ねじ式健康呼吸法その3
朝がたアニキという元気な老犬を連れて歩いていると、こいつは一体アホなんかな、と思う行動をいくつか発見してしまう。
その一つが唐突な蛇行。
どういう感じかというと、例えば犬を引いた私が橋の上の歩道を対向歩行者に気を遣いながら、できるだけ真っ直ぐ、ぶつからないようにヒモのテンションをきつくしながら歩いている時、ちょうど其の向こうから来ている奴さんさえ通り過ぎればいいだけ、というタイミングで悪ふざけみたいに相手の前を横切ったり。
アニキ自体は(おそらく)至ってマジメで、ただ黙々と彼自身の嗅覚に従って歩いており、しかしながら、道の端から端に丸でリニアモーターカーの電子動力みたいにバッ、バッと飛び移るさまになんでやねんの嵐だった。
その、なんでやねんの嵐に対する解答に昨日今日、街をちんたら歩いていたら唐突に出会って確信したわけ。アニキは確かにアホかも知れないが実際はアホの賢こでした!!
【ねじ式健康呼吸法その3〜背骨のためならフラット蛇行〜】
*街は華麗に歩きたいし、周囲からアホに見られたくない〜というような賢こでマジメな方は以下拝読ご遠慮ください。その4は次回です。またどうぞ〜*
まず、そもそも鼻詰まりの取れた状態でもって、街路の先から風と吹いている風を感じながら、深い呼吸を意識し、舗装道路すなわちペイブメントを歩く。
肺から横隔膜まで隅々になるたけ素敵な空気を吸い込みながら歩いていると次第に頭、手、足つまり体の末端の方まで温まって来、なんとなく子供みたいに背骨がまっすぐピーンとしている方が気持ちよく感じられてくる。
子供という子供は、身近でちょくちょく見ていると、神々しいくらい背骨が然るべき形で伸びており、眺めても眺めても飽きない。
それはそうと、そんなかんじで、マイペースに、然りながら深く呼吸を続けながら、ウォーキンインザリズム、ダブステップなど踏みながらすんすん歩いていたら、なんだか変だね、違和感みたいなのを感じてくる。
足に血が回って地面の感触にビンカンになるに従って背骨が舗装道路にしっくり来なくなってくるのである。
それで、そのよくある市街の舗装された歩道に意識を向けてみると、なんや大抵めちゃくちゃ斜めやないかーい、と気付くのだ。
つまりなんというか、現行の歩道という歩道は街の水捌けのために車道の真ん中から排水溝に向かって緩やかに下がっていて、それはそれで入念に設計されておるんやろうけども結局我々が歩くべき道はたいがい斜め!車中心?つうか街中心?とにかく歩行するニンゲンの背骨のことなどチンカス程も考えていないのである。つまりは犬の背骨のことも。
ともあれ私、京都の市街でかくいう違和感にブ打ち当たっておるわけなので、他の街のことは今のところ意識のソトなんですが、まあ今やどっこも似たような感じでしょ。
おかげさまで豪雨災害等々から身を守られいるのかもしれませんがな。
つうわけなので、舗装道路でもってフラットな状態で歩けるラインていうのはそう多くござらんわけですが、往来に気を配りながら、ちんたら蛇行などしていると、たまにあります腰背骨に負担少ないけっこうフラットなライン。
それは、植え込みのすぐ横とか、排水溝のある線上つまり歩道の端と端、あと縁石ラインやね。せやからアニキはアホみたく感覚的に歩きながら端から端に唐突に移ってたんかいな!
ただ嗅覚に身を任せてるだけかと馬鹿にしてたけど結構繊細!
アホやと思うてたけど天才か!ていうか、気付かんかったアタイがアホやんけ!って雷に当たった直後のモーゼ状態ですわ。
(実際のところはわからんですけど、)
それからというもの舗装道路を歩く時はアホみたいにちんたら蛇行しておるんですが、これがなかなか難しい。かえって犬スゲーっていう感慨が増しております。
ちなみに一番背骨にいいのは多分、車道の真ん中を颯爽と歩く奴、昔から、かのような存在、輩、あり方をば王道、または覇道、と呼びます。
これができたら海賊王に俺はなれる!
