短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

脱ネクター大作戦

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 今年の夏は特に何を食っていいか分からなくて困る。

 思考や素行とも結びついているみたいで、食うためだけに生まれてきたわけでもないと思うけれど、食うものが定まらないとアンニュイになる。私はもう35になるので表情には出さないにしても、いやかなりアンニュイである。つまり自分が自分でかったるい。かったるい生き方をしている。

 かったるいながらにとりいれたいものは常時あって、最近はネクターを毎日飲んでる。摂った瞬間ネクターの有り難みに脳と体が溶かされるような感覚がたまらない。たまらず朝いち着の身着のままで外へ出、そいつが百円で買える自販機へ、無思考無感覚にそれを買える手軽さよ。やばみに気づいたのは大分あとだった。

 つまりここ二、三日、特別アンニュイなのである。

 とはいえ大のおっさんがアンニュイだとかいうのは気恥ずかしいところもあるので、とりあえずアンニュイという語句を調べてみたら「退屈」「倦怠」であるらしく、まさしくそんな感じだとどっちみち了解してしまった。

 気圧が低くて頭痛がやばいとかホルモンバランスのせいで荒れてるとかなんとなくアンニュイとか言えないのがときに辛くおっさんの哀愁を助長する。

 自分で自分に哀愁を表現するのも気恥ずかしくて困るし…

 そもそもネクターを常飲していることをやおら周りに吹聴するのもよく考えたらおっさん的に不憫である。

 つるつるのピンクで桃のパッケージはむしゃぶりつきたくなるようなフレッシュネスを煽っているし、中国では桃は通俗的に女性器の象徴だとか認識されてるらしいし、そこまでの先入観はなくとも似たようなイメージは通底しているだろうから、おっさんがネクターを取り上げるのは捉え方によっては何かと淫靡なわけで。

 そういう感じで、ただ日常をたんたんと営む難しさが身に染みている。

 そんな折に、汚くて居心地がいい木屋町のジャズバーでときおり出くわすマッサージ屋のおばさんYはへらへらしていていつも元気だ。

 雇い先があるわけじゃないみたいで、ホテルとかに赴いて出張するスタイル、古めかしくいうと按摩さんみたいな風情で、実際、昭和の名残を健全に醸し出してるというか、実際、可憐といえば可憐にみえなくもないオシャレさんだし、昨今は仕事がなくてパチンコばかりしているにも拘らず、生活苦をひけらかさない健やかさ、近所の一見断りのお好み焼き屋でいかに店主が焼酎をたくさん入れてくれるか、という話を毎回こちらにする。

 とくに羨ましくはないけれど、幸福というのはネクターの糖分によってもたらされるものではない、というような気付きをこちらに与えてくれる。

 女史いわく、

「キャベツを塩で揉んだら水が出るやろ。それをとっておいてな。毎朝飲んでんねんか。なんか体の毒が抜けるとかいうし、このまま飲み続けて毒が抜けきったら私も消えてしまうんちゃうかな思ってんねん〜」

 それでいて、見栄えのするジェラート屋とか自家製のチーズを出してくれる若い夫婦がやってる新店とかを目ざとくほめ殺したりもしているのにはまっこと、身につまされるというか、

「意識高いおばはんやなあ」とかいうと、へらへらしながら

「私なんかがほんまに意識高いんやったらとっくに消えてなくなってるわ〜」

とか仰る。

 アンニュイさのかけらもないよね。