短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

しばらく鳴り続けますかと飽きたらぬのはJポップかな

ガソリン・アレイ

ガソリン・アレイ

  • 浅川マキ
  • ロック
  • ¥250
 昨日は、薄曇りの下鴨本通りで朝代さんとすれ違ったわけだけど、最近彼氏と別れたという風聞だけはこちらに届いていて、どうしてこういう下世話な風聞が何気ないすれ違いに奇妙な印象をもたらしたりした。
 ひょんな噂を耳にするやいなや、ぱったり会うみたいなことは、もちろんただの偶然といえば偶然なんだけど、そうとばかりもいえないくらいしばらくお目にかかっていなかったので、噂そのものが、ぱったり会いを誘発しているような気もしてくる。
 そういう気付きに意味合いはまるでないのだろうが、けれど何かの予感を思わせるわけで、だからといっていきなり仲良くなったりとか、そういのでもないだろうけども、実際今日も朝代さんとチャリですれ違った。
 昨日と違い今回彼女はわき目もふらず目的地へ邁進している風情で、ぞっとするくらいな表情をしていた。オフの般若みたいな、俄然老けたような、そんな顔。僕やその他の知人などを認識していない時、人はものすごい無念を湛えていたり、人によっては常時口笛吹いてるかもしれんけど、僕がみたときたまたまオフの般若みたいだったので、そういうシンパシーをかえって感じてしまった。
 修羅さん、人はそれぞれ修羅なのだ。
 それで軽薄な祈りをたててみる。幸せというのは、あんまり不定形で、最近どう?ぼちぼちでんな、さいですか、こちらもさっぱりですわ、そういうあやふやな膜をかけることをよしとするムードもあるにはあって、かといってヤーマン!なんかいいバイブス感じるね!とか言われても困るしかない。
 絶望が絶望でなくてなんだろう。いたしかたないし、ほんとうだったらほんとうだ。
 そういう朝代さんの表情は不憫だとか大変そうとかじゃなくて、ぐっときた。
 幸せでありますように、という祈りを僕は立てることができない。
 ただ、今、いた!
 みたいな祈りとは似つかわしくない祈りを立てた。
 ここ何日かでお目にかかった三人は多分だいたい同年代で僕の10歳くらい上の世代で、初めて会ってから大分たっていて近づきもせず、それでも似たような行動圏をしばらく保っていて、それでいて揺れ動いていたり、狂いそうになっていたり、ごまかしを効かせたりしながら相応に歳を食っていっている。
 ガソリンアレイでよく会っていてガソリンアレイがなくなって気持ち疎遠になった。ガソリンアレイには子供みたいな大人が疎らに集まっていて、それまでどうしようもなかったことを氷解させる温みがあった。
 ガソリンアレイなき今、僕はどうしたことだろう。
 からからになってサボテンも枯らして好きな馬も一線を去ってしまった。
 喉を鳴らして何を歌おう。
 今日は検針しながら大塚愛さくらんぼが鳴り響き、これは末期症状だと自覚し、続いてマイリトルラバーのハローアゲインに占拠され冬のような季節をまんじり感じ、シャムキャッツのカリフラワーのCメロからの短いギターソロが何べんも繰り返され途方に暮れそうになった。
 ということはシャムキャッツはJ ポップだなぁ、と思ってまた、こことはまったく違う場所で思い出したいような、そんな気分になった。
 息つかず逃げるように快活クラブにしけこんで香港のシャンティ競馬場でやってた国際競争をグリーンチャンネルで生観戦したわけだけど、なんというか、衛星中継ごしの、隣の芝が鮮やかなこと、、