短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東山湯の奇跡

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七月七日のこと。

竹林の坊主の店が四周年と聞いていたので、それとなく祝おうと晩の七時過ぎくらいにダロンド氏のキャフェーを離れ三条河原町から市バスに乗った。

少しばかし雨が降っていた記憶がある。

バスに乗るのは久しぶりだった。

なんせ、持ち回りの経路をひたすらに、ちんたら歩く生活が気持ちよくって気持ちよくって、その時までバスが意識から消えていたわけで。

しかしまあ、どうやら雨が降っているし傘はあまり持ち歩かないのでイージーな、心持ちで銀閣寺方面への市バスにライドンしたら如何して案外めっちゃ良くて。

どういう感じかというと、以前まではどちらかと言えばしんどいなあ〜と思っていた立ち乗りが何だか楽しい。

それは丸でパターソン現象。

観てない方にはちょいと伝わりにくいのでカンタンに説明させてもらいますと、ジムジャームッシュ監督の割りかし最近の映画でパターソンつうのがありまして、パターソンという町に住んでいるパターソンという青年が、町を毎日ワンペースに周るバスの運転手を生業にしながら、ふとしたタイミングで詩をしたためる、

活動的なパートナー以外はおしなべて淡々と生活が流れていく、という感じ。

流れるミュージック流れるメロディ、と今、長いこと居座らせてもうてるキャフェーの二階でフィッシュマンズがカカッテいるわけですが、これにはどうしても乗ってしまう。かける盤もナイスです。いずれやって来る盆に寄り添うナイスグルーブ。ダブらされたラッパが鳴ってます。背骨が伸びるっつうか、、

話がそれなりにそれはそれで逸れてないす。

その、淡々を尊重しているパターソンが仕事前の彼以外誰もいないバスの運転席に佇む数分か何分かの余白みたいな時間の中で、いい感じの妙なるっつうか、幽玄みたいな?

みたいなアンビエント的効果音が流れ出し、彼の思索が捗って目でたく一つの詩が出来たり出来なかったり。

そのようなシーン描写の醸し出すようなアンビエント感が私の言うところのパターソン現象で、まあ頗るニッチやな。

にっちもさっちもいかなくなったら観たらいいっすよ!

ところで私、勝手に乗り疲れたのとオンライン中のケータイの電源微量なので東山湯の奇跡本編はまた次回にします。

ナニはなくともレッツパターソン  !