短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

横浜ぶらぶら日記2

一月四日。私は今、横浜駅西口の高島屋の裏手の喫茶店「8番街」に席を取ってブレンドコーヒーを頼んですすり出したところ。気分は競馬場の馬場コンディションで言えば「稍重」くらいで、「ややおも」と読む。前日に集中豪雨が降ってずぶずぶになった芝が、今朝方の晴天で回復傾向にあるものの、軽めのステップでぴょんぴょん駆けるのが得意な馬にとっては少し走りづらい状態だ。つまりノットソーグッド。頭がしけた柿ピーみたいになっている。正月三ヶ日を痴呆みたいに寝て過ごして、ペヤングで空腹をしのいだ余韻だろう。悲しいかな、年末年始にかけてなんか知らんが例年通り、懐がすっからかんになっていた。

それにしても2022年は長かった。

昨年も今年と同じくして例年通りスカスカな状態で新年を迎えた。

園田競馬で一計をはかったものの失敗。

オケラになってから友人宅のプレステ2で久々にやった桃鉄でも借金地獄に陥った。歳下の友人の今西はそれからついぞ会っていない。彼のつくるカレーはとても美味い。

それからしばらく実家で伏せっていたのだが、三条の喫茶店でたまたま再開したグラサンの先輩に誘われて、スナックの居抜き内装工事を手伝うことになった。丸鋸で材木を切ったり、壁に漆喰を塗ったりする仕事だったが、納期前には三十六時間くらい寝ずに稼働するような無茶苦茶な現場だった。深夜から早朝にかけて、親方のケータイからアップルミュージックが垂れ流しになる。だいたい陽水、または長渕。ブラックアウトしかけの脳に染みた。読んで字のごとく洗脳みたいだった。特に陽水のカナリアはきつかった。

人々の愛をうけるために飼われて

鳴き声と羽根の色でそれに答える

カナリア カナリア カナリア カナリア‥‥

しかしながら時給が二千円だったので俄に小金を得、助かった。それに、丸鋸を使い、フリーハンドでまっすぐ板が切れるようになった。親方は今も夕暮れ前に三条の喫茶店へグラサンをかけて赴き、ケータイの画面に集中し、事務処理でもしているのかと思いきや、アプリで将棋を打っていることだろう。過去の名人戦棋譜なんかも逐一チェックしているらしい。なにはともあれ感謝している。

そんな気分がまるで遠い昔みたいに感じられる。軽快なラグタイムが流れている。横浜駅西口の高島屋の裏の喫茶店「8番街」は今日も時が止まったみたいに日常とBGMセットリストが繰り返されていて、ランチタイムになると二階の席が開放され、従業員が二人くらい増える。人々は飾り気のないカレーやスパゲティ、クロックムッシュにクロックマダムをそそくさと、濃いめのコーヒーで流し込んでいく。

それで時たま、かのセロニアスモンクが来日公演を終えたのち、記念品のオルゴールでアメリカに持ち帰ったという「荒城の月」のピアノ曲がしれえっと流れて、ああ、私はなんとなく横浜にいるなあ、という感慨に耽るわけだが、その洋題が「ジャパニーズフォークソング」とモンクによって名付けられているところが、なんとも乙なことと感じる。云々。

さっき、この近くの立ち食いソバ屋で、しけたイカ天を載せたかけソバを食って、年越しソバとしました。