短歌は馬車に乗って

スイートなエッセイです

SKOのNK II

f:id:kon-fu:20210510114326j:image五月十日 快晴

午前七時半起床。

昨日の晩、寺町のツタヤで借りてみたイ・チャンドンのバーニングの余韻が残っている。一回半観た。結末はどうか…だけど久々にめちゃくちゃいい映画みたって感じ。なぜか抜けはいい。原作より全然潔い。タバコを吸いながらムーンライダーズ青空百景を回してカバーが外れたかけ布団を屋上のベランダに干した。まじで快晴。のち薬風呂に入って鼻詰まりをとる。

いやあしかしイさんのそれはワセダの映画館でみたオアシスもサイコーでした。衝撃がぐわっと来るけど抜けがいいんだよねえ。青森産のにんにくみたいっつうか。

さっぱりして東の喫茶店にいく。

店主が後頭部をかなり上まで刈り上げていた。時計の短針でいう十時くらいまで。攻め気だな。

噂を二件教えてくれる。

八十田に双子の姉妹が出来たらしいこと。

あとMさんの訃報。

 オーダーを告げた直後、帽子が洒落ている制服を着せられた小学生を連れた夫婦がモーニングに来たのでタバコを我慢してモジモジしてしまった。仕方なく外に出たら軒先の蓮が芽吹いているのを見つけた。一服したのち店に入り直したら夫婦が知り合いなことに気付いた。その息子はかなりでかくなっていたが、登校を渋ってモーニングについてきたらしい。そうだ今日は月曜日だ。

月曜の朝は嫌だ。

みんな帰って近所のおじさんが来たところで辞去。

「なんやインドがやばいらしいなあ」

「緊急事態とか出してないでしょ。出したら餓死してまうやろし」

辞去。木屋町を手放し運転しながら岬神社へ赴く。最近のルーチン。

岬という響きが好きで、万が一娘っ子ができたら岬ちゃんにしたいと常々思っている。岬ちゃん… 現実的ではないですが !

シンプルだけれどじっと字面をみているとゲシュタルト崩壊してくる名前。

 

ダロンド氏の店に来た。

たまに石田あゆみのシティポップ風が流れる。

♪ダンシングベイビー 踊りなさい♪♪♪♪

ダロンド氏は先月染めた鈍い金髪に黒が混じってきていて馴染んでいる。

いやあしかし快晴ですな。

これから豆を焼きに行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周回遅れの日記 

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   五月七日 曇天

 午前九時起床。掛け布団のカバーが盛大に破れて中身がみえている。

 このカバーは確か、まだ大学在学中にロフトで買ったやつ。往時、ようするに二千年代初頭だったかな、まだ勢いのあったムードサイケバンドのシロップみたいなノリの曲がロフトで執拗に流れていたのを覚えている。

~♬あれもこれもそれもこれもロフトでゲット♫♬♫~

 ベースラインが太くてグルービーでかっこよかった。ロフト自体もロフトがロフトであることに矜持を持っていたような時代だ。スカスカなりに様になっていた気がする。ようするに景気がマシだったのか。

 そのロフトで買った布団カバーはうぐいす色のあんこみたいな色だったけれど褪色して厩の干し草みたいな雰囲気になっていて、ところどころ母親のパッチワークが施されている。いかにも貧乏臭いのだけれど、そもそも買ったときからじじむさかった。実家って、ていうかおかんってそういうのちゃんと残しておいてくれてすごい。なんでも取って置いてる。

 布団のことはどうでもいいが、なかなか布団カバーの予算が下りない。それにどうでもいいが何でもいいわけじゃないみたいで、そもそもどこに買いに行けばいいのかわからない。一見手軽そうな無印良品は極力行かないようにしてる。ニトリも同じく。

 布団に限らず生活用品全般が苦手になった。やればできる、というか買える、が誰でもできる。

 なんとなく湖畔のホテルに住んでスルメでも齧って暮らしたい気持ちになっている。

 しかしながら新居はかなり好きです。監獄まではいかないが、なんというか女郎部屋みたいで。つまり、いい具合に狭い。

 雨がいつ降り出してもおかしくないように見えるけれど、こんな日に限ってチャリに乗ろうかなとか思い立つ。かれこれ一週間以上乗ってないような気がして。下手したら二週間か。散歩がけっこうライフワークなのに。

