短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

Let's Get Out of This Country

Let's Get Out of This Country

 そろそろと、ソフトクリームとスポーツ紙を76番の喫煙リクライニングシートに持っていくわけだけれど、そこでまず性癖を満たす、というか紛らわす。タッチもしくはH 2を読みながら。快活クラブにはティッシュペーパーが各室に完備されているのだ。まんじり集中している間に溶けだしたソフトクリームを慌ててすすり終えたら一息ついて大好きなゴールドシップ皐月賞を、もうなんかい見ただろうなって、何回みてもたまんないなぁって思いながら見る。
 それから今週のレースをスポーツ紙を読みながら現行の競馬競争の予想をする。ふと明日の京都の第二レースにカネコメアサヒっていう馬を馬柱に見つけて、好きなカメラマンを思い出して、なんとなく彼が勝ったら彼女も勝てるかもって、早起きできたら久しぶり淀の競馬場に出向いてみるかなって気になったまま寝て起きたら、まだ七時前だったから、出町柳駅前の街一番の商売上手がやってるチケットショップの自販機で、少しお得な切符を買ってライドン。
 二階建ての電車に乗って、、
今回はあえて一階の席を陣取ると、そのシートのあまりの心地よさに、実際京阪の特急プレミアムカーは私鉄の最上クオリティだと思っていて、ついつい眠ってしまう。
 はっと目が覚めると電車は早や丹波橋を過ぎて宇治川を渡っている、出掛けは地下鉄なので余計に、暗い産道を抜けたばかりみたいに朝焼けが眩しくてくらくらする。薄目をあけて車窓を眺めながら、鉄橋を渡った陸続き、急坂に身を委ね終え道なりに進めば右手に伏見納所と書かれた突塔が見えてその回りに団地が密集していて、まるで墓場に卒塔婆が立っているみたいに見えたりして。
 というのも友人の能口という男が歌う大パノラマという曲が大好きで、その曲はその団地地帯の突塔を納骨所と勘違いしてできた歌らしく、そいつが僕の視界にどことなく奇妙な影響を及ぼしたに違いない。
 彼は初めてその突塔をみたとき、てっぺんから吹き出す煙を誤視し、火葬場と勘違いした。その実、突塔は給水塔で煙なんか吹いてやしない、給水塔は火葬場と勘違いされ、火葬場は納骨所と勘違いされ、彼の納骨所は煙を吹き出し、その誤解がこしらえた合理的に簡便化された都市計画のような景色に彼は感動し曲をつくり、その曲に僕はたいそう感動し、主に競馬場に出向くときに再三思い出している。
 そとを見ながらそのままぼんやりしていると、目的地である淀をあっさり通りすぎてしまっている。次の駅を越えた東側の山のふもとにはやけっぱちのような廃墟があって屋根から窓枠やら、抜けている。廃墟は少なくとも三年前には同じように存在していた記憶があるから、一応は駅前の風景なわけだし、なにかを主張し続けているような気もする。例えば都会の駅前のテナントにキャッシングローンの会社の広告が立ててあるのは、誰かの視線とか経済事情とかに引っ掛かるだろうという見立てを立てているわけだろうし。
 とにかく廃墟は毎度なにか暗澹としたもやもやを産み、かといいながら次来たときなかったら寂しいな、とか思っている。とことん未消化なのである。
 けれどこれまでに消化できた出来事なんてあったろうか。とてもない。小学生のときの恋だって、中学生のときの恋だって、高校生のときの恋だって、大学生のときの恋だって、野にさらされてからの恋だって。それで僕は回文をつくることにした。近所のジャズバーで客のおじさんに教えてもらった、
 那須でいつ会おう お暑いですな
 という回文にうっかり感動してしまったのだ。これは土屋耕一という昔の資生堂のコピーライターの作品らしいのだけど、まるで遊歩道を歩いていたらちょうどよい木漏れ日がさしてひとすじ風も吹き込んだりして首筋を流れる汗まで気持ちいい、みたいな気分に、一瞬で誘ってしまう、そんな回文。それでいて常になにか抜け落ちていて、なにか現実生活を送る上での必須事項が。そういう抜け落ちが最近の気分なのかもしれない。すなわち、
 い、いらないな内容 用意無いならいい

