短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東京日記21

現在、わたしは京都にいるが、こちらに来て三日目で腰がやられてくたばっており、出稼ぎに来たつもりが、なんというか八月の魔都のぬかるみにハマってしまった感がある。

実際夜行バスで着くや、どんより蒸し暑くて気温と体温がどっちかわからんくなって朦朧としたし、橋の下の川で足を一時間ほど冷やしても、地面に戻るとすぐに加熱するような感覚はティファールだ。ティファール盆地である。

慣れた住人は気合いで何とかやってるみたいだが、やはりこちらは、なまじっか心が東に離れたばっかりに、一時の気合いではどうにもならない、そもそも気合いの出し方がわからずマインドショック状態、蒸発の気配アリ、心理的村八分状態ココロここにあらず、きわめつけに腰、体もやられては当然ウツになりそうでヤバいので京都FMフラッグレイディオをタイムフリーで、先週の青葉市子〜カクバリズムをせんべい布団の上で腰を庇いながらタイムフリーで流されるまま聴いているけれども、京都FMフラッグレイディオといいながら、この雰囲気は少なくとも京都の雰囲気ではあり得ないわけ、涼しげ、夏のどろろん京都の沼免疫にはなり得ず、風鈴みたいな効果はなくもないかもしれないが、気休めにはなり得ずむしろ恨めしやである。いやはやよもやのトーキョーシックかもしれない。緑道の木陰と代沢の薄暗い喫茶店が恋しい。

しかしながらそもそも腰がやられた要因は先週に担ぎ入れた荷上げ仕事の容量、載積オーバーなので、こればっかしはどうしようもない。避けようがないというか、かつかつだったし、なにをしているかというと建築現場に四トントラックで届いた建材をたくさん運び込んで、その合間にポカリをがぶ飲みして、運んで、ポカリをがぶ飲みする、という流れなのだが、私以外の揚重工つまり荷上げ屋が皆おしなべて屈強ということもあり、簡単に比較すると私が一度に運べる荷物は彼らの半分で、その労力に対して必要なポカリの量は彼らのだいたい倍であるように見える、ひと現場でだいたい五六リットルのポカリが体内に流れて即蒸発していくわけだから、はなはだ燃費が悪い、はっきりポンコツといわれても致し方ない。ポカリを体内に通すと下半身の小水に濾過される前に上半身の毛穴から瞬間蒸発していき、べちゃべちゃになった上着以外、ひいては何も残らないから、ただひたすらポカリを飲むためにむやみに動いているともいえるエバーラスティングシュール。事後は爽快でビールがとってもおいしいが、どっちにしろ手当は水に流れがち。我、愈々、水泡に帰さんとす。

それにつけポカリは中毒性がヤバいから、涼しげな京都FMフラッグレイディオをタイムフリーで聴きながらうつ伏せで唸っていても、どうしようもなく喉があのささやかな塩見、甘味、ぎりぎりベタつくかベタつかないの絶妙な爽快感つまりポカリを求めていて、それ以外では代替えが効かない感じだ。脳がポカリにやられている。面倒なことになった。寝返りをうてば激痛が走るし、トイレに行くのも、立ち上がることさえままならず、到底コンビニには出向けんし、夢にみたポカリがまるで青い蜃気楼みたいに脳裏で揺らめいているばかりで、話にオチをつけることなど出来そうにございません。つづく‥‥