短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

横浜ぶらぶら日記1

目黒のドゥーという喫茶店に来るのは二回目で、一回目はこの夏にフランスの移住ビザ待ちの人妻と彼の友達、昭和の某大アイドルの娘との待ち合わせに使ったんだけれども、これが案外大当たりで喫煙者専用の方舟みたいな、このまま、そのドゥーとたまたま居合わせた客だけで辺境に浮かんで行ってしまったとしても、それなりに長いこと幸せだろう、と思えてしまうような安心感のある良くできた店で、今となっては再現不可能な佇まいの内装、屋根裏部屋みたいな低い天井が斜めに降りていて、そこからカウンターにダウンライト、突き当たりの壁際からアップライト、やたらに暗いわけではないけれど陰影が、それぞれみんなの顔に浮かび上がって、私は窓際の一人用ボックス席からカウンターとカウンターの客、特にその右端に席をとった目の前でサライの昭和特集を読むでもなく眺めている感じのどうしようもなさそうなおっさんを眺めざるを得ないわけだが、そんなおっさんさえ芝居の役者みたいに見えてしまう。

そもそもおっさんが入店にした時は私を含めて満員で、マスクをしていたらどことなく能の翁みたいな表情に見える、つまり笑ってんのか笑ってないんか全然わからん垂れ細目のマスターは「すいません。いっぱいです」と伝えた。おっさんとマスターの歳のほどはだいたい同じくらいだろうか。

こちらの空間では誰かの発言は居合わせる全員にはっきり聞こえる。そういう広さで、おっさんは「それじゃあ、豆を買いたいけど濃いのはどれですかな」と言ったが、マスターは「濃いのは淹れ方なんで、濃いも薄いも豆にはないですよ」と柔らかいけれどスパっとした口調で返した。

カウンターの化粧板は真っ赤っか。サイフォンや水差し、スプーンが雑然そうでぜんぜん整然と並んでる間にすんと座った細いフラスコに小さいバラがイケていてちょうど、ダウンライトの一つにすぼめた口を向けているみたい。どれもヒジョーにキレイ。なんというか、ここの壁に貼ってあるロートレックのデザイン絵のステッカーは臭くない。いやらしくない。

関係ないが、僕の好きな京都のカフェ・コネクションの自称キチガイのマスターも店のセンターにバラをイケていて、私が「いいっすね」と場つなぎに伝えると「バラ、いいっすよね!これはねー!店を開けてからずーっと!欠かしたことないんすよ!いわばオレの意地なんです!ずーっと客居なくてもあるんですよ!オレ、実はキチガイなんすよ!」と言っていたのを、こんなような機会、つまり一輪の活けバラが目に入った瞬間に思い出すわけで、その都度、感動を追体験し、吹き出してしまうわけだけれど今しがた、対角線上に向かい合わせになった女性と目が合って、多少不審に思ったことだろう。私は型落ちのアイホンを下手くそな経理部の電卓打ちみたいに打ちながら、コネクションのマスターを思い出してニヤニヤしていた。

「じゃあ、深煎りはどれ」とおっさんが訊いた。「うちはイタリアンだけですね」とマスターが言った。

「マンデリンは」

「いわゆる普通ですね」

グアテマラは」

「だいたい似たようなもんですよ」

「ええとねえ、じゃあグアテマラもらおうかな」とおっさんは言ったが、私はイタリアンにせんのかい、と心の中で突っ込んで、なぜか少なくない腹立たしさを人知れず感じてしまう。そんなことはどうでもいいし、他愛ない質問と受け答え、というだけのことなんだが、それにしても会話が成り立っているように思えない。マスターは依然、ビハインドマスクの心情が読み取れようもないけれど、朗らかな声で「どれくらいご用意しましょう。挽きますか」と訊ねた。

そうこうしている合間に私の目の前のカウンター席の客が辞去し、入り口の前に立っていたおっさんは「折角なんで試飲がてら一杯いただきましょうかな」と言い、スポーツ新聞と昭和特集のサライを手に取り空いた席に座をしめた。スポーツ誌の一面は前日のサッカーのワールドカップのニッポン代表を称揚している。

「何にしましょう」とマスターが尋ねると、おっさんは「それじゃあ、コロンビア」と返したが、私はイタリアンにせんのかい、と心の中で突っ込んで、なぜか少なくない腹立たしさを人知れず感じてしまう。つまり、深煎りのコーヒーを所望していると仄めかしながら、イタリアン以外は中煎りですよ、というアドバイスをマスターがしれえっと、とはいえ、しているにもかかわらず、それを無下にしてまう節穴みたいなおっさんにはどうも愛嬌を感じない、冷たく言い切ってしまえば、豆の産地名称を声に出して唱えたいだけのトンチキおじさんは無害に違いないことは言うまでもなく、ドゥーにとっても売り上げに貢献しているわけだから、有益な存在だと見做していい、とか勝手にうだうだ言ってる私は間違いなくこの世で一番卑小な存在である。

ところでJR目黒駅は東京23区において目黒区という区に位置するみたいだが、この区と区の区切れが私みたいな東京素人にとってはちんぷんかんぷんで、山の手環状線の一駅という認識くらいしかなく、寄るべないというか、親しみがないというか、記号的というか、いやまさに「目黒」という記号でしかなかったところにドゥーが現れて、どうなるわけでもないけれど、そこから街の個性について肌で感じるきっかけにはなる。

今朝方は、池上という大田区の一駅に赴く用事があり、なんとなしにドゥーがそんなに遠くなさそうだな、とか思い当たり、ドゥーを目的の一つに据えることで本日の動線が、無意味を前提として勝手に組み立つことが、いわば無意味中の無意味に居る私の唯一の救済であり、最後の憩いといっても過言ではない、まさに華厳の行で、ふざけているわけではなく、私は一輪のバラになりたいと今、急に思った。

池上は東急池上線という、現代においては少なからずぼんやりしているように見える路面電鉄の蒲田寄りに位置し、上りは五反田で終着する。五反田は目黒にも増して記号感が強い、恐らくは世間の大半の人、東京に住み続ける人間でさえ、山の手環状線でただ通過するだけの一駅だろうが、聞くところによるとジモティの本社があるとか、サザンオールスターズの桑田さんのセカンドハウスがあるとか、そういうどうでもいいかんじの情報が、当駅ビルに降り立つ私の頭に彩りを加えるし、花房山通りという線路沿いの、だんだらした坂道を歩いていくと標識で、ここが品川区であるという発見もあるし、いつの間にか目黒区に至っていてるというか目黒、目黒といえばドゥーだ、ドゥーはやっぱり近かった!みたいな答え合わせがおおよそ当たったいて、アホみたいだが、ちょっと楽しい。

私の印象では目黒駅周辺は、つけめんがメニューにあるラーメン屋とマスクしてない人がやたら多い気がする。

花房山通りを引き返せばサラリーマンの品川区、目黒川を下っているのか上っているのか、とにかく歩けば池尻大橋つまるところ世田谷区、路面電車で行けば下町が連なる黒湯の噴き出る大田区で、オールドタウン蒲田はイメージ的にもどうしようもなさそうなおっさんが多そうだが、羽田空港へのバイパスであるゆえにキャビンアテンダント風のハイミスがたくさん見えるという街徳を兼ね備え、多摩川を渡れば、競馬場と競輪場を兼ね備えた川崎、神奈川県ということで、横浜も感覚的に近くなる。実際すぐそこだ。距離のことではなく「なんとなく遠い」が「なんとなく近い」に無意識に、ちんたらすり替わっていく感じが面白い。