もしくは早速事故る!
ソカイ日記02
〜フィッシュマンズに取り憑かれる季節〜
は、唐突にやってくる。あら、そろそろお盆かしら? あいや、まだ梅雨ですね。梅雨にしては極端な雨模様で、からっ晴れをつんざくような夕立ちが激しい、梅雨って前からこんなだったかな、晴れてても湿気きついしどうせなら降ってえな、ところでアジサイが綺麗だな、去年アジサイ見てたっけ、さだかでないな云々ぼんやり、とりとめなく出窓の外の往来を眺めながら考えていたら店主のダロンド氏が宇宙日本世田谷ウェザーレポートを回し始めていて、かくいう私もこれがめちゃくちゃ好きっていうか、大学で京都に来たくらいにいちびって聴いていたら、意思や目的を置き去りにリピートしており、なんか浸透圧がすごくてエンドレス、いつのまにか朝が夜になっていたり丸で、気付いたら俺はウツだった風景、街の中に消えてって、、
刹那、かのダロンド氏はマジックラブを飛ばした。
何故、と問はば、
「俺、なんかこれだけあかんねん」とな。
なんでやねん思うと同時にそういうのがなんか助かる気もする今日この頃。
次の日も又ダロンド氏の店では朝から宇宙日本世田谷、ちょうどマジックラブがかかりだすタイミングで客が来たので、しゃあしゃあとマジックラブは飛ばされることなくドラムロールから流れ出した。
客の茶を用意する店主は、ながら裏声でハミングなどしておるので、
「この曲嫌いなんちゃうのん」
と訊いたら、かかってもうたし、しゃあないやん、
「てゆうか、俺知らん間に口ずさんでるわ、恥ずかし」
とか云ったので笑い合った。
それから、なるたけ何も考えないようにして山を遠目で見ながら川沿いを歩いているときなんかも、意識の細かい隙間を縫うように、ウォーキングインザリズムとか、染み込んできて、振り払えど振り払えど知らん間に、振り向かないで、とか裏声で歌ってたりするので、これはもうそういう季節なんだろうし仕方ないかと納得することにした。
去年も、唐突に新宿あたりの飲み屋で、シーズン(?)が流れ出し似たような感慨を持ったようなセンチメントが去来したような気がしたけど、京都で聴くそれと違っていい意味であっさりしていて普通に踊りたくなった。
ここらへんが地の利というやつか、さりげなく流れ出しさりげなく去っていく。
ダロンド氏はそのショートブームの終わりに、
「せやけどかぜで死ぬのは反則やわ」
と、云った。いかにも同意でござる。
とか思い返しながらも、また流れているインマイヘッドなので仕方なく日記にした、の繰り返しで止揚しようか、してたまるか。
ソカイ日記01
昨日が宝塚記念だったので、だいたい一年のはんぶんが早くも過ぎたわけで、ほんでもってソカイして三ヶ月が経った。
ケータイ料金未払いによるオフラインに慣れてしまって、所定のポイントでしかラインにライドンできない謂わばワイファイ乞食に身をやつしている、なんとなく社会復帰は厳しそう、、けど、それはそれでけっこう健康。
今ではケータイのブルーライトを見えるのさえカナリ苦痛で、ゆえにブログを打電するのもまあまあ億劫、そもそも情報全般、映画とか含め映像、垂れ流される音楽、マンガ、小説、政治、経済、お笑い、サブカル、豆知識、料理レシピ、歴史、家族の愚痴、彼氏彼女の愚痴、云々かんぬんだいたい無理、新しいパターンのダウナー症状のような気もするし、これくらいがちょうどいいような気もする。
