短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東京日記23

一応、私の親方というべき服部さんは木屋町の三条を上がったところ、路地を東に入ったところにあるいやに古臭い、古臭い工法でセメントを型に流し込んで作られたらしい、酔っ払いにはスペース的にいかにも頼りない狭い階段を登った、一階につき一テナントを納める雑居ビルの最上階の四階に店を持っているバーのマスターなんだけれども、いわゆるコロナ特需みたいなのの恩給で暇と金が浮いた際に運転免許を再取得し、型落ち(といっても私みたいな車に疎い人間からしたらぴんぴんの車輌だ。私は車に関していえば三十年以上前に田舎で父が乗り回していたセルシオくらいしか実感的にわからない。したたかヤニくさい、ギアの部分とか後部座席の肘置きにつるつるにマホガニー風のツヤを出した塗装がなされた木材があしらわれたような、やや車高の低い、ラグジュラスでヤニくさい銀色のセルシオ)の黒いボルボを中古で安く買ったらしく、やたら狭い京都の路地をグーグルのナビゲーションアプリを使って目的地に向かって進むわけだが、「この車な、一回実家に乗って帰ってん。そしたらオカンが、あんたこんな大きい車買うてどないすん、邪魔になるやろ、言うし、そんなん勝手やん、思てたけど実際、西陣運転してみたらマジで道狭いし、かなんわ。いやしかし京都の路地裏マジで狭いな。電柱の位置どないなってんの。明らかにトラップやん。オカンの言うてたこと、身に沁みるわあ。オカンやっぱ賢こやなあ」と言っているのを助手席で聞きながら私はいい意味で苦笑しつつ時折「そうですねえ」とか「狭いですねえ」とかいう相槌を繰り返しているわけだが、確かに電柱が一丁の間に三本くらいぬっと突き出ていて歩道の線の外側くらいに立ち塞がっていて、その内側に長屋が全部繋がってるみたいに鮨詰めになっている、千本中立売あたりの住宅街は圧巻の逆の意味の圧巻で、どっちみち圧巻なんだが、情緒を通り越えて息苦しいかというと、息苦しいを通り越していて、かといって令和に至った今となっては情緒は感じず、そこらへんの情緒を感じる感じないの感覚は個々の自由だが、だからといってそれが普通なわけだから、侘しい感じでもなく人が住んでいるんだなあ、という感慨がじわじわ湧いてくるが、ボルボに限らず車輌という車輌にとってみればいけずでしかない間隙しか空いてない道路で、電柱に見える度に小中高生のサッカー選手志望の基礎トレーニングみたいにマイナーな、ギターでいったら一フレット以下つまり半音に満たない指の移動みたいな右折と左折を繰り返さねばならない反復トレーニングを普通に課しているようなこんな道路は普通に車輌で走っていたらどこかしらに当たるのが普通だから、京都の小路の角には大抵、大日如来を奉った御堂が建っていて、ご近所さんが恭しく掃除をし、信心深い、日毎に通りかかる婆さんなどが手を合わせ息子さんの息災などを祈りナムアミダブツを唱えていくわけだが、車輌にとってはコレらの角の御堂すら的確なトラップなわけで右折左折が毎度のこと危なくなる。

何故、このような大日如来を祀った御堂が狭い路地に乱立しているか邪推すれば、やはり路地という路地の角という角で、車輌と車輌、もしくは車輌と人間がかち合って事故が起き、悲しくも尊い命が失われてしまったような過去が実際にあったことが容易に想像でき、その鎮魂の意をこめられたろう大日如来を祀った御堂に向かった近所の婆さんの毎日のうやうやしい、たとえば彼女の息子の息災を念ずるナムアミダブツが唱えられ空に消えていく、そんな御堂に向かって服部さんは「少なくともこれがなかったら左折が楽なんやけどなあ」と言いながらやおら慎重に、型落ちの車体のやや長いボルボを動かしていく様を、私は、横の助手席で鼻をほじりながらロードナビゲーションをするでもなく、冬であれば座面が温まり腰に優しいラグジュラスな助手席に身を任せ、謎の安心に浸りきっているわけだが、それが無精だからといって角の御堂にぶち当たる不信、というか想像をしても仕方ないし、ただ身を委ねるしかできないわけだから、手持ち無沙汰になってポケットからタバコを取り出したところ、服部さんが「悪いけど今エアコン効かせるのに窓締め切っとるからタバコあかんで。このエアコンものすごい排気よう吸いよんねん。めっちゃ臭くなるし」と言ったのでとりあえずヤニは我慢していたら、目的地の駐車場に進入する際、入口のモルタル塀に黒いボルボは脇を削られた。服部さんは、