 今年の、宝塚記念天皇賞菊花賞エリザベス女王杯ジャパンカップもジュベナイルフィリーズ朝日杯フューチュリティステークス有馬記念も、甘い期待をよそにほろほろと、手のひらをこぼれ落ちていった。惰性で金を賭けているものの、てんで熱中していないのだ。
 それならやめたらいいのに、、と言われても困るので心が重たい時ほど、とりあえず現場に足を運ぶ。時間もあれなので、下車。
 
 京橋の構内の喫茶店でトーストとゆで玉子をコーヒーで流しこんで京都方面にもんどり打って競馬場についてすごすごといつものように、切符を買ってゲートをこえてパドックからフードコート側の屋外の喫煙スペースで一服していたら、浮浪者然としたじいさんに唐突に声をかけられた、
「競馬はわからんなぁ!なんや考えても全然当たらん!そもそも当たらんのや!エリザベス女王杯でへんなん来たやろ!俺はその当たり馬券で今日、遊ぶんや!わけないで!」
 一瞬、世界がじいさんと僕だけみたいになって、なんというか特異点のような存在だったのかな、確かに今、僕は少し熱っぽい。はぁ、とか、へぇ、とか答えて今日はしこたまするかもしれん、と思うことは思ったが、カネコメアサヒは僕の思惑通りハナを切って逃げて四コーナーを曲がって二番手を突き放した。
 粘れ!粘りきってまえ!
 と、絶唱するのは意識的ではついぞなく、つまった鼻水をかむようにとっても自動的で、叫んでる当の本人も首の根元の振動を感じながら冷静に感心していたりする。自分のどこにこんな熱量が残っていたのだろうか、と。
 ゴール板をカネコメアサヒが一番に通りすぎると、全身の筋肉がいっぺんに弛緩し、多動症の小学生みたいにいきなり後ろ側に回転したりしてしまうのも一連のパターンだ。
 僕はカメラマンにメールをした。
〈カネコメアサヒはダンカークという新種牡馬の産駒で芝ダート問わずよく走る。あまり誰も目をつけてないから今なら人気しない。シークレットランという馬もダンカークの産駒で有望。来年のクラシックこっそり狙えるかも。やったぜ!〉
 しかしカメラマンは競馬のことには興味ない。いわんや種牡馬のことをや。返信はないだろうし、経験上一世一代の逃げを打ったカネコメアサヒが上のクラスで勝つのはけっこう厳しいだろう、、
 ともかく変にひとりで興奮してしまって動悸で苦しくなってきた。これはいわゆるパニック障害の発作の一種かもしれない、、
 河岸を替えようかとも思ったが、移動もしんどいのでフードコートで夜泣きソバをすするも侘しいし動悸はおさまらない。あえて平静を装いタバコを吸ってみるも、この世のものと思えないくらい不味い。結局、冷静な判断力を無くしたまま馬券を買い続けることになり全部すってしまった。こういうパターンなんだかデジャブ。ここ淀競馬場にいること、ひいては京都に住んでいることが陰気なデジャブそのものでしかないように思えてきてしまう。
 思いきって河岸を替えよう!スロウボートに乗って淀川を下り、大阪湾を飛びだして、高知まで漂流、ほんで草競馬の牧童でもするか!
 と、テキトーに勢い勇んだところで僕はぶっ倒れたわけだけど、気がついたらちろちろとオレンジ色の明かりが映る川の上を浮かぶ屋形船にいた。夕暮れはとうに過ぎているよう。
「気が付きなさいましたかぁ」
 という、しゃがれた声を聞いたのはそんなに昔じゃないどころか、つい数時間前だったような気がする、、