短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

手紙

f:id:kon-fu:20190915171132j:image意識的に立ち戻ることと惰性で繰り返すことの違いを探り探り、、

今日のソバはすこし間延びしていて、いつもコシがありすぎるから余計、特に失望などしやしないが、なんだかどうでもいいソバになっていた。

部屋の水が止まっていて、というのも、再三の催促のハガキを過労にかまけて無視していたら、まさか止めやしないだろうという括っていたタカをあっさり解いて、水道屋は水道をあっさり止めて、大便が流れないものだから、とりあえず外に出る。注文を済ませてソバ屋のトイレに駆け込む。ひとときの太平が訪れて、結果ソバは伸びていた。

昼飯時なのでもりソバがすでに茹でられていたのもあるだろうが、、

ソバを無心で啜りながらふと右側を向くと、二席間を空けて座っていた横のマダムと目が合った。私はやや伸びた麺を口に含み過ぎていて少しばかり目がかっぴらいていたかもしれない。かき揚げを半分ほど残してマダムは席を立った。

別に怒ってなどいないがたまに意識的に目を開く。目を突然開くとき、黄色いINUのレコードの町田町蔵を思い浮かべる。すると怒っていないと思っていた表層意識が揺れて、案外、実は怒っていたのだろうか?

街は平和に見える。

M銀行に出向くとATMは八割型埋まっていて、その一番はしの両替機には八人ばかりが並んでいた。街には両替をしなければならない人がけっこういるんだな。

そういえば朝、といっても正午は過ぎていたのだが、起きて窓の外を見たら、その静けさが異常値を示していて、ほんとうに静かだった気がした。もし(すでに去った)居候が買ってきてくれた扇風機と居候が来た日にマンションの前で拾った空気清浄機と、やけにがたがたうるさい玄関側の換気扇が回っていなかったら、涅槃のような静寂だったに違いない。それくらい景色がぼやあと静かで、能天気で残暑がけっこうきついこととは(多分)特に関係なく静かで、あるきっかけ次第では私は浮かばれていた。逝っていた、という確信。

ところで私は東京に来てラインという連絡手段を得たが、つい昨日会ったばかりの友達にそいつをもって、この心変わりを伝えるのはどうも忍びない、彼も忙しくやっているだろうし、どうせ最初から伝わりきらないのだし、なんというか簡便過ぎて左から右に抜けていくラインは、、

人目をはばかる霊みたい、、

そんなわけで手紙にしたためた。

 


前略、どうも、こないだは唐突に映画を観についてきてくれてありがとう。

それに、東の方で一緒に住まんか、と誘ってくれてありがとうね。

こちらは少し意地をはって都会の中の都会といってもいいところに居を構えたけれど、結局たいして帰らない、というか帰れないことが多いです。ここらへんをどうにかしないことには家賃もうまく払えないし、部屋も愛想を尽かしてしまう気がしなくもない。それに昨日水道が止まりました。

つい去年の今頃には貴殿に見習い、京都の方で水道メーターの検診業務を、うさんくさい外資の下請け業者に雇われて、していて、けっこうな訪問件数の合間に、こちらの再訪問の手紙に対して返事の来ない宅が必ず何件かあるよね、あれには腹立つ、ましてやエレベーターのない四階の部屋まで、二回も三回も訪れなければならない検診員は不憫で、やさぐれてしまってこちらの名前を呪われても致し方ないな、と思っていながらその上まで億劫で水道事務所に連絡しなかったのはニンゲン的にどうかと思う、やばいよね。もはや誰に謝ればいいのかわかんない。けれどまあ、さっき連絡しました。すいません。これで早晩水は出るはずです。

出たところで、、

というところもありますが、こないだ家族でやってる中華料理屋を出て別れてから、貴殿がJRに乗ったので、こちらもそっちの方がスムーズなのはなんとなくわかっていたのだけれど、あえて地下鉄に乗ったのは身から出た酔狂でした、飯田橋南北線に乗り換えて、四谷で降りればすんなり、窓を閉め切って風雨を避けて部屋で縮こまってさえすれば安らかに寝れたはずなのに、どうしても途中下車ができずに、端の駅までまるで意識が文字通り飛んだみたいに、いつのまにか着いてる、、

