短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

鼻づまり車谷似と言われた日あのときあの娘は十八なりき

KIMOCHI

KIMOCHI

登校拒否ならぬ登店拒否に悩まされていたら尻の出来物が膨れて座骨神経を圧迫し、痛んだ。都合のいい体だ、満月だった。歩けなかった。
そういえば暫く風呂に入っていない。億劫。
まんをぢして金曜の朝入浴し患部をいぢっているとにょろにょろと出おった。血のおりもの、膿である。
気持ちいいことといったらなかった。余韻の痛みはまだあるが歩ける歩ける悦びを噛みしめ、それに心を乗せるとナチュラリーに自分の店をひょろりと通り越して俺は園田競馬場にいた。
困ったものである。
呵責はあった。そいつは常に守護霊のように俺の左脇につきまとっている常識人だ。半分仲悪い、けど普段飲まないアスピリンを飲んだせいか、あやつ沈滞していたのかもしれない。
阪急電車に揺られる俺はまるでインド洋を漂うクラゲのような気分だった。なんとなく熱っぽい。関節がむずがゆい。
開門まぢかの園田競馬場は素敵なごみ溜め、ゲート最前列では同伴キャバ嬢をつれた汚いおっさん脇を抱えてイチャイチャせずにはいられない風だけど露骨にいやがられている。愛玩グッズには成り下がりたくない。切ない。いやそんなことはない。これも旅情だ。今日は今年最後の園金ナイターなのだ。
みんながまちのぞんだカーニバルだ。
園金ナイターとは園田競馬場がたまの金曜に時間を夜九時くらいまで繰り下げてレースを開催する日です。ワレ初体験。
ハロイン前ゆえ、よくわからん被り物をしたふとっちょも檻の中の虎の様相。
ゲートが開いて自分を含めた動物たちが氾濫してげてもの食いの胃袋にしなだれ込む。どっどー。
いきなりの踊り場ですでに地肌をくろく焼いた中年手前っぽいギャルが三人サンバをすたこらやっている。なんだかめでたい気もしてくる。
ここ園田競馬場ではいろいろと思い出もある。
おじさんと連れだっておけらになって金借りたり、正月に恋人と来てお年玉もらったり、おしなべて悲惨な結果ばかりのはずが、記憶というのは現金で、財布の中身がなくなったやつは消え去っている。残金が帰りの切符代と551の肉まん一個分とかままあったはずなのに。そういうとき連れがいると特に身が切れるように疼くのを覚えているのでたいてい独りで行くことにしてる。
同伴連れたおっさんはこの日どんな具合だったろう。多分前日に景気よく当たって、しこたますったんじゃないかな。ほんで憂さ晴らしに女に襲いかかっているような、んで逃げられる。競馬での勝ち負けつうのは常々そういうものだ。
腫れ物を飼いながら月末の支払いに気持ちが追われる気分はまるで上々でない。最低である。店で稼げる予感もじぇんじぇんない。そういうやけくそで競馬してなんども失敗してる。
それでも園田は温かい。
でかい競馬場からおけらで帰るときと比べてせいせいとする。たぶん食い物が旨いからだ。
淀の京都競馬場のケンタッキーはセットが割高で頼んだコーヒーがお湯だったこともある。バイトの大学生は責められない彼らは何も賭けてないからね。けっこう切実なこちらがわとの温度差ありすぎ。午前で負けがこんだ時のかけそばのしみったれた感じ、機械化された動きのおばさんたち。フードコートいつも忙し過ぎそうだけど、、お疲れ様いつもありがという愛想を吐き出すにはやっぱ温度差ありすぎー。
その点園田のフードコートはがちで善き昭和感満載まぐろ居酒屋のおっさんはまぁ馬券は賭けてないにしてもテナントに生活賭けてるマグロカツサンドまじで安くてボリュームあって旨い確か二百五十円とか。昭和がなんたるか理性的にはわからんけど発泡酒の生三百円でれろれろ。おでんは当たり屋で熱燗と。すぐそこで馬走ってるのに箱の中の居酒屋のテレビでレース観戦、どの席にもあたりまえに馬券用のマークシートとえんぴつ置いてる。
