短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

真夏のモンク帽

モンク帽にまつわる受難は尽きない。

モンク帽に非があるわけではないと思うが、冠るニンゲンに非があるというか、つまり自分なわけで、もとはといえばややこしくないことがややこしくなりがちだ。

どういうことかというと、朝起きてまず私は、そのお気に入りのモンク帽を冠るか冠らないかの決定を下さなければならない。

モンク帽は質のいいボア生地で、なかなか厚い。ゆえに夏は蒸れるというか、そもそも夏向きではないのは見たらわかる。えげつない湿度のこの国の、しかも夏に、フツーにこれはないだろう、見るだけで暑苦しい。

さりながら私は自分の顔にいつも物足りなさを感じていて、どうしても、危険だらけの外界に独りで飛び出していくのに無帽では頼りない。ぱっとしないのだ。自意識のモンダイなのでバカにしたければしたらいい、私はいつも恥ずかしいのだ。

思えば恥の多い人生でした。

小学校のときはデブ過ぎて、しゃがんだ折に制服の短パンの尻が破れるし、松井に憧れているくせに中学の野球部では顧問に嫌われて補欠だったし、高校でも休み時間に隣のクラスの好きな子を見に行って悶々としてるだけだったし、大学に行ってもテストの時期になると鬱になってて単位取れないから当然卒業できなくて、バイト始めたら始めたで、こんなとこ早く潰れてしまえって思い出して思い出すやすぐに辞め逃げしてしまうし、店をやっても回らなくなるし、結婚しても家に帰りたくなくなるし、こうなってしまったら、いまさら安息の地など求めないが、もう少し楽できるだろ、とは思う。

そこに来てモンク帽は大切なものをなにひとつ所有し続けられない私がはじめて見つけた飽きないナニカだったので、そこに冠る以外選択の余地などないと思っていた。

ところがどっこい、やっぱりどうして案外飽きているような気がしてきてしまった。

そもそも夏向きじゃないので仕方ないんだけども、つい貰い物の野球帽とか薄い生地のベレー帽とかに起き抜けに気がいってしまって、今日は一つ涼しげなやつを、てな雰囲気で自然にそちらに手が動いてしまう。

そうすると鎮座まします私のモンク帽がなにか、深い嫉妬のような気を投げ掛けてくるような気がしてくる。

 

あんたは詰まらないニンゲンなのよ。

頼りないし。

そもそも顔が丸くてぼんやりしてるから、キャップとか、そういうさりげないのは似合わないの。

それ以外もたいていあらかた似合わないね。

で、何も冠らない自信はないわけでしょ。

何もないくせに移り気でスカしたタワケでしかないわけ。

だったら、どうすればいいって?

いまや、もう、あたいを冠るしか能が無いのよ。

それでいいじゃない。

違う?

 

不思議とそう、投げ掛けてくるような気がしてしまって、結局、実際、私はモンク帽しかどうも、しっくり来ないな、と思うに至り、又モンク帽を冠って外に出ていく。

ばかばかしいがそういう問答を朝ごとに繰り返していて、実際は何もしてないのだけれど、どうしてけっこう疲れる。

なにかを所有し、ましてや愛するということは案外こういうことなのかもしれないな、とか思ったり。

個人的に今年の夏は、モンク帽が夏向きでないということもあり、散々だった。受難と言ってもいいくらいだ。

ずっと働いていたにもかかわらず、ずっと金がなかったし。

秋は迷わずモンク帽を冠れるし、きっと少しばかりマシだと思う。f:id:kon-fu:20190827132533j:image

ゲットラッキー