あほなんじゃないかと自責したところで貴殿は、たいして何も思わないでけらけら笑うだけでしょうな、あいかわらずだなあ、とか言って。

こちらは、こんなにあほだったのかといつも自責しています、毎回毎回。

で、その晩中野に三回着いて、三回めに着いたときには当然ながらその日の電車は終わってしまってこちらも当惑するのに慣れきってしまっていて惰性でもって当惑することすらできない、丸でふつうに丸腰で改札から外へ出ると冗談みたいに横殴りの雨が吹いていて、どうしてこれを求めていたのだろうな。

 


ところでこうやって物々しい手紙を書くのは、部屋にいるのがなんとなく嫌で、たいていカバンに表紙が捩れた文庫本など見境いなく詰め込み、とりあえず外へ出てたいてい喫茶店に出向く、そしたら幸運にもどの街にも程よい喫茶店というのが点在していて、今日なんかはコーヒーを一杯頼んだら顔見知りの給仕が乾き物を十品もつけてくれてポテトチップスを無闇に食べると激辛だった。大好きなルマンドとかも置いてくれてる。対角に居座る若い男は背後の棚に並べられたマンガを枕みたいに使って首を垂れて、うまいこと寝ている、口が半分開いていて、、

とまあ、こういう場所があることを幸せに思うわけで。

そこで薄く流れてるチェットベイカーのアンニュイな歌を聴きながら薄い口笛など吹きながら文庫本でも読もうかとカバンをまさぐると忘れて何も入っていなくて、手紙など綴ろうかと思い至るのはただ手持ち無沙汰というだけでもなくて、ときになかなか充実したものなのです。

 


ごうごうと風の吹く中野のアーケードはちょうど掃除機の筒の中みたいに的確に風が通っていて、雨を避けているつもりが余計雨を食らったりしました。

4階だてのフロアを網羅するまんだらけのビルの入り口が吹き抜けていて、人気の無いがらんどうが開けていて、とりあえずそこでタバコを吸おうと地べたに座ると、なんかムズムズする、床に小さい虫がいるような気がして、そもそも人が来ることを想定されていない間口には愛想がないな、あ、念を押しておくけど、この手紙にはそもそも内容がないです、あしからず。

いつもありません、その前提の上で映画の感想をちゃんと伝えてくれる貴殿にありがたみを覚えるというか、なんか惚気だな、結局映画はすでに始まっていて未だ暗闇に慣れていないので、どこが席だかわからなくて手探りで腰をかがめて通路を進んで、ここいらは空いてるかなと右手を席に伸ばすと女性らしい太ももだったりしてはっきり不審者だな、消音モードで謝辞を述べ、また進めど進めど席は埋まっていて、恐らくや暴風の警報が発令されているであろう新宿区の外れの映画館がやけに混んでいることに出し抜けにくらくらしてしまった、こんなくらくらは京都では感じたことがない、せいぜいいつもの飲み屋に出向いたら家に帰りたくないいつもの顔ぶれが少しばかり勇ましく酒を呑んでて、それはそれで有難いな、と思う程度でまた、来たる風を望むときの態度が違う、しれと時代にそぐわない沈鬱そのものといってもいいような映画を一緒に見ていて、大方席が埋まってる不思議よ、白粉で顔をまっしろけにして目元に紅を差したレスリーが裏声で恋歌を歌えば、さらにくらくらして、大半寝てしまった、正直感動したとかそういう騒ぎじゃない、因業がどうとか、結局レスリーは遥か昔の楚の王妃の命運にトレースし、自分で首を切った演技をトレースしたのかどうかは知らないが、演技でない場所でも演技をトレースしてしまったのかおそらくや)良く)逝ってしまった。

彼は男たちの挽歌からブエノスアイレスまで結局は路傍でぶっ倒れていたし、それがいたくキュートだった、それにタイトルを忘れてしまったあの映画でも!