「嫌な音やわあ。これはもう仕方ないな。道という道が狭すぎんねん。ちょっと外出て傷確かめてくれる?」

ほんで外で一服しよか。ほんま運転疲れるわあ、と言った。

東京日記22

引き継ぎ停滞していて、停滞していると他のたいていの事象も停滞しているのが分かるというか、必然的にその手の事象に打ち当たるもので、西にひたすら歩いていたところ腰の核心がどうも座らない、ひたすらに腰がぱっとしない、元からそうだろうが、路面がずっと斜めで腰に悪いことが日常でありすぎて、誰もが腰のストレスに対して文句もいわず、まんじりとたたえること事体が停滞しており、文句を言う方がアホみたいなムードが完璧に出来ているが、要所の接合部の軟骨は刻々とすり減っているだろうし、酷暑も依然ひどい。盆地の盆がもう近い。いやすでに盆なのか。鐘は未だ鳴らない。

仕方なくひとまず憩おうと思いたって憩という喫茶店に出向いたら正午過ぎから階段で老若が並び待っていて、なんだかいけすかないムードであるばかりか、そもそも店自体が開いていないみたいなので、さらに西へ向かって停滞真っ只中という趣きの北野商店街を進むと、ひんやりとした薄暗いムードの衣類洋品店があり、ことさらに停滞している、そもそも十数年は停滞している感じで、陳列されているのはいわゆる婦人の普段着の類だが、開いているのが不思議なくらい、どういう理屈で生態がアクティブなのかほんとうに不明でありながら開いている。

比較的アクティブそうなメッサ北野というスーパーに入るとめちゃくちゃ冷えているかわりに客は疎らだが、肉とヤサイは的確に冷えている。レジのパートの女性たちも頭数だけは充実しているというか見た感じ五人は居て、レジ自体は四つのうち二つが開いていた。そこで1・5リットルのポカリを買って出たらアーケードの屋根のあたりから細く薄く流れている柴田聡子の雑感が聴こえてきて、一瞬あたまのシナプスにふぅっと電流が流れたような気がしたので、商店街の三叉路の寺の向かいの西洋圏という狭い中華屋に向かい入店、餃子とビールを頼んだら「かなり時間かかります!」と言われたのでテーブルの上の新聞を読むでもなく覗くでもなく萎縮していたら、小さい男の子を二人連れた父親が店内を覗いて「ぼちぼち待ちますわ」とボヤき外へ踵を戻したので、居住まいが余計わるくなった。テーブル二席で一杯の店なのである。カウンター数席は見る限り死んでいる、いわゆるデッドシートだ。

やっぱ辞めときますわ、と言って退出した次第、店主は顔をしかめて依然バタバタしていて、カウンター奥から大葉を探し出して忙しなく刻んでいるが、つくっているのは見る限りスペシャルラーメン二丁だけである。ウーバーをやってるみたいには見えないし、ただ単に物の配置とか親父さんの思考パターンとかが確信的に停滞しているとしか思えない。それかテイクアウトの餃子のオーダーが山積しているのか。

