短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

激しい爆発についての寄稿

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「激しい爆発」という曲にハマっている。

6eyesというバンドの新譜なのだけれど、先ずタイトルにやられた。タイトルにやられるということはもう、実際に曲を聴く前にすでに嵌められているようなもので、嵌まるように聴くことを強制されているみたいで、癪に触る人は癪に触ることなのかもしれないし、私も頻繁にそういうのが癪にさわるたちなのだが、たとえば「春なんです」みたいな曲名の歌があったとしたらなんとなく苛立つ気がする、どうしてかといえば言葉の接待みたい、激しい爆発というパンチラインには、タイミングが合ったのかどうだか知らないが、ふつうに、なんて素晴らしい表現だ!と思ってしまった。

友人の能口はそれを、私との夜の散歩のお供に、いくらか顕示欲の強い音量を世田谷区の静かな街路家々に撒き散らしながら、一聴し先ず、「これは何?」と訊いてきて、私がそのタイトルを答えると、少し怪訝そうな態度を表した、へえ、と。

「それはさすがにあざとすぎるわ」

と、彼は言った。

「爆発を激しいと形容する、みたいなことは僕も文章でたまに意図的にやるけどな。破綻が破れた、みたいに。ただ、それは意味性を破綻させることで、ようするに読者を煙に巻くような態度なんだけど、破綻が破れたらそもそも破綻じゃなくなってしまうし、意図的にやるにはなんか少し幼稚に思えてしまうな。誤植ですって雰囲気くらいが丁度いい。激しい爆発はようするにただの爆発やろ。お、ほんじちゃん、ここ暗渠やで。この辺は暗渠がめっちゃ多いねん」

「ああ、確かに水の音がするね」

「まあ、音っていうよりか、地形やな」

能口はそもそも友達の友達として、そのバンドを知っていたみたい、そのバンドのなにかが彼の興をそぐ何かを持っているらしく、確かに能口は下ネタをあまり好まないかもな、と私は思った。

彼が好む下ネタは、けっこう私と似ている部分があって(もちろん違う部分も多々あるだろうが)、そもそも精通の出方(やり方?)が一緒で、それはお互い確か小学生の時にインケイに風呂でシャワーをなんとなくぶち当てていたら、気持ちよくなってしまって異様なものが出てしまった!なんかやばい!みたいなやつで、まあまあいい歳の男二人が、このような恥ずかしい思い出話をしれえと、どちらともなく告白し、まさかの一致を知ったときに、馬鹿馬鹿しいが改めて、こいつとは利害を求めない付き合いができるな、と思ったものだ。

その始めが始めなので、多分私たちはたいがい薄い。薄いというのは、そもそも他者に対する愛の準備段階ともいえる精通というイニシエーションにおいて、相手がシャワーというわけなので、それは例えばLSD決めてイッた体験がある人と無い自分がいわゆる興奮を数値化したら確かに数値的には低いかもな、とか思ってしまうし、そういう意味で、体験は同じ体験なんだけども、なんともいえず薄い。象徴的に愛の欠陥品だと思う。

そこにはシャワーの水圧しかない。

それにつけて能口が強調するのは、

「とにかく、おばあちゃん家のシャワーのノズルの水圧がめっちゃ強くて、、サイコーやったな。実家ではああはなり得ない!」

というふざけた付随条件で、だとしても私は一旦ツボに嵌まってしまった彼のパンチラインから抜け出すことができず、つまり、、何度同じ話を聞いても爆笑してしまう、、それは吉本新喜劇島木譲二が登場し、どうせパチパチパンチを繰り出すんやろ、とわかっていて冷めた目で観ていても、結局パチパチパンチが面白すぎるので、実際にパチパチパンチを繰り出す前に吹き出してしまうのに近い。パチパチパンチは島木譲二の一発芸に過ぎないが、島木譲二はアルミの灰皿で手前のスキンヘッドの側部を叩き過ぎて、もはや存在が頭か灰皿かわからないのではないだろうか。パチパチパンチという体(頭)を張った芸がまるで化け物みたいにひとりでに動きだして、たとえば百均でその類の銀の灰皿を見るだけで我々は脳裏をパチパチパンチにやられて、下手したら売り物の灰皿がぐしゃぐしゃになってしまい、それと同時に頭の側部がでこぼこになってしまうようで、結果吹き出してしまうことになる。

百均でパチパチパンチにやられた手前を垣間見見た人々は私をキチガイと当て嵌めて、ただ漫然と納得するに違いない。

しかし、それでいいのだ。

試しにこのような働きかけを芸のファントム化と呼んでみたとして、私たちはファントム化された様々な芸または芸という名の人間に対してキチガイであることしかできない。

実際見ている景色とか人とか、いわゆる実像と我々が思い込んでいる出来事はたいてい、脳味噌のひだというひだにへばりついた記憶という名前みたいなファントムに侵食されているのだ。

蛇足ではあるが、というか全部もっぱら蛇足だけれども、最近のたちのすこぶる悪い、私にとってのファントムというのがおって、それは「昨年別れた元嫁の母親の顔」という名前のファントムで、自分としては彼女のような存在を、偉そうに言うと、ニンゲンとしてわりかし好いていたつもりだったのだけれど、今の自分の仕事先に頻繁に出稼ぎに訪れる、どちらかといえば私に歳の近そうなSさんという占い師らしい女性が、失礼な話、その別れた元嫁の母親にめっぽう顔が似ていて、ほんとうに彼女にも僕にとっても何の負い目もないはずなのだが、見るだけで仕事先から逃げ出したくなってしまう自分の性をどう納得したらいいものだろう。こういう現代の気分にそぐわない好嫌差別は、まあまあ恥ずかしいなと思いながらも、まあ自分なんてシャワーで精通したニンゲンだしな、とか妙に納得してしまってるところもあって困る。精神的貧困というか、、

それは置いといて、僕が「激しい爆発」という曲を好ましく思うのは単にあの曲のイントロのドラミングからウォールサウンズの金字塔つまりフィルスペクターがプロデュースしていっせいをふうびしたロネッツの「ビーマイベイビー」に対するかなり恣意的な雰囲気オマージュだからである。

これは一バンドにつき一回しか使えない安い魔法のようなもので、二回めはノンスイート、それに曲の内容が射精そのものでしかなくて、あんがい上品に笑えます。