そんな彼をみながみなトレースしていたら昼間の街は死屍累々で演技でもないんだろうけど、こないだ渋谷に行ったら昼間でも若い男たちが様々な格好でぶっ倒れていてなんだかあっけにとられた。街の包容力というか、、

そんないいもんじゃないかもしれないけどどっちでもいいよね。

僕はいい街は臭いと思っている。

紅の豚の街がにんにく臭いとかそういうんじゃなくて。

それはそれでいいんだけど、、

結局、それなりに風を避けれるカラオケ屋のあるビルの半地下に至る階段で夜を明かしたんだけど、寝る前に電光看板が派手にぶっ倒れて森の地道を大木が塞ぐみたいになって、ここはたいして森と変わんないんじゃないかって思った、京都の酵素風呂の社長が体がズタボロの時、森で夜を明かしたら体がいたくすっきりしてそれで、酵素風呂を思いついたらしいけどそんな感じ、もし君が蓄膿だったら台風の晩に街で風を浴びたらいいかもね!

 


「パーフェクト」という曲をスマパンすなわちスマッシングパンプキンズがつくっていて、歌詞の内容は全然知らないんですけどなんとなしにそれを思い出しています。

スマパンというのは多分もともとはアメリカの気風の緩い大学だかアートスクールだかを出たヒップで繊細な若者っていうだけだったんだろうけど、メンバーのビジュアルが立っていて、曲も時代のムードにハマってやたらウケた、日本でいったらグレイくらい、桁が違うんだけど売れに売れて売れるに従って主犯格のビリーコーガンが悪魔崇拝者みたいな坊主の化け物って感じのキャラクターを固着させていって周りがついていけなくなるわけ。友達はマリリンマンソンだけ、みたいな!

でも、僕が思うに彼はただシンプルにデヴィットボーイみたいなスターになりたかっただけなんだな。80年代までは人びとがまだ宇宙???に憧れを持ってたのかも。

ビリーに至っても、ただ時代の空気みたいのが彼の獰猛な一面を求めていて、彼がそれをトレースしちゃった。

そんなような気がします。

でもやっぱりビリーは目がいっちキレイなんだよね。

 


で、何が言いたいかといえば、つまり、いつからか自分以外の周りがパーフェクトなんですよ。もうそれはびびるくらいに、パーフェクト。人であれ物であれ出来事であれ歴史であれ、自分が知ってることなんてもちろんわずかだってそれもしってるつもりなんだけど、それにしてももう、あほなこともやばいこともいけずなこともうれしいこともひでえことも一点の曇りもなく良くできていて三面鏡の間にいる自分がわけわかんなくなる。

で、なにしよかな、て思ったらなんとなく三面鏡を割ったろかって思いついたりもするんだけど、つるつる上滑りするというか、かなり無力感があるというか、やったらやったでそんなのほんとうに求めておったんだろうかって。

 


台風が来て過ぎ去ると鼻詰まりが少しマシになるのか、信じてきた思いみたいのが音を立てて崩れて、流れます。はっきり、エビの殻を剥き続ける作業には飽きました。

 


もたもたしている間に約束を忘れてしまってはいないんですが、いつも休みの日にはオケラになっているから中々、約束が守れないんだよね。街の風景は依然パーフェクトで、なんというか今、目の前にスギ薬局の看板がでーんとあって、そのテナントビルの窓が綺麗に正面を写していて、反映するマンションとマンションの間の空が見える、スギ薬局の薬剤師のお姉さんも刈り上げがかっこいいし、淡々としている、、

そう風景がいかにも淡々としていて、げっぷを吹きかける余地もないというか。

近所のフレッシュネスバーガーでハッピーアワーの生ビールを飲んでいます。なにをしてるわけでもないんだけど正直、新宿で生きていくには月40万は要るよ、毎週アカスリに行きたいんだよ。みんなして景気良くなりたいね。

 


それで、つまり今日も明日も約束は守れないけど何かしらの風景になっていることを良しとして勘弁してくれ、貴殿のことはいつも拍子で思い出すし、君のこともあなたのこともあいつのことも。そしたら、まるで絵を見ているみたいに、たいていパーフェクトな構図で大団円みたいになってるから、それで、良しとしようじゃないか。

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備考

(インターネットで調べたところ、上記のビリーコーガンについての個人的な省察はたいてい全部誤解でした)