短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

ヴァニラ

f:id:kon-fu:20200120191221j:image先週末には数万円は預金があったはずなのに今朝起きたら四百円しか残っていなかった。四谷四丁目の部屋は布団を残してすかんぴんである。荷物は昨日、オザワさんに手伝ってもらって雑色という京急蒲田の一駅どなりのところに移したのだが電気が点かずこちらで夜を明かした。趣味の悪い空き巣に遭ったみたいにすっきりしている。重たかった肺もいくらかすっきりしている。

とりあえず四谷駅まで歩いて上野に向かうことにした。

というか、正直打電する手が重たい。

抵抗しがたい無力感に圧倒されているわ。

空は右斜めに向けてスコーンと晴れ渡っているわ。

四谷駅の見附から南東に抜ける空は個人的に特A級の空なんです。

特に夕暮れなんかはなんど拝んでも泣けてくるんです。

抜け泣けなんですわ。

東京に来たら一度晴れた日にジェイアール四谷駅で降りてみてください。

そのままそちらの方へ飛んで向かったなら世に名高いお台場があって、ゼネコンの仕事で年末から何回も行っているんですけど実に荒涼とした所だったので、不思議です。同じ空なのに。

結局、特上の空からは見放されてしまったのかもしれない。ずーっと橋の棧にもたれてぼーっとしていたかった。できたら家族で。ともあれ家族というのは忙しないし、すり寄せないといけない約束事もひたすらたくさんある。ぼーっとしてたら金と一緒に信用も無くなっていくし、それを押し通すガッツと脳天気が自分にはないな、とか考えていたら結局乞食になるしか選択肢がなくなっていくように思えてしまう。

 

なんかうっつーっぽいな。

 

この季節はいつもたいていそんなかんじだし、去年の今頃は谷崎先生の細雪にはまって引きこもり、悶々として木屋町で飲んでいたら腹に激痛が走って病院に緊急搬送された。

ギャラクシー500を爆音で聴いていた。

 

思うに、冬は大半寝てた方がいんですよ。

経済が止まらないから仕方なくみんな働いてるけど、大半のギスギスがそこから始まってる気がします、と運転しているオザワさんに伝えると、そうかもしれないですねー、と返ってきた。

「筋肉も硬くなりますしねー。西海岸とか、行きたいっすねー」

カーオーディオからはスポティファイで聴いたことのある、西海岸あたりの夫婦でやっているようなローファイファンクが流れている。古臭い音色だけれど、けっこう現行の音である。「domino」という曲が良かった記憶がある。

「これなんでしたかねー?」

「いやあ、わかんないですねー」

「なんか余裕がありますよねー」

「やっぱ気候じゃないすか?」

「すごい偏見なんですけど」

「はあ」

ポートランドのバンドってたいていメンバーのひとりの家に地下室とかあって、そこにビンテージのアンプとか揃ってて、そこでマリファナ吸いながら気の利いた音楽つくってるんすよ」

「あー、わからなくもないっすね。あんまり、そこは羨ましくないですけど、余裕があるのはいいですよね。この車、もう結構やばくて。買い換える余裕ないんですけど。そのうち走行税まで取られるようになるみたいなんすよ」

「世知辛いですねえ。ところでオザワさん」

「はい?」

「実は今日謝礼払うどころか、昼飯代もないんですよね。明日になれば入るはずなんですけど」

「あー、いつでもいいですよ」

名目上、引越しの搬入出ドライバーとして彼を依頼したわけだが、案外、移動時間が短くて、ほんとはただ、だべりたかっただけ、というのが目的地に近づくに従ってわかってきた。

それなのに、彼は殊勝にも安全靴まで履いてきていて私は面食らった。

「引越しなんでね」とオザワさんは笑っていたが、ウケるーっていうには私はすでにおっさんに過ぎるし、咄嗟に「オモロ渋くて複雑に心苦しいー」という自分なりの適切な表現ができなかった。

「そういえば、四谷の方の部屋、違約金ないんですか?」

「いやあ、契約書みるとありますね。法律上はたぶんN Gなんで、弁護士雇えば勝てるでしょうけど、弁護士雇う金はないっすねー」

「俺、昔、踏み倒したことありますよ。そのときいわゆる現場仕事してたんですよ。退去したあとも口座から家賃落ちてて、電話で恫喝したら、金、返ってきました」

「まじすか。恫喝とか、できるんすか?」

「やっぱ仕事じゃないすか。ほら、現場ってけっこういかついでしょ。今はたぶん、できないです」

わたしはオモロ渋くて複雑な心苦しさを覚えながら、もっとUSインディーの話がしたいなあ、とも思ったが、USインディーをこれから聴き直す気分にはなかなかならなそうだし、固有名詞はひとつも思い出せないし、時代は常に更新されていて世間はビリーアイリッシュやKOHHに夢中だし、びっくりドンキーでも行きましょうか、と伝えようとしていたら早々にオザワさんは辞去の意思を伝えてきたので、感謝の念だけ伝えて見送った。

日曜日は彼の唯一の安息日である。

最終的にオザワさんはボウイの布袋さんを褒めちぎっていた。

パッドフィーリングという曲が特Aらしい。

 

それで、今日、年末のカニ売りバイトの給金をもらいに上野に行ったら、なかなか受け取りに行けなくて結局貰えたんだけど、受け取るまで六時間くらいかかった。

それまでアメ横を空腹を抱えながらふらふらふらついて公園で昨日ダウンロードしたガレージバンドで気の利いたドラムパターンを打ち込もうとしたら、ペルーの民族衣装をまとった恐らくはペルーのおじさんがコンドルが飛んでいくをトラックに乗せてオカリナみたいので吹き出して打ち消され、街路を歩けば風俗求人紙の宣伝車が爆音の四つ打ちで、ヴァーニラヴァニラヴァーニラ求人!という宣伝曲を鳴り散らし、暫く頭から離れなかった。

♪♪即日稼げるヴァーニラ♪♪

目的意識のあるDTMは気が利いているな、と思った春みたいな小春日和でした。