仕方なく、そろそろ開いてるかなと希望観測した憩に戻ってみたが、依然だらだら来客が、何を望んだか先程通り階段で列をなしていて、むしろ列は増強されている。それにどうやら未だ開いていないみたいだし、それから十五分後にめでたく開店したとして、先客はもっともらしくパフェとかパフェをこれみよがしに頼むだろうから、仮に乗り遅れたわたしが席を確保できたとして、すぐさまアイスコーヒーを頼んだとしても、てんぱったマスターが漸く其れを出してくれるのには、少なく見積もっても三十分はかかるだろうし、なんならランチも頼みたい欲望を抑えながらの配慮というか、ほんとうをいえばカレーのかかったオムライスが頼みたい、にもかかわらず無駄な配慮ではあるかもしれないがアイスコーヒーだけで黙って憩うか、というところに無軌道にパフェのオーダーが山積している可能性が大だから、マスターの立場に周って想像すると客を前にして叫びたくなる、咆哮のようなそれを、だが、そういう魔の咆哮をマスターがこの度のレトロ喫茶ブームの煽りを受け、日常的に繰り返しているとしたら、益々気が滅入ってくるというか、憩いが何事もなく憩えるという日常を以前に甘受していた、その日常が遥か遠くに過ぎ去ってしまった、エントロピー分水嶺を超えてしまったのか、何気なくぼんやり手塚先生のブッダなどをだらだら読んでいたような時間が、いつの間にか失くなってしまっていて、ただ停滞していた事物は度を超えて停滞し続け、もはやデッドである感覚がアクティブに見做されるようなこの感じは、繰り返されるべきでは最早なくて、しかしながら、というかそういうわけで、我々はどんどん酒とかに弱くなっていき、今や0.5%の微アルコールくらいが「丁度いいよね」「案外いいよね」「あのアルコールで沈む感じにもう耐えられない!」「なんかわかるー!」と同調しがちな自分も居るし、「今更、実煙タバコとか古くない?ていうか臭いし」「わかるー!CBDでいいじゃん、むしろ喉にいいんでしょ?」「思い切って変えようよ!」というような新規軸というか、ただの正論というか、そういうムードに圧倒されていくしかないのか、みたいな謎の危機感と魔の退屈が怒涛のように脳裏に押し寄せてくる感覚をひとえに停滞と呼ぶのだとしたら、まさしく私は停滞している、それどころか停滞そのもので、そもそも今日は憩、開けるんやろか、開けんのん違う?と予想しながら踵を返した。私だったらよう開けない。あの列をなし待ちつづける客の列はただひたすらに伸び続け、西陽を受けてまたさらに伸びていくのではないだろうか。

それから、のんべんだらりとした用事を終えて、夕方くらいに百万遍の銭湯に来たら番台で、マスターが上着の上からコルセットを巻いて肘を付きながら爆睡していて、口をあんぐり開けていた。

小生、丸腰だからタオルを借りないと入れないので仕方なく呼び覚ますと、「あ、あ、知らん間に寝てた?」とマスターは夢現の体で言った。

「なんか悪いね!」

と、私が言ったのは、無理に起こして悪いね、という意味合いなのだけれどマスターは、

「やっぱりだいぶ悪そう?」と返してきて、それもそうなのかもしれないが、そういう意味じゃなくて、という意味のすれ違いが、笑えるような笑えないような感覚はまさしく停滞といえるような気がするし、雑感の音の余韻も依然残っている。風呂に入って多少さっぱりもしている。サウナではレベッカラズベリードリームが流れていた。

東京日記21

現在、わたしは京都にいるが、こちらに来て三日目で腰がやられてくたばっており、出稼ぎに来たつもりが、なんというか八月の魔都のぬかるみにハマってしまった感がある。

実際夜行バスで着くや、どんより蒸し暑くて気温と体温がどっちかわからんくなって朦朧としたし、橋の下の川で足を一時間ほど冷やしても、地面に戻るとすぐに加熱するような感覚はティファールだ。ティファール盆地である。