こうやって、ややすれば入ってくる情報を逐一排除しながら街ナカを歩いたり止まったりしながら往来を眺めていると、殊更にヒトというヒトがかすかすに見えてきたりして、メガネを外してぼんやり一番向こうの山の緑に自然目が向いてくるとピントがやんわり合ってくるといいますか、風がふう、とこちらに感じられたのは山由来のそれですな、とか分かるようになり、これはこれでメロウだなあ、ああ。
今日も昼間、腹減ったなあ、と思いながら、川を北に歩いてたら、あるベンチに良く熟れたバナナが二本落ちてたりして、なんしかラッキーなんやけどバナナ歩きながら食ってる人見たことないのめっちゃ不思議。皮投げ捨ててる人見たことないのもめっちゃ不思議。
バナナはいつ食ってもお腹に優しい、ウンコ食ってるようなもんなのに、見た目も黄色くて明るくて甘い、ほんま何かといいですよ。
ねじ式呼吸健康法その2
鼻が通るようになってから気持ちよい日柄、なるたけ呼吸だけに意識を集中して目を半開きにしながらちんたら歩いていたら、ふと右側の肺の側面あたりを上から下へみずみずしい流気が走っていく実感があった。ちょうど「ねるとん」という往年の恋人マッチングバラエティ番組で男女が両思いになった時、ハート型の電飾に赤い光がリラリラリラと灯る感じである。右の鼻が詰まっていて右の肺に息があんまり入っていなかったんだと思う。まだ積年の汚れがへばりついている雰囲気は残っていたものの、いたく気持ちのいい瞬間だった。
吸えるだけ吸い込んで、それから息を鼻から吐くと何故か左側の鼻からフウと息が吹き出して同じくして左側の肺のハートの電飾にも下から上にリラリラリラと電気が走った。元々つがいの肺と肺のカップルがやっとこさで成立した気がしたし、はじめから健康体のニンゲンはこんなにも至福のアクセスを自然から感じているのかと考えたら今までの自分の身体がバカバカしく思えて来ると共に景色が色めきだってきて自然に半笑いになっていた。この状態でもって青海の埠頭とかでオーティスレディングのドックオブザベイとか聴いたら気持ち良すぎて死んでまうんちゃうかな、と思ったくらいである。
この体験を、一時期、謂わゆるメディテーションにはまって側からみたら素面でもラリっているように見えた歳が一回り上の姉に話すと、どうやら片側の鼻から空気を吸い込んで反対側の鼻から吐くという呼吸方法がインドのヨガ由来の瞑想法の基礎というか導入トレーニングのひとつだと教えられ、図らずも愈々ひとりよがりのねるとん体験の実用性を実感した。
さらにちんたら、あんまり気持ちいいので其れを繰り返しながら歩いていたら、次第に肺の運動だけで息を吐き切ることに限界を覚えてきたので、なんとなく腹の下の方から上に圧を加えるゼンマイ仕掛けのようなバネのような何かをイメージして腹に力を加えた折、例えるなら手回しの圧搾ジューサーでグレープフルーツの果汁を搾り取る感じかな、余すことなく息が吐けて可也しんどいんだけど腹に熱が回ってポワアとして来、これまた更に呼吸が楽しくなってきた。
その玉玉の体験がだいたい一ヶ月前くらいで、それから、早朝の犬ころの散歩と一緒に励行しているわけですが、はっきりいってバリやばい。謂わゆるゼンマイ仕掛けのねじ式腹式呼吸が多分まあ人人がいうところの腹式呼吸、腹に力入れて声出せよ〜というような奴なんですが言うは易しで行うは難しなんですよ。
わたくし的に今では酒とタバコを続けながら小もない健康の壁みたいなのを強行突破できる確信しかなくてですな。
ほんなもんなので今回からはねじ式呼吸をパッと活かした応用技を書き残していきますわ〜!
