短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

かなりつまる入院とまるでつまらない日記

日記のように書こうと思っても散漫過ぎる冗談ばっかり出てきて困っているのだけれど今回はいくらか純粋な記録になるよう心がけようと思います。

入院前はとにかくご飯もタバコもコーヒーも不味く感じていました。三十二年で味覚を使いきったのかと観念していたふしもあるし、節分前はたいてい心もからだも重たいのでそのせいかとも決めつけていたところもあって。

逃走願望もひときわ強くなっててひたすら狭い茶室での侘びた生活を夢想したり、朝は瞑想、昼はかけそば、床屋で顔剃り夜銭湯みたいな。内田百間のような暮らしだな、あとはたまにでかい火事でも起きたら急いで駆けつける。百間の生きざまにはオチがなくて僕はたいへん好きというか、嫉妬を覚えるくらいです。ていたらくの達人。

そんなん想って呆けていたら緊急手術即入院という始末、入院すなわち蟄居なので茶室暮らしの妄想がつくった因果のような気もします。

それなら願ったりかなったりじゃぁないかとはじめは思ったけどやっぱり入院は入院だったと思いなおすのは病室の窓という窓が解放禁止の息苦しさ、感染とか自殺とか防止できておるかもわかれへんけどじわじわ正気が圧殺されていく感じ。動機が患者の療治のためだという一方的な正当性からきているから余計きつい。
左京区の病巣からこの国の息苦しさを透かして見ているような気もします。
病院に限らずバスでも電車でも、ホテルでさえ締め切りのとこあったな、窓くらい開けれたらええやないか。ようは病人は飛び降り自殺も自由にさせてもらえへんてことなので。

ところがしかしやっぱりあろうことか担当の看護師さんはこちらにはもったいないようなきれいな人でした。手術あけは三日ほどは何も口から入れれないし、寝起きも自由利かないくらい動くと痛いし、尿道に管通ってるし、点滴四つもついてて、ひたすら惨めだったんですけど、看護師さんてそれが仕事なもんやから蒸しタオルできったないとこまで恭しく拭いてくれるんですよね。それ患者の容態次第ではあたりまえなんですけど無茶苦茶きもちいいを軽く通り越して申し訳なくてたまらない感じになりました。僕も介護の仕事してたことあるので局部蒸しタオル拭きなんて慣れたら無感覚でできることくらい知っとるんですけど、なまじっか情が移るとやばそうなので無愛想を装ってひたすら看病を受けていたら、それに疲れまして、また侘しい茶室に焦がれることになった次第であります。

そうこうしてたらもう春節、節分いうたら僕にとったら正月より正月なので正月くらい外に出たいなぁって看護師さんに洩らしたら、全然いけるんじゃないですかね聞いときますねーって軽い感じで翌日時間は限られてはいましたが出れまして、今にも降りだしそうな雨をかくまった濡れ濡れの冷えた大気を思いきり吸い込むと、やっとはじめて蘇生したような感じは僕の正月っぽい感じでまんざらでもねぇんじゃねぇかなぁってかんじになりました。

十二指腸に穴が空いて手術したんですけど、肺も相当あかんかったみたいで、こっぴどく医者に禁煙を諭されてたんですけど、特別やりたいこともないし懲りないもんで、とりあえず出しなにファミマのベンチで一服、正直一本目の黄色いピースにはピンと来なかったんですけど、神社お参りしてから顔出した友達の店で飲んだコーヒーに合わせて、もう一本吸うとやっぱしこれは止めらんねぇよ。

タバコもそうやけどヤニとあいまってコーヒーが劇的にうまくなるのを、もしかしたら初めて思い出して、足元から溶けて崩れ落ちそうになるこの感じ、これはおおげさに言うとインアウトの疑似体験だ、ということはこれにまたいずれ慣れてきて吸っても吸っても不味くなってでも吸っちゃうようになるんだろなって考え出したらそりゃレスリーチャンも龍之介も自殺するわなって、ちょっと合点がいきましたけれども、僕は晩年には侘茶室でキューバの葉巻を燻らしながらポケモンでもしたいのはしたい、あぁ、せよもな。

ほんでもってもうあした退院ですねん。
おはよっおー、またやろっおー