慣れた住人は気合いで何とかやってるみたいだが、やはりこちらは、なまじっか心が東に離れたばっかりに、一時の気合いではどうにもならない、そもそも気合いの出し方がわからずマインドショック状態、蒸発の気配アリ、心理的村八分状態ココロここにあらず、きわめつけに腰、体もやられては当然ウツになりそうでヤバいので京都FMフラッグレイディオをタイムフリーで、先週の青葉市子〜カクバリズムをせんべい布団の上で腰を庇いながらタイムフリーで流されるまま聴いているけれども、京都FMフラッグレイディオといいながら、この雰囲気は少なくとも京都の雰囲気ではあり得ないわけ、涼しげ、夏のどろろん京都の沼免疫にはなり得ず、風鈴みたいな効果はなくもないかもしれないが、気休めにはなり得ずむしろ恨めしやである。いやはやよもやのトーキョーシックかもしれない。緑道の木陰と代沢の薄暗い喫茶店が恋しい。

しかしながらそもそも腰がやられた要因は先週に担ぎ入れた荷上げ仕事の容量、載積オーバーなので、こればっかしはどうしようもない。避けようがないというか、かつかつだったし、なにをしているかというと建築現場に四トントラックで届いた建材をたくさん運び込んで、その合間にポカリをがぶ飲みして、運んで、ポカリをがぶ飲みする、という流れなのだが、私以外の揚重工つまり荷上げ屋が皆おしなべて屈強ということもあり、簡単に比較すると私が一度に運べる荷物は彼らの半分で、その労力に対して必要なポカリの量は彼らのだいたい倍であるように見える、ひと現場でだいたい五六リットルのポカリが体内に流れて即蒸発していくわけだから、はなはだ燃費が悪い、はっきりポンコツといわれても致し方ない。ポカリを体内に通すと下半身の小水に濾過される前に上半身の毛穴から瞬間蒸発していき、べちゃべちゃになった上着以外、ひいては何も残らないから、ただひたすらポカリを飲むためにむやみに動いているともいえるエバーラスティングシュール。事後は爽快でビールがとってもおいしいが、どっちにしろ手当は水に流れがち。我、愈々、水泡に帰さんとす。

それにつけポカリは中毒性がヤバいから、涼しげな京都FMフラッグレイディオをタイムフリーで聴きながらうつ伏せで唸っていても、どうしようもなく喉があのささやかな塩見、甘味、ぎりぎりベタつくかベタつかないの絶妙な爽快感つまりポカリを求めていて、それ以外では代替えが効かない感じだ。脳がポカリにやられている。面倒なことになった。寝返りをうてば激痛が走るし、トイレに行くのも、立ち上がることさえままならず、到底コンビニには出向けんし、夢にみたポカリがまるで青い蜃気楼みたいに脳裏で揺らめいているばかりで、話にオチをつけることなど出来そうにございません。つづく‥‥

 

 

 

東京日記20

既視感というか、うさんくさい話、ある場所にはある場所の憑依霊みたいなんが確実にいると思っていて、憑依霊みたいなんがソイツに合うヨリシロを求めて取り憑いている。

現存している人は一見もちろん人の形をして、こちらからしたら良く見える、それはまあ恐らく実際ソンザイしており、めいめいの場所で空気を吸って水を飲んだりしているからなんだろうけど、例えば私が二十歳そこらのときアルバイターとして厨房で立ち働いていた古都京都の喫茶店Fには当時ホールスタッフとしてUさんやIGさんやYさんといった面々が居た、れっきとしてソンザイしておったわけで、職場でちょい揉めをして辞めてから数年後、ふと思い出したように客として訪れたら、みんな辞めて居なくなっていたはいた、居ないのは確かに居ねえな、少し寂しいな、とか思いながらフロアの給仕たちをそれとなく眺めていたら、どうもレジにいるAはTさんみたいな髪型だな、Bは名前を忘れたが大学生だった某さんを思わせるぽっちゃりしている、Cは二三回デートをしたがコチラも名前を失念してしまった‥‥誰だっけ?軽薄ですいません。若気の至りでした‥‥元気でいらっしゃいますでしょうか?の雰囲気とポジショニングだ。だからといって再度、寝ても覚めてもみたいに、その人に恋をするわけじゃないが、しかし。

