短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東京日記23

一応、私の親方というべき服部さんは木屋町の三条を上がったところ、路地を東に入ったところにあるいやに古臭い、古臭い工法でセメントを型に流し込んで作られたらしい、酔っ払いにはスペース的にいかにも頼りない狭い階段を登った、一階につき一テナントを納める雑居ビルの最上階の四階に店を持っているバーのマスターなんだけれども、いわゆるコロナ特需みたいなのの恩給で暇と金が浮いた際に運転免許を再取得し、型落ち(といっても私みたいな車に疎い人間からしたらぴんぴんの車輌だ。私は車に関していえば三十年以上前に田舎で父が乗り回していたセルシオくらいしか実感的にわからない。したたかヤニくさい、ギアの部分とか後部座席の肘置きにつるつるにマホガニー風のツヤを出した塗装がなされた木材があしらわれたような、やや車高の低い、ラグジュラスでヤニくさい銀色のセルシオ)の黒いボルボを中古で安く買ったらしく、やたら狭い京都の路地をグーグルのナビゲーションアプリを使って目的地に向かって進むわけだが、「この車な、一回実家に乗って帰ってん。そしたらオカンが、あんたこんな大きい車買うてどないすん、邪魔になるやろ、言うし、そんなん勝手やん、思てたけど実際、西陣運転してみたらマジで道狭いし、かなんわ。いやしかし京都の路地裏マジで狭いな。電柱の位置どないなってんの。明らかにトラップやん。オカンの言うてたこと、身に沁みるわあ。オカンやっぱ賢こやなあ」と言っているのを助手席で聞きながら私はいい意味で苦笑しつつ時折「そうですねえ」とか「狭いですねえ」とかいう相槌を繰り返しているわけだが、確かに電柱が一丁の間に三本くらいぬっと突き出ていて歩道の線の外側くらいに立ち塞がっていて、その内側に長屋が全部繋がってるみたいに鮨詰めになっている、千本中立売あたりの住宅街は圧巻の逆の意味の圧巻で、どっちみち圧巻なんだが、情緒を通り越えて息苦しいかというと、息苦しいを通り越していて、かといって令和に至った今となっては情緒は感じず、そこらへんの情緒を感じる感じないの感覚は個々の自由だが、だからといってそれが普通なわけだから、侘しい感じでもなく人が住んでいるんだなあ、という感慨がじわじわ湧いてくるが、ボルボに限らず車輌という車輌にとってみればいけずでしかない間隙しか空いてない道路で、電柱に見える度に小中高生のサッカー選手志望の基礎トレーニングみたいにマイナーな、ギターでいったら一フレット以下つまり半音に満たない指の移動みたいな右折と左折を繰り返さねばならない反復トレーニングを普通に課しているようなこんな道路は普通に車輌で走っていたらどこかしらに当たるのが普通だから、京都の小路の角には大抵、大日如来を奉った御堂が建っていて、ご近所さんが恭しく掃除をし、信心深い、日毎に通りかかる婆さんなどが手を合わせ息子さんの息災などを祈りナムアミダブツを唱えていくわけだが、車輌にとってはコレらの角の御堂すら的確なトラップなわけで右折左折が毎度のこと危なくなる。

何故、このような大日如来を祀った御堂が狭い路地に乱立しているか邪推すれば、やはり路地という路地の角という角で、車輌と車輌、もしくは車輌と人間がかち合って事故が起き、悲しくも尊い命が失われてしまったような過去が実際にあったことが容易に想像でき、その鎮魂の意をこめられたろう大日如来を祀った御堂に向かった近所の婆さんの毎日のうやうやしい、たとえば彼女の息子の息災を念ずるナムアミダブツが唱えられ空に消えていく、そんな御堂に向かって服部さんは「少なくともこれがなかったら左折が楽なんやけどなあ」と言いながらやおら慎重に、型落ちの車体のやや長いボルボを動かしていく様を、私は、横の助手席で鼻をほじりながらロードナビゲーションをするでもなく、冬であれば座面が温まり腰に優しいラグジュラスな助手席に身を任せ、謎の安心に浸りきっているわけだが、それが無精だからといって角の御堂にぶち当たる不信、というか想像をしても仕方ないし、ただ身を委ねるしかできないわけだから、手持ち無沙汰になってポケットからタバコを取り出したところ、服部さんが「悪いけど今エアコン効かせるのに窓締め切っとるからタバコあかんで。このエアコンものすごい排気よう吸いよんねん。めっちゃ臭くなるし」と言ったのでとりあえずヤニは我慢していたら、目的地の駐車場に進入する際、入口のモルタル塀に黒いボルボは脇を削られた。服部さんは、

「嫌な音やわあ。これはもう仕方ないな。道という道が狭すぎんねん。ちょっと外出て傷確かめてくれる?」

ほんで外で一服しよか。ほんま運転疲れるわあ、と言った。