短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

どこでもかめしませんわ、と返ってきたのが仮に夜の8時過ぎだったとして、おなかに激痛が走った時すでに午前0時を回っていたので多分そのいわゆるロックバーで一番安い黒霧島ソーダ割りをちびちびやっていくつもりだったのだろう、気持ちよく酔っていたし、その店を訪れたのはとても奇遇というか、下手したら十年ぶりくらいで、最後に行った時に一万円ぶんのお釣りを五千円ぶんのそれしか貰わなかった、したたか酔っていた自分もあかんかったのやけれどマスターの呂律はさらに回っていなかった、ことを根に持っていて足がしばらく向かなかったところにやっとこさ漂着したその店で頼んだ黒霧島ソーダ割りを一口すすったところで腹部の激痛に堪えられなくなってなんとかトイレにたどりついたものの吐くのがやっと、その前に酔った立ち飲み屋で飲んだ赤ワインがそのまま出たのかまっ赤だったので、ワインだったらダサいなと思いつつもほんまに痛くて立てないので血いかもしれんしな、とトイレから這い出てほぼほぼ初対面のちょっとダミ声の姉さんにヤバそう、と伝えた。え、まじで、うせやろ、ほんまたてへんのん、うっわ、ほんまやばそやな、な、あんたな、悪いの胃やったら右下に横になったほが楽やで、そ、そ、ちょい百々ちゃん、あんた救急車呼んでくれる、とちょっとダミ声の姉さんに声をかけられた百々ちゃんはビックリして目がかっぴらいていただろうけど、この人とは五年来ほど折々に会っていて、立ち飲み屋で白髪の多いドラマーの友達と大学生の男前のダンサーと飲んでいたら、彼女とその友達に会って、よもや合コンにはならんやろうなぁとは思っていたけれど、実際なりえず、立ち飲み屋の繁盛しかげんは意味不明だった、確かに酒がすごい安くてスタッフの兄さんはもし薄暗がりである程度の距離をとって眺めたりしたなら気が遠くなるほどの男前だろう、ワインにも詳しそうだしとにかく気が利きそう、けれど立ち飲み屋は狭すぎて明るすぎた、ただ男前である、公衆便所で隣り合わせたようなシチエイションで男前は映えない、ただ百々ちゃんの相談話は相変わらず面白くて、うちもうすぐアゴ削んねんか、整形、、まぁゆうたらせやねんけどな、今、ほら歯ぁ矯正してるやん、これの保険がアゴ削ったらおりんねん、すごない!と目をかっぴらきながらまくしたてて、で、11月13日の人と1月26日の人やったらどっちがええと思う?うちもう10年彼氏いてへんねん、ヤバいやろ、というような件は最初に会ったときと同じようなパターンで、つまりその時は今より積極的に占いをやっていたので、同じように占った、ただ百々ちゃんの言動がどれも僕がぷ、と吹き出してしまう笑いのつぼに金太郎飴みたいに嵌まっているのでどの角度から来られてもあまり変わりようがない、僕はとある平家の末裔だと田舎のばぁさんに言い聞かされて育ったおばさんの占いをしてひどく疲れてしまって以来積極的に占いはしていない、百々ちゃんには13日生まれの方を推して、ただ結婚がというタイプではない気がする、って適当に答えたら、目をかっぴらいて、当たってるわ、、って言うのはこれは、僕の占いがどうとかっていう話ではなくて百々ちゃんのひきがワンパターンで潔いのだろうな、とか考えて、僕は気分はよかった。ただ腹痛はひどくて、堪忍してぇって小さく呻いてたカウンターのヘリに右を下にして突っ伏しながら、マスターにギャラクシー500をリクエストするのがやっと、オンファイアの一曲目が鳴って、あぁここにもやっとこさ来れたなぁと思ったら、もうなんもかんも報われた気分ではあった、そこからは2001年宇宙の旅の次元移動シーンと手術室とツラトゥストラのじゃジャーンていうかぼボーンていうかてぇチューンかな、とにかく衝撃的な音、なにせ正月明けにやたらキューブリックの映画ばかり見てしまって、シャイニングもどちらかといえばしていたい、僕なら蘆刈、谷崎翁の短編はあおぞら文庫で読める。場所はありし日の巨椋池で、、