もちろん、そんなこちらの勝手な印象は彼らにはおくびにも出さず、しれっとコーヒーを飲んで帰るわけで、ただチラッと見ただけの新しい、現存していたソンザイのことは直ぐに忘れてしまうんだけれど、会話を交わしたり一緒に働いたりしたり飲みに行ったりした過去のソンザイ達の事は事あるごとに思い出してしまうのが意識の妙で、その記憶をパッと引き出すきっかけになったりするのが、見ず知らずのソンザイABCだったりするところに、記憶が記憶のあやふやの中の何か大事なツボの存在を主張している、ような気がしているし、だいぶ話が逸れたが、私の憶測というか直感では、その老舗純喫茶Fとかは、建って六十年とか経っている老舗だけあって、当所の飼っている霊みたいな目に見えない初期型のソンザイたちが手前勝手に浮遊しており、何も特別なことじゃないと思う、彼らが物質的にソコから居なくなってからというもの、その都度、めいめい気の合うヨリシロを引きつけては、タウンワーク等で店のバイト募集を見つけさせたりして採用し、似たような雰囲気を醸し出させては、というかニューカマーがもとからそんな雰囲気を持っているに違いない、つまり霊的マッチングアプリをごく天然にダウンロード、適応され憑依したりされたり、現存していると思い込んでいる我々は実際のところ、役割をみずから選んでいるようで、大して選ぶ必要がないのでは??

そう考えると、我々も存在しているというより、ただ浮遊しているだけなんちゃうか、と思ったりするのは、この程しょっちゅう訪れているシモキタの喫茶店Tの手慣れたスタッフ某さんが、FにいたUさん-Fを辞めたあと創価学会だか統一教会だか何かに入信したという噂が流れていたーに恐ろしく似ていて、また違う某さんもFにいた左利きで、タイムカードをいつも出勤時間ギリギリ秒単位で押していたIGさんを劇的にマトモにしたような感じだけれど、けっこう似ているし、それは全然似てないのか、どっちにしても、毎度新鮮な既視感があり、自分がどこにいるか分からなくなる感じが好きなので、客であることを人知れず、なるたけ辞めないようにしたいと毎度思っていて、おかわりにアイスコーヒーを頼んだら正午前、喫茶店Tではチックコリアのリターントウフォーエバーが流れ出して、ヤング過剰なこの街にぽつんとあって、老若が入り混じる客席の中で、この雰囲気は奇特だなあ、と再度思ったりしている。

今日は何して遊ぼかな。

東京日記19

青山一丁目の深夜バイトはアートサイエンスプロジェクト(株)という会社の下請けをしているツバクロ揚重という昭和かたぎの荷揚げ会社のそれまた下請けという仕事で、ようするに解体、というか破壊されたトイレの壁材やら天井材やら間仕切りやら洗面器やらをヘラクレスと呼ばれる箱型の荷台に乗せて地下の駐車場スペースのスペースにどーんと置かれたコンテナまで持っていって移し、回収業社の二トントラックが到着次第またそれに移すという右から左へゴミを移しては移す、という繰り返しをゴミがあらかた無くなるまで繰り返すという作業で、シンプルといえばシンプルだが、作業の板挟みにある作業員の衣服が汗と汚物と不燃ボードの粉に汚れて臭くなるし、たいてい疲れるし終電は無くなる、という厳然たる事実はあるにしても、無闇に考えすぎるとアホくさくなる作業ではあることはあるところはさておき、今のところ、そういう流れがいちばん効率的であるという判断を、仕事の大元であるTOTO(トートー)から業務を請け負ったアートサイエンスプロジェクト(株)が判断し、人員を采配している以上、その末端の仕事ではあれ、つつがなくケガや熱中症に気をつけ、もし余裕があるならツバクロ揚重の兄ちゃんたちにも軽口を飛ばしながら、不穏な空気をすべからく醸し出さないように、健康的かつ穏便にやり過ごし、さっさと帰路に着くのが妥当だし、下請けの下請けの下請けの下請けといっても人足として頭さえ出せば、報酬は戦前以来のやんわり大恐慌時代とはいえ、ゼネコン仕事である以上バカにならないはずだし、田舎者だから現場が青山一丁目とあるだけで、仕事現場というのは労働者にとってあくまで色彩を持たない記号的なものだと分かっていても、なんなとなく気持ちが観念的に華やぐから、仮に丑三つ時にほっぽり出されても宿泊費やタクシー代は出ないにしても、交通費は別途出るわけで、船橋でも八王子でもどこでもいいはずなんだが、青山一丁目ということで、喜んで顔を出したりする私ははっきり田舎者だからね、って感じだけれど、こちらの直接の雇い先であるツバクロ揚重の人員二名の兄ちゃんたちと空いた時間に赤坂八丁目のセブンイレブンで一服していたら、どうも彼らはどちらも青森出身であるということが分かり、こちらはまだ自分が北海道出身だとは伝えてないにしてもなんとなく、そのざんばら髪を結わえた私の一つ歳下らしい榊さん、ツバクロ揚重の親方でイカにも元暴走族っぽい本日は不在の杉本さんが先日言っていたところの「あいつ嫌いにはなれねえんだけどなんかぼぉっとしてんだよね。なんか抜けてるっていうかさ。でかいくせにミョーに頼りねえんだよね」と聞いていた榊さんの低い声でぬめぬめしながらだらだら喋りナニを言っとるかいまいち分からん感じに人知れず合点がいって、そういう些細なことで勝手に打ち解けた、というか違和感が溶解していく感じが面白くもあり、懐かしくもある。