その2 ホワイトアウトで浅い悩み消えちゃいます
※浅い悩みでちんたら考え事をしたい人にはお勧めできません。また、やり過ぎるとぶっ倒れる危険が伴いますので何となく色々疑念がある人おもしろくない人はやめといてください。比較的かんたんなその3は次回なので又どうぞ。
まず、出来るだけ君自身が気持ちのいい場所、僕的に具体的に言うと早朝4時半から5時半くらいまでの鴨川は葵橋の真ん中の桟に真っ直ぐ立って、山側上流からの新鮮な風もとい俗に称されるプラーナというような気体を鼻詰まりが無い状態で鼻から吸い込みまくる。
腹式呼吸の前提的なルール、というかニンゲン又は生き物の生き方の初歩として初めに手前の呼気を吐き切る、というのがあるのが徐々に理解できてくるのだけれど、ここは取り敢えず息なり吸い込みまくる。
吸い込みまくると、頭から喉を通り肺に至り腹、下腹部、ひいては脚に向かいからだというからだに気のような何かが染み渡っていき、ああ、なんやこれ気持ちええやんけ〜と更に吸い込んでいたら、後頭部に閃光のように光が走ってパッと爆けると共にフッと一瞬意識が飛んで膝から崩れ落ちたりして、うわ、なんや今何考えてたっけ?覚えてへんわ〜、危なかった〜、けどなんかスッキリしたあ!ていう瞬間を味わえて事後なんだかけっこうスッキリしていますよ。
(今回けっこうまだ雑なんで折ってちょくちょく改稿します)
ねじ式呼吸健康法その1
(もっとかっこよく言えば捻転呼吸法とか)
ソカイしてから人目を避けながらちんたら散歩することが多くなり、また気候もすこぶるよく、また極めてヒマなので、十年くらい気が向いたらやっている腹式呼吸を歩きながら、かなりストイックに実践していたら、なんとその極意のツボが感得されてしまった。
それからというもの呼吸そのものが気持ち良すぎて、散歩の感覚ひいては生活感自体が激変して、カニカマとカニくらい違う。去年のある春の宵に友人と酒と花見とオーティスレディングでハイになったあの気持ち良さもそれはそれでかなり気持ちよくて楽しかったけれど、そういう類の気持ちよさとは根本的に訳が違う。
以前から薄々、目に見えない謂わゆる「気」については頭で考えてはいたつもりだったが、やはり論より証拠、知識より身体だった。
気は適切に意識しだしてからがヤバい。
カラダが採れたてのレタスのようにみずみずしい。
ただし、一人でよがっていたらただの気違いにしかならないし(もうすでになりそう)、みなさんにも健康になってもらいたいので、僭越ながら秘訣をここで勝手に伝授してまいります !
その1・鼻詰まりをなんとかして取る
※鼻詰まりがない人は飛ばしてもよし。その2は次回です。またどうぞ。
私はもともと右の鼻が蓄膿ぎみで小学校高学年時なんかはレーザー治療をしていたくらい、あと一歩で鼻腔に穴を開けて膿をとらないといけないと医者に言われるくらいきつかった。
その癖みたいのの原因は鼻の骨の歪みにもあるみたいだけれど、牛乳とか乳製品の取りすぎというのもありそう。
バターとか食べたとき、喉に痰が喉につっかえるような感覚があったら控えた方がいい。
粘っこい鼻水は溶けたバターになんとなく似ているし。
というかそもそもつっかえそうな雰囲気を出している食物は摂り入れる時に慎重になったほうがいい。個人的に最近はパンも米もなんかなしに警戒しており、ニンジンの端とかを見つけたらボリボリよくかじるようになりました。
ただなんというか、これではただのナントカ健康法になってしまうので、件の呼吸法を取り入れながら詰まりを突貫する手を紹介します。
わたしはこれを励行するようになって少なくとも一日の間は鼻がよく通っております。
すなわち、朝起きていきなり気怠いな、とか死にたいな、とか思った先から風呂を沸かし半身浴をする。
