短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

ペットサウンド2

f:id:kon-fu:20200111194530j:image人生はマーキングだと本気で思わざるをえないというか、京都と母や姉とひとつ屋根に住んでいる時、一緒にアニキという犬コロが玄関先に繋がれていて、そいつは私がまだ二十歳になったばっかりくらいに姉と同居することになってすぐくらいに、姉が山からもらい受けてきて、その時は子犬だった。どこぞのヒッピーの飼い犬の子供らしい。どうやら一目惚れだったらしい。

子犬は子犬なので、確かにかなり可愛かったはずなんだけど当時の印象はさほどなくて、ただたんたんと必要があれば二条城のまわりを一緒に散歩するくらいで、彼のうんこのタイミングがだんだんと読めるようになって、ぱ、と最小限の新聞紙を地面と彼のうんこの間に差し挟めるようになるというささやかな快感はあったものの、愛着みたいのはそんなになかった気がする。

それが、いく年を経て、移ってきた実家のようなボロ家になしくずし的に転がり込むようになってからは、免罪符てきに率先して散歩に連れて行くだけはしようと思っていたのか、いや何か、その行為が結構切実になってきて、犬コロのアニキも年齢的にはじじいになってきていて、片方の目が目やにで半開きになったりしていたが、依然、推進力があって母などが嫌々散歩に連れて行ったりしたら、引っ張って転かしてしまう。

「やっぱり、結局のところ畜生だわ」とか怨嗟をぼやく母親もとっくに婆さんなのだが、畜生という言葉の使い方が非情で、素直で、笑けてしまった。

結局のところ、ごく自然にしかるべき形で、彼女はいく日もいく日も拗ねて拗ねて、ついに拗ね切ってしまったな、とか思ったりもしたが、

その「拗ね」の所以であるような私は、それはそれと別にして、その畜生を徐々に愛おしく思いだすようになってきた。

婆さんではあるが現在の母親を転かしてしまう、その推進力の根拠をわたしは確実に知っていて、聞いたことはないけどもとにかく彼は開放的な在りし日のセックス生活を産まれた時から、ただ可愛いという理由から姉に匿われてしまったがために、永遠に近いくらい知らないままジジ犬になってしまい、まあそのために今の今まで生き延びれているのかも知れないけれど、顔を寄せると尻尾をかき乱して、こちらをベロで舐め回す、まるで狂った犬みたいに、彼は犬ですなわち性欲の塊である。

それにわたしは素直にわたしのベロで応える。

最後のべろチューはアニキとのそれだ。

ペットフードの匂いがした。

 

例えば四条河原町の商売人の古い町屋で飼われているような芝犬は、それはそれでめちゃくちゃかわいいが、おしゃんにしている、置き物みたいにつくねんと座っていて、こちらの媚態に表情を変えない、ただかわいいというだけでどこか白けている、その点アニキは賢い芝犬の血もなんぼか容姿において受け継いでいるみたいだけれど、血の本質はアホのシベリアンハスキーで、容姿に騙されると転かされるくらい、発情的で、散歩のときは常に、競走馬でいうところの「かかる」状態、すなわちオフコントロールで、競走馬が走りだして「かかって」しまったら、たいてい無駄に力を使いすぎてゴール前の直線で気が抜けたみたいにずるずると他馬に抜き去られていってしまう、様は不憫でさえあるのだが、アニキはなかなか「かかった」くらいでは気が抜けない。

十数年ぶんのスタミナが彼をマーキングに赴かせ、明くる日も明くる日も超低姿勢で、どこかには必ず居るはずの同類の体液を嗅ぎ回っていて、なにか切実なお祈りのように見えなくもない、あまりに貪欲に草むらをまさぐるので、ある程度は付き合うけれど、こっちも飽きてくるので、いっそのこと離してあげたいな、と一万回は思った、彼はあんな元田中のしらけた公園に居るべきではないのである。

そんなジレンマを常々、抱えながら早朝に実家のような家を友達のえんじ色のクラシカルなバンで離れるとき一緒に連れて行きたい衝動には本気で駆られた、とはいえ東京に連れていっても、実際、お台場のレインボーブリッジの腹の下をちんたら歩いてるような毛むくじゃらの犬コロは噛み殺してしまうかもしれないので、もはや彼にはあんまり居場所が多分ない。

彼と散歩するときはなぜだかずっと彼の死のことを考えていた気がする。

ひとおもいに富士の樹海あたりにテイクオフさせるのが得策だったりしたかもしれないなあ、とか思うばかりで人間の実行力などたかが知れているなあ。

たくさんの鎖につながれまくって、ぐだぐだになって、いいようにふと思い出して、行方知れずになってしまっても、狂ったように舜でエサを食い尽くして一見満足そうに寝転がっていて、くだらないテレビに飽きて、なんとなくガラス戸を開けて寝ぐらの暗闇をのぞいたら目やにでつぶれたような目に涙が溜まっていて、まるで泣いているのかな、と思ってしまうよ。

そんなこんなで、久しぶりに十年ぶりくらいに蒲田に来たら、なんだかいろいろしっくり来るというか、ふと入った喫茶店で流れてるオールドポップスが、クリスタルズとかビーチボーイズとかロリポップの歌とかバーズとかも、いい有線だなあ、と思っていたら、何気なくマスターが伝票をめくりながら英語の歌詞を口ずさんでいたので、やっぱり案外、有線じゃないかもしれなくて染みてしまう。

まだ住んでないけど浸りたくてなんか来てしまう。

そんで蒲田温泉に熱くて黒い湯に浸かってたら、10年前に転がりこんだ洗足池のシェアハウスで倉地久美夫さんの変な温泉の歌を好き好んでひとりでよく聴いていたことを唐突に思い出した。

内容はよく覚えてないけれど、変な匂いのようなインパクトだけ、体だか鼻に残っていて不思議。

あ、そういえば今日はイタリア人の日本の騎手のミルコデムーロの誕生日だ。

チェリーという喫茶店にて