「おれ、高いとこ嫌だし、ゴンドラで三十階とか行ったら、それ高所作業の手当て貰わないとやりきれないっていうか、それみなとみらいだったら、富士山みえるでしょ。それ写真に撮ったら、その足で帰りますよ」と、榊さんがぶつぶつだらだら言っていた。親方に無茶振りされている次の現場のことだろう。

東京日記18

依然、慣れない肉体労働の反動が残っており、肩が回らない代わりに食欲が旺盛、よもやのパンプアップ期間か、動けば食わねばという強迫観念かもしれないが、とにかく食べてすぐさま寝て、を二度ほど繰り返したらとっくに一日が終わっていて、起きたら深夜の二時だったので、代沢のセブンイレブンに来たら、店員の兄さんがきわめつけのローテンションで、いたたまれなくなるのにも既に慣れてはいるけれど、それにしても、あの自動レジとレジの後ろに只たたずむだけの店員の組み合わせは非常に気まずい。労う言葉が見つからないというか、その代沢のセブンイレブンは新聞の品出しが遅すぎるのを私は知っていて、たとえば週末前の夕方には刊行されているはずの東京スポーツが納品後、夜になっても紐を解かれぬまま陳列棚の横下にほっぽり投げられているのを忸怩たる思いをもって毎度見ているが、おそらくあの極めてダウナーな雰囲気の深夜ローテーションのポルノグラフィティみたいな髪型の兄ちゃんはレジの内側でネットフリックスかなにかサブスクリプションサービスをもってスピード感のある韓国映画鑑賞に忙しいとかで、深夜は揚げ物も揚げないだろうし、まずもって何もしていないはずで、いかにもそういう肩肘張らず頑張らない仕事があることを大肯定したい、ゆっくり首肯したい、深夜滞在おつかれさま!手術台の上みたいにLEDを浴びまくって不憫ですね!というような気持ちを私は常々持っているにしても、レジの後ろで何も打たずにただ待たれていては気まずくて困る。百円のコーヒーを頼むだけの私にそこはかとない呪詛のような視線を感じたりしなくもないから、どうせならそっぽを向いていてくれ、と思いながらも、アイスも一緒に買っとくかと根負けしてしまう所があって仕方なくチョコミントのバーを選択し、外へ出て食ったら、予想よりしっとりしていて馬鹿にならないクオリティですね!不気味なくらい美味しいです!