そのとき、できたら正座をし、背をぴんと伸ばして胃のあたりまでお湯に浸かるようにする。
できることなら外気が直接通るように窓という窓を全開にした方がよい。換気扇を回すだけではおそらく効果半減である。
準備が整ったら、大気を湯気と一緒に一気に鼻から吸う。
キューンと鼻が詰まって、通らなさそうでも、気が遠くなるまで、くわあ、と吸う努力をし続けていたら、そのうち細くてもなんでも、少しは多分通るので、通ったような気がしたら、詰まり気味な方の鼻だけから同じように空気を吸い続ける。もう片方の比較的通っている鼻を親指で押さえて、ひたすら、えずくまで吸って吸って吸いまくる。
そのときも常に外気を意識しながら吸って吸って吸いまくる。
吸えるようになったら、同じように吐いて吐いて吐きまくる。
もちろん片方の詰まっている鼻だけを、である。
スムーズに吐けるようなったら、吸って吐いての循環を試してみる。
出来る限り吸って、出来る限り吐く。
窒息する寸前まで吸って吸って吐きまくる。
そうして、泣いて咽せてえずいて苦しくてやりきれなくても、痰壷なんかも用意して鼻水を出しまくる。
そのうち、片方の詰まっていたはずの鼻が通ったら、もともと通っていたはずの鼻が詰まっていたりすることがあるので、逆の鼻も上の工程を繰り返し、なんとかであれ、両の鼻が通るような気がしてきたら、循環呼吸を両鼻でやってみる。
つまり、片方を抑えて右で吸って左で吐く。
息が途切れても、えげつない顔をしていても、
とりあえず吸えるだけ吸って吐けるだけ吐く。
これを最初に意識してやりきるだけで呼吸の幅がめちゃくちゃ拡がり、ある時はリラックスしたり、ある時は意識的に酸欠でフラフラになったり、戦闘モードに入ったり、自由に調整できるようになる。
まず鼻だけで呼吸するのは、口を使うより難しいから。
腹式呼吸の基本は鼻で吸って口で吐く。
マスクをしているなら鼻だけ出して鼻鼻で呼吸する。
お上品にイケます。
それはともかく「えずいてもがく鼻詰まり突貫呼吸半身浴」をストイックに必死でやっていると、すぐに汗だくになっていて、風呂の湯気がまた効果的というか、鼻だけでなくいろいろ通っていてめっちゃ爽快になっています。
一時的であれ、朝、外に出た瞬間に両の鼻から外気がすうと入ってくる感覚はなにものにも替え難いですよ。
詰まらない飲食習慣と共にこの汚ちゃない朝風呂を日課にしていると次第に鼻詰まり自体が無くなるか少なくなり深い呼吸も楽にできるようになっています。
ソカイ日記12
毎度わたくし事で相すみませんが、季節の変わり目にギックリ腰になってから、それが導引になったのか、めちゃくちゃ健康です。
ソカイ日記11
ソカイして四十九日が経った。
ソカイしていたことを忘れかけている自分に対する一つの警句である。
別に菜食主義者にはなりたくないけれどパスタばかり食っていたら食傷気味になって十二指腸が悲鳴を上げだしたので水菜ばかり食っていたら体が軽くなってしまって余程のことがないと訪れることのない吉田山を歩いていたらナントカ稲荷の鳥居の中に迷いこんだので普段ならしない家族の健康祈願などしたのがよくなかったのかあくる日の朝実家のシンク下のツナ缶を取ろうとしてしゃがんだ折ギックリ腰になってしまってつっぷしている。どうせならアクティブに動いているタイミングで痛めたら納得もいこうにツナ缶ひとつで馬鹿になるあっけない体で情けないようでたくましくもある。顔と顔を寄せ合い慰め合ったらそれぞれ玄関のドアをひとりで開けようが開けまいが落語のぞろぞろみたいにうまくいかんというか三十路を越えて確かに髭は毎日伸びるようになったけれど母は昆布水で腹を壊したみたいだし上の姉にはコロナの保菌先だと疑われてしまうし犬は耳をへたげて玄関先でえずいているから墓参でもするべきなのかと元々浅い信心が深くなってしまいますな。