短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

歌詞再考

f:id:kon-fu:20190920052429j:imageもともと夢日記のように詩を書いていたので、詩といってももっぱら歌詞かしら、それはたまたま思春期(というものが限定的にでもあるとしたら)に音楽にはまってしまったので言わばその負債をちびちび支払うようにつくる、なんとなしに生み出すまとまりのない何かを、歌詞というのはたいていもとから時間の制約がタイトな歌という外殻の中の世界なわけだから、こんなよな文章のように緩慢ではない、今では私はなんでだか知らんまま、このような緩慢な文章に賭けている節があるのだけれど、例えば誰かが表現をエディトリアルデザインだ!とか言ったら、確かに分かりやすい方がいいなって素直に反省したりする自分もいて、そしたらやっぱりこの緩慢な文章は何を言ってるのかわからんからとりあえず端的に言い換えてみようか、という気勢も出てくるので歌詞はある意味文章のエディトリアルデザインだ。

それで、人ひとりの人生を一介の自費出版著作歌曲に置き換えてみると、人生なんていうのは「雰囲気」に落ち着いてしまう。

なぜならある歌というものに対する多勢の反応というのは至ってシンプルで、「なんかいい」とか「めっちゃ好き」だとか「トイレでなぜか流れてくる」あるいは「嫌い」みたいに極めて稚拙な言葉で表され、その時言葉を積みあげていくより特に力強い説得力があったりする。これがミソである。

そもそも歌に置き換えるまでもなく人というのは雰囲気でしかないのかもしれない、と断定してしまうとまた話がワヤになるので和訳をすると、文章が分かりにくい(ような気がする)ので歌詞でも作って雰囲気を分かりやすくデザインしてみよう、という試みを思いついた。

 


「物流」

 


ルート配送

誰もしたがらないし

朝早いし

君眠いし

だから物流

に関わる君に一目惚れさ

されど物流

顔はそんなに見ていないのに

毎日バゲット届けてくれる

 


「本棚」

ひときわ好きな王将の本棚まじでマンガ揃ってないから

かえって気がかりになってしまって

不揃いを探すよ

三条のブックオフ

 


「長野」

この湖、なんていうの?

一度聞いたら忘れたかわりに

インド人がはるばる住んでる

長野で食欲不振が治った

 


「向かい側」

足の組み方いろいろある

視界は実に270度

ソファの配置に笑える

座面も半笑いなのがわかる

24時間やってる喫茶店

 


「ブイチューバー」

ひとりでに動き出したなら鏡の中のマリオネット

知らない言葉を聞いたら

タンスの中の冬服

シミが出来てたどうしよう

 


「わたし食べログは見ないけど」

母と起きがけに出掛けた

旅行先じゃ不案内

月桂冠なんて初めて

温め直した唐揚げ

みたいな朝焼け

みたいな居酒屋で

シーズニングラブ

ふりかけてあげた粉チーズは無料(ただ)なんだから

 


「カメラ!カメラ!」

みんないなくなってから

ひとりストロボ焚いてみた

ファインダーの中にまだ

ライオンは写り込んでた

ラララもう

猛獣から逃げない

だから早く

僕のカメラ高値で買っておくれよ

 


・・・

歌詞再考