当たった瞬間呑める快感分かち合える空間これ尼崎ならではなんかな?
これぞ年金受給者のおっさんたちのたちのディズニーランド。
みんなで行きたい園田競馬場
けれど喜びも悲しみも分かち合うにはでかすぎるのかたいてい人と行くと外れる。悲しい。
実際この日フードコートの白いプラスチックのフリーテーブル席で賭けなれた感じの俺と同年代の三人組が生ビールの使い捨てコップをしこたま積み重ねていた。男ひとり女ふたりのいい感じのユニットで可愛すぎずぶさいくすぎずそこはかとなくえろい男もちょうどいいもささろくでなし加減馬券は当たってなさそうだったけど混ざりたかった。微妙な三角関係に。多分男はどちらとも付き合っていない、大学時代の同級生か、サークルの同士か。ただの職場の同僚というにはくだけすぎている感じ。いいなぁ。男は多分ええかっこしく当てようとして外れている。運をそこはかとなくえろい妙齢の女ふたりになにげなしに吸われているのだ。はっきりしない関係性に。
片方は狐目で茶色のもこもこのフリースを着ている、俺ははじめこちらに反応した。すこしく幸が薄そうだ。この子がえろそうに見えるのは俺のフィルターを通してでしかない。けれど三十代前後の女はどんな場合もたいてい異様に発光している自覚してないプリズム、つまるところ自分では御すことのできない欲求である。大気圏を越えた気球のような。もこもこのフリースと袖が触れる、馬券に集中してるふりしてる俺、実は彼女に夢中、感応しあっている実感がある。俺が意識していることに気づいている女。振れた意識の渦中それとなく穴馬ねらってる俺。
まことしやかに言われること、異性とギャンブルは相性が悪い。先ほども洩らしたがニンゲン基本的にベクトルの違う目的には集中することができない。特に男は。
俺は意識の中で迷走した。これは外れるパターンだ。振り切らねばならない。狐目の女が発するムードを。ここは伏見稲荷ではない。園田競馬場だ。それに今日はマツリスタジオだ。瞑想。
ふと先日伊賀に嫁いだ友達のメールをおもいだした。××子という。ふたりめの子供がうまれたらしい。めでたいことだ。抜き差しならないことだ。よくわからん返事を俺はした。いじらしく変容した恋のような返事。返信はなかった。どんどん離れていく感じ、言うなればママチャリと電動自転車のスピードの違い。物理的な。ママチャリてママが乗ってるはずの語感なくせに最早おっさんしかのってない。実際ママは電動自転車にしか乗ってない。トレンドである。チャリで使う脚力を子供に集中させるのが経済的だとだれにおしえられることなく気づいているう。北大路を西に走っているとわかる。最早子持ちの若奥様は電動自転車にしか乗っていない。
けれどそんなことはどうでもいいことだ。おそらく××子は電動自転車には乗ってない。そんな物理的なスピードになんの意味もないことを知っているスピード感を生まれる前から持っているから。俺はかたわらで石ころになるしかない。
結論からいうと俺はふだんありえんくらい馬券を当てた。瞑想の賜物をちょうど家賃分くらい。決めては勝ち馬の母馬の名前が××コスペシャルだったことだ。決めうち。されどときは異様なスピードで過ぎ去っていく。
いまは腹が減っている。
微妙な三角関係の狐目でないほうの狸的な女はグレーの厚いタイツにミニスカートだった。こちらもじわじわえろくなってきた。帰りの無料バスで彼らはずたぼろな感じで俺と逆の方向にむかった。
馬が走っていた土のトラックにバックライトが未だ灯っている。
俺はまた独りだった。
(ありし日の高橋G一郎に捧ぐ)
赤目四十八瀧心中未遂

赤目四十八瀧心中未遂