおりません

(江島寛「パンク」より)

というような詩がたまにツイッターのタイムラインに流れてきていちいちはっとしてしまう。いわゆるロボットツイートで、一定の間隔で詩人の詩がランダムに、言葉通り機械的に、こちらの意識に滑り込んでくる訳だけれど、なかなか機を得ているというか、ぼやあとした意識に石が投げられたみたいで、ただの偶発とは片付けられない気がしてしまうのが不思議だし、それに狂い坊主とパンクしたバスに因果関係はないとも思うんだけれど、そこはかなり恣意的に、確信的に、ある詩人が、碁石を碁盤に的確に叩きつけるみたいに的確にこじつけていて、そこにやけくそなセンシティブが光っているなあ。

ところでその人は、欲に忠実というか、目の前の獲物を確実にやる目をしていて、なんだかギラギラしていたから、けっこう苦手かもしれん、という印象を最初に持ったような気がするけど、それは多分、あんまり関わったことがないタイプだっただけのことで、一緒に仕事をすることには次第に慣れていったが、けっこうしみったれた職場だったので、もういいでしょ、と言わんばかりにとうとう先日辞めてしまわれた。

私は、1980年前後に活動していたINUというバンドがすごい好きで、といっても一時期、彼らが一枚だけ残した黄色いジャケットのボーカルの男が目をかっぴらいてこちらを睨んでいる様がものすごく印象的な、それを執拗に、浴びるように一時期に聴きこんだだけに過ぎないけれど、その音源のなかの曲曲が、いわゆる前述の偶発的なロボットツイートみたいに頭をよぎったりするときがあって、ひとりでにどきりとする。

そのときはおっさんとおばはんという曲の最後に繰り返される「俺はお前を正確にやる」というフレーズが去来していたし、まあ、その人はやっぱり詩人だし、パンクスを自称しているし、浮かび上がる度私は震えるよう、震えて、この凡庸極まりないフツーの素行を反省しなくもないが、そこは私はパンクスではないので、一刹那パンクスに憧れたりして、たまには怒りが同期して、意味もなく相手を睨みつける目の奥で種火がじりじり弾けていて、潤んでいる、危ういその人はまかない休憩のあと客席のソファに脚をだらしなくへばりつけて、坊さんが百日ばかり護摩行に努める動画を見ていて、いやさあ、とこちらにそれとなく話し始めた。

「俺、最近さあ、アーモンドって完璧なんじゃねえかなあ、って思ってさ。他の食いもんを一切絶ってるんだよね。」

一通りのもんは全部摂取したんだよ、と彼は言った。

私は、ああこの人ならやりかねない目をしているなあ、と思った。

                                        了