短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

香港の逃げ馬をみてなにかしらセンセショナルな夢を見るまで

 水道メーター検針員として街の辺縁を彷徨いていると、慮外の知り合いに会うことになる。
 五日前は、数年前に高円寺あたりから移住してきた奥村さんで「基成さんも国立で水道メーター計ってたわぁ、役者とかバンドマンとか多いんだよね」
 「ここらへんはたいてい主婦ですよ」と答えた。
 基成さんとは彼女の配偶者だと思われる。思われる、と思うのは、こちらが半信半疑なのであって、彼らがいつ離れてしまっていてもおかしくないと邪推せずにはいられないからだ。下品な憶測だとも思う。慮外の人と会うと利害などとは関係ない様々なことが、閃光みたく駆け回ってしまうふしがあってそれはオートマティックなのだ。自動的である。そんなよなことは、ひたすら無意味でもあるし、その瞬間までの考え事を誰かに伝えるのが困難なのと同じで、それからの瞬間の思いつきの全容を開けて見せることもできやしないのだけれど、せめて自分の中ではすこしくらい把握したいとはいつも薄々思っていて、それはつまるところ誰かに閃光の一部のようなものでも無理から伝えたいんだろうな。
 「奥村さん、家この辺なんですか」「そう、といっても修学院の方なんだけど、たまたま職場まで歩いていこうって感じになって。けっこう歩いてるな」「健康的すね」とかなんとかよそよそしい会話をしている橋の下の川は、その下流の方と比べると格段にぱぁと拓けていて光の差し方というか、まだ朝方だったせいもあるけど、上流がすこーんと見渡せて、僕がこれまでに見ていた記憶の中の奥村さんの印象を劇的に変えたりもした。北山まで来るとさすがに山が近い。秘密を全部ばらすように視界が、下界とくらべて良好だ。奥村さんまですこーんとしているように、そのとき見えた。
 今まで会っていた場所とかタイミングとかで人の印象なんてのはまるで変わるもんだな、とか考えながらも、子供たちが少し大きくなって、いくらか手がかからんくなってすこーんとしている真っ最中なのかもしれんな、とかいう憶測みたいなものをまたもや立てたりしたところで、「じゃぁまたね」と朝の光を背負って西へすんすん歩いていった。もともとすこーんとしている人なのかもしれない。どうもそちらの方が合っている気もする。
 三日前は、僕がこの街に住みだしてまだ間のない十代のとき、ライブハウスのカウンターで声をかけてくれた小谷くんに仕事終わりに帰路についていたときに郵便局の前の交差点で会った。件数がやたら多くほうほうの体、すでに日が暮れかけていて薄暗がりのなか、通りの向こうから、「今日、休み?」といくらか拡声ぎみの声をかけてきた。「バイトっす」とこちらもいくらか声をあらげた。
 何故か彼は少し笑って、そっか、じゃぁまた、を、からりと放って東へ去っていった。
 少し笑ったのは多分、いろいろ思うところがあったのだろう。嫌なかんじじゃなくて、いわゆるさっきの閃光のような、思いつきとはまた別種のとりとめもない憶測を、自分と同じようにかどうか確かめられないけれど、オートマティックに浮かべていて、ときにそれは彼にとって面白くもあり悲しいようで懐かしくもあるのかもしれない、まるでグローブのかつての流行歌のように、そんなかっこよくないけれど、浮かべて、それで今日、それこそ十年くらい以前に小谷くんが連れてってくれたラーメン屋に検針が午前で済んだので昼に寄ってみたのは感傷的なところもそりゃなんぼかあって、けれどそれよりかたまたま通りかかって、その実ラーメン屋に通りかかる大分前から僕はそのラーメン屋のラーメンを意識していて、もっといえば立体的に思いだそうとしていたけれど、そこまでは思い出せなかった、結果的にたまたま意識的にたどり着いた。
 その「天竜」というラーメン屋の前には煤けた白いボックスカーが路駐してあり、高架の横の死角にチャリが七、八代停められていたので繁盛していそうな雰囲気は、急に寒さが増してきて、なにかにつけて、冷えますねぇという常套句が街路に落ちた手袋のかたわれとほぼ同時に意識に散見されだして、メニューや営業時間を切り抜いた入り口のガラスが温度差で白く曇っていて、入店するやいなや僕のメガネも一気に曇って、はっとした。入れ違いに中年の男が出ていったので、まだ鉢が置いてあるカウンターの入り口側の端に座れた。オレンジのドレッシングがかかった太い千切りのキャベツが小皿にまるまる残っていて、他のほぼ満員の客はなべて焼き飯をラーメンと一緒に食べていたけど、そういえば小谷くんに連れられて夜に来たときも僕は唐揚げセットを頼んで、彼はたしかラーメンを単品で頼んだ。
 なんでか、ここ好きやねん、と呟いたことを、なんだか理解したように思っていた当時の僕の視界はおそらく、今より拓けていてラーメンをうまいと感じる暇がなかったように思うし、事実味なんか覚えていなかったから再度ここに来る前に立体的に想像できなかったけど、そんなのはいつもそうで、けれど人と飯を食ってたら案外味なんかどうでもよくて、会話もいっそ要らなくて、だからといってラーメンがなかったらなにもない、とも言えるし、会話がなけりゃ息詰まったりもする。当時はよく理解してなかったけど、このラーメン屋は夜の三時半までやってるという情報が明記してある入り口のガラスを店のおっちゃんが内側から拭いて曇りを取っていて、それを今回鏡文字で確認し、しかも昼もやっていて、ものすごい営業してるな!おっちゃん一人でやってんの、それきつくない?他に誰かいるかもしらんけど、それでもえらいこっちゃ、かきいれ時に手が空いた間隙に窓をワイパーするおっちゃんを思うラーメンを好きな小谷くんは、もしかしたら深夜に腹ごなしに、大学生のときとか、来ていたのかもしれない。
 昨日は、