短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

東京日記19

青山一丁目の深夜バイトはアートサイエンスプロジェクト(株)という会社の下請けをしているツバクロ揚重という昭和かたぎの荷揚げ会社のそれまた下請けという仕事で、ようするに解体、というか破壊されたトイレの壁材やら天井材やら間仕切りやら洗面器やらをヘラクレスと呼ばれる箱型の荷台に乗せて地下の駐車場スペースのスペースにどーんと置かれたコンテナまで持っていって移し、回収業社の二トントラックが到着次第またそれに移すという右から左へゴミを移しては移す、という繰り返しをゴミがあらかた無くなるまで繰り返すという作業で、シンプルといえばシンプルだが、作業の板挟みにある作業員の衣服が汗と汚物と不燃ボードの粉に汚れて臭くなるし、たいてい疲れるし終電は無くなる、という厳然たる事実はあるにしても、無闇に考えすぎるとアホくさくなる作業ではあることはあるところはさておき、今のところ、そういう流れがいちばん効率的であるという判断を、仕事の大元であるTOTO(トートー)から業務を請け負ったアートサイエンスプロジェクト(株)が判断し、人員を采配している以上、その末端の仕事ではあれ、つつがなくケガや熱中症に気をつけ、もし余裕があるならツバクロ揚重の兄ちゃんたちにも軽口を飛ばしながら、不穏な空気をすべからく醸し出さないように、健康的かつ穏便にやり過ごし、さっさと帰路に着くのが妥当だし、下請けの下請けの下請けの下請けといっても人足として頭さえ出せば、報酬は戦前以来のやんわり大恐慌時代とはいえ、ゼネコン仕事である以上バカにならないはずだし、田舎者だから現場が青山一丁目とあるだけで、仕事現場というのは労働者にとってあくまで色彩を持たない記号的なものだと分かっていても、なんなとなく気持ちが観念的に華やぐから、仮に丑三つ時にほっぽり出されても宿泊費やタクシー代は出ないにしても、交通費は別途出るわけで、船橋でも八王子でもどこでもいいはずなんだが、青山一丁目ということで、喜んで顔を出したりする私ははっきり田舎者だからね、って感じだけれど、こちらの直接の雇い先であるツバクロ揚重の人員二名の兄ちゃんたちと空いた時間に赤坂八丁目のセブンイレブンで一服していたら、どうも彼らはどちらも青森出身であるということが分かり、こちらはまだ自分が北海道出身だとは伝えてないにしてもなんとなく、そのざんばら髪を結わえた私の一つ歳下らしい榊さん、ツバクロ揚重の親方でイカにも元暴走族っぽい本日は不在の杉本さんが先日言っていたところの「あいつ嫌いにはなれねえんだけどなんかぼぉっとしてんだよね。なんか抜けてるっていうかさ。でかいくせにミョーに頼りねえんだよね」と聞いていた榊さんの低い声でぬめぬめしながらだらだら喋りナニを言っとるかいまいち分からん感じに人知れず合点がいって、そういう些細なことで勝手に打ち解けた、というか違和感が溶解していく感じが面白くもあり、懐かしくもある。

「おれ、高いとこ嫌だし、ゴンドラで三十階とか行ったら、それ高所作業の手当て貰わないとやりきれないっていうか、それみなとみらいだったら、富士山みえるでしょ。それ写真に撮ったら、その足で帰りますよ」と、榊さんがぶつぶつだらだら言っていた。親方に無茶振りされている次の現場のことだろう。