ともかく私は、現今の労働環境批判がしたいわけでもなければ、今月のデザート新商品紹介がしたいわけでもさらさらないのは言うまでもないとして、かといって世のつれづれを嘆きたいわけでもなくて、むしろ緑道のベンチに佇み夜風を独占している優越感に浸って俳句でも作るか、とか思ってもみなければ、それなりに気持ちいい時間を過ごしながら、明日の早起きに不安を抱えていなくもない。どんだけ寝るのか。中途半端に寝たら終わりなような気もするし、転んだらいつまでも寝れる自信がある。

それはそうとして、こないだ上野に行ったら、久しぶりの友人が「今日はワンカンにしよーぜ」って言ってワンカンなる即物/行動言語を初めて知ったが、それぞれのワンカンを買いに赴いた駅前のセブンイレブンは未だ自動レジが導入されておらず、インド人がせかせかと会計をしていたことに人知れず感動して、興奮しながら友人に伝えたら「上野まじで変わってなくてウケるよねー」と、まじで白けた顔で言っていて面白かった。

 

 

東京日記17

私は今年三十六になるので卑しいといえば卑しいのかもしれない、三十になるかならまいかの頃に、三十になったら二度とやらまいと意を決していたキセルをまたしてもやらかし、東海道を横断して京都に来た。所要時間はおおよそ九時間。熱海、浜松、大垣、米原を当地に降りることなく中継する、苦行に近い行為に違いないが、ともすれば軽犯罪に当たるわけだから考えようによっては割に合わない、リスクに対して価値がないと思う人が大抵、尻も痛くなるし暇すぎて辛いだろうけども、私にとっては、ぼんやり移動が出来て旅費も浮く、時間で金を買うような塩梅なので丁度いい、モルヒネ等がなくてもどこでも寝落ちができるし、とも思っているが、みだりに行使するわけではなくてよっぽどの時、たまたま古都京都は祭りの真っ最中、バス賃が約四倍に跳ね上がるし、新幹線はそもそも乗らない、もともとが高過ぎるし移動時間がやや早すぎる、痩せ我慢もあるが、時間が勿体ないの逆である、乗客にご当地感もなければ情緒もない、余韻もくそもない有償のスピード移動に脳が付いて行かないのだ。

私感として、脳を東京に置き去りにしたまま身体だけ京都に連れ去る行為に違和感を感じざるを得ないし、そうでなくても度重なる移動で脳はどこか知らない場所に追いやられているから、ユニバーサルな捉え方によっては魂か、アマゾンの限界集落土人だったら気が狂っていただろう。土人を差別するわけではなくて、むしろ親近の情が強い。キャッシュもキャッシュレスも投資信託もFXも仮想通貨もまるで理解できないから、大義を持たない脱藩藩士さながら、健脚だけが頼りなのは頼りなのだが、昨年末に友人達と五人で戯れに行った京都→高槻への約三十キロ徒歩企画で私は真っ先に膝が曲がらなくなり、前に付いていくのが精一杯、真っ先に泣き言を吐いて、黙々と先陣を切っていた齢五十のお兄さんに「誰も文句を言ってないんやから口を慎め!」と戒められたもの、頭の中ではなぜか、ジョンレノンのリアルラブが般若心経よろしく逡巡していた。ひたすら無意味で馬鹿げた苦行の後、ハルピンという中華料理屋において交わした紹興酒の乾杯はいかにも甘露で、その余韻が今なお離れないが、その時私はハルピンで真っ先に寝落ちた。

能書きが長いけれど、そもそもこれは意識の正当化、チキン日記レースに違いないから、とはいえ自身とチキンの雌雄を決するつばぜり合い、意味の無意味化、無意味の意味化、イミテーションラブの行使権は私にあるのだろうが、出町柳の喫茶店Gの窓の外は今とてつもない豪雨、祭りのあとに堰を切ったよう、オカルトじみた感覚ではあるにしても陰陽呪術でインバウンドを護っていたとしか思えないような、呪術都市の越権行為に無力な私はさすがに立ち往生、なにかと間が悪かったとしか思えない帰京ではあったけれど、主目的はハローワークで失業保険受給の手続きを済ますことなので、上記に輪をかけて無意味なことには違いないにしても、さっさと済まして、夜行バスで戻ります。

今しがた、先日オンラインにしたばかりに、洪水警報だか避難勧告だかのアラームが型落ちのアイホーンから鳴り出して、喫茶店Gの面々と輪唱している様。