短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

小さい読書会のお題は寝ても覚めてもということだった、それは最近映画にもなってるみたいで、小説でも、映画でも、どちらの感想でもいいですよー、よかったらみておいてください、と幹事。
つかってくれてありがとう、けれど今、店という名の箱はなんつうかどんよりしているよ、とはよう言えんかった。実にどんよりしている、と思ってしまっていて開店祝のパキラとサボテンと二股の植物がいずれも瀕死だ。世話できなさすぎたのだ。たまに夕方くらいに水をやると呪詛が聴こえる。いきものをなめたらあかんで、水は朝やろ朝、いう。純粋に植物の呪詛というより呉れた人のそれかもしれない。どっちにしても同じことだ。
植物の贈り物っつうのは、ある意志なんだな。これからはなにかあっても、だれかに観葉植物をあげるのはやめよう、と思った。せめてユリとかチューリップにしよう。
二の足を踏んでいたら幹事から読書会には人が集まりそうにないとの連絡が当日に来た。皆忙しいやら返信無精やら。彼らはものかきの集まりなので、そういう性向もあるだろう、ひとりで溜め込みがちというか、それでいてそっけなく見られがちというか。しったようなことはいえんけど。
それでも僕と嫁だけでも顔は出そうと思います、と幹事。様子見に来てくれるんだな、と思った。なにげなく気にかけてくれがちな幹事の
旦那、とその嫁さん。彼らみたいなつがいに任されるべき観葉植物たち。
さっきまで見えていたほぼほぼの満月がいつの間にか見えなくなっている。川の対岸からはアイリッシュなバイオリンと太鼓の音が聴こえる。えもい焦燥感がある。ピーナツの殻を地団駄で踏みつぶしながら聴くべき音楽。エールビール。
右斜め背後からも陽気な太鼓とギターが聴こえる。どちらの太鼓からもシンバルがふしぶしでがしゃん鳴ってるので用意周到なデュオのようだ。
弦楽器による焦燥音楽を川縁で聴きながら、僕はさぼっている。
かなり寒い、ジッパーが壊れたらしく締まらない上着
快活クラブで油を売るのが個人的な最近のトレンドなんだが、また尻の出来物が腫れてきて座位が痛くなってきた。どうも満月と関係があるらしい。歩き方もぎこちない。
快活クラブとは昨今店舗を増やしまくっているネットカフェでここができはじめてから他のネットカフェが潰れまくっている。同志社近くのヒーリンフィーリンもつぶれたし河原町三条の地下のネカフェもつぶれた。異常にサービスがよくて値段設定も安くてソフトクリームが食い放題で百万遍のそこではカラオケできてダーツ
まで打てる。盛り込んでいる。深夜のスタッフのおばさんとか働きすぎて目がかっぴらいてるんだな、ホラーなんです、印象が。
そこでウシジマくんとかクロサギとか社会派な青年マンガを読みふけり疲れたらあだち充とか読んでトルコライスをたまに食う。冷凍のピラフと冷凍のミートスパゲティと冷凍のトンカツ。盛り込まれている。なんかうまい。まずいのがうまい。
ろくなもんじゃないけど仕方あれへん。中身濃いよね現代日本の社会派マンガに身をつまされながら食うトルコライスもやめつきになる。
要するに僕は屈服している。
無気力という名の気力を尻の腫れ物と快活クラブと商業映画に。
例えば男はつらいよの最終章で寅さんは震災後の神戸で炊き出しのボランティアをしていた。
その映像を浅草の親戚たちはブラウン管越しに見つけて「あれ、とらだよ。何してんだかね~」とあきれながら安否にほっとする。これはなんというか笑えてしまってかえって唸った。ファンタジーが現実を克服してしまったようなかんじかな。
大学のとき、美学のインチキくさい教授が題材にしてた。
社会的事象の取り入れかたが秀逸だったってかんじで。
そのときじっさいの渥美清はもうほとんど歩けなかったらしいよ。
ほんでさっき寝ても覚めてもの映画を観てきた。
右の尻が痛かったので座席に左尻だけおいてみた。
先日みたボヘミアンラプソディーのレイトショーに比べたら席スカスカだったのですこしばかり横柄に、みた。
エゴの塊になって独りになってしまった劇中のフレディマーキュリーに両脇の女性は込み上げて泣いていた。だからどうっていうわけちゃうけどなんかすごくて一体感があってそれがいいわけちゃうけどエンターテイメントでしたよ。
ブライアンメイ以下バンドメンバーがフレディに切れるシチュエーションに筋が通っていた、ベースの人アジカンのベースと雰囲気似てるんだなって思った。
そう考えるとちょっと似てる話のような気もしてきたぞ寝ても覚めてもとクイーンの話。
うーん。トルコライス感が過剰だったは寝ても覚めても
幹事に小説の方の寝ても覚めても借りて読んだあとだったんだけど、
原作は日記ぽくて、カメラで撮っただけみたいで、もっとドキドキした故さきに読んでてよかったな、って思った。
みた人は読んでみて寝てね。