 今のマイマウンテンバイクのサドルのカバーがズタボロになっているんだけれど、出町柳のナミイタアレイの大家さんの息子のお下がりで、なかなか替えが思いつかない。息子の趣味だったであろうサドルカバーのズタボロと等価か、それ以上の何かが見いだせないのだ。特に自分が物持ちがいい、というわけじゃないんですが。

 それはそうとして軽快にチャリにライドン。まだ雨は降っとらん。

 この部屋に越してから余程の遅刻がない限りレコードをかけたまま出る。

 盤が終わったら勝手に針が上がる便利なレコードプレーヤーをジモティでゲットしたのです。五千円払ったけど。呉れたのはせどりで生計を立ててそうな欧米人だったな。

 私は鍵はかけない。鍵アカとかなんのことかわかんない。

 レコード、今日は何かけたっけな。出てすぐはその音の余韻をひきづっていて楽しい、思い出せないけど、まあ帰宅したらわかります。

 そんでもって、この歳になってアホみたいだがチャリの手放し運転にはまっている。

 たいてい木屋町を北上するけど、河原町でやると尚おもろい。市バスが走る後ろを徐行したり迂回したりするのがスリリングなのである。

 これは私の疫病流行後の一年の体幹レーニングの賜もので、気が付いたら九十度のターンもすうと出来る。もちろん車がやみくもに走ってるときはしないけれど、車がやがて確実に来ることも含めて、手軽な集中法、チューニングになる。やめ時も重要。もちろん意識は丹田、あとはテキトー。鼻くそだってほじくって飛ばせます。マスクもグラサンもながら外しができます。Nちゃんのこともあるので事故らないように励行。彼の入院中はこちらの方がむしろ多分、あんまり生活の記憶がない。蟄居。時短やらなんやら休店やらで暇だったのもあるけど困ったもんである。おないのT氏も糖尿病で入院してたし何が起こるかわからん、それに尽きますな。

 いつも通り六角のダロンド氏の店でコーヒーを飲む。

 話にオチが無さすぎる、と言われる。

 まあオチはないな。

 関西人にはウケへんで、とも言われる。

 はい。

 それから久々に月曜日のミカちゃんの喫茶店まで走ってオムライスを食った。

 食った気がしなくてもう一個食ってもよかった。

 カウンターに置いてある高野文子のマンガを走り読みしたが、その主人公もやたらオムライスを食っていた。

 月曜日のミカちゃんにAちゃんの連絡先を教えてもらう。岐阜くんだりで知ったが、なんや知らん間に身重らしい。彼はウナギの寝所に住んでいて、ひとりで雄犬を飼いだしたとか。何かとストーリー性の強い展開で気になりまくる。犬も好きだし。彼は魅せる役者みたいだなあ。

 雨が降ってきたので、竹林の坊主の店へ出向く。雨が似合う場所。京大の正門前あたりにやたら警備員がたくさんいたので構内を通るのをやめ、吉田神社の横を迂回して走った。

 竹林の坊主は、酒のボトルが一掃されたカウンターでコーヒー豆をピッキングしていた。近況を尋ねると、

「なんで前からしてへんかったんかゆうくらい快適やわあ。朝起きてな、朝ごはん食べて、昼ごはん食べて、夕ごはん食べて、それで九時にお風呂入るようにしてんねん」

 そういうのは、とてもいいなあ。

「それで朝に京大のベンチで三十分くらい本読んでんねん。人がおらんええポイントがあってな。日も当たってええ感じやねん。それからうなされることなくなったわ」

「うなされてたん」

「うなされんで」

「夢」

「妄想とか気がついたら永遠にしてるしなあ」

「差し障りのない範囲で聞いていい、内容」

「なんかお隣のおばさんに会いたないなあ、とか」

「そんなんやったらいくらでもするわ。それ妄想に入んの?

僕、朝起きたばっかりとかに、ひとりで架空の誰かといちゃついてんで」

「わかるわあ。布団抱きしめてたりするなあ」

「せやけど自分がその対象になってるとこはまじで想像つかん」

「私もそれはないやろなあ。こんなんやし、そこはまあその人の自由やろ。ひとりよがりでええねん」

「そうかあ」

とかなんとか身も蓋もない会話を楽しんだ後、彼が猫のエサをボウルに入れてるのをみて、高瀬川の商店のネコの餌やりを頼まれていたことを思い出した。予定の時間から四時間ほど過ぎている。

「いやあ、ぼけっとしとったわ」

「雨やしちゃう?」

 そう言われてみればそうかも。

 それでチャリを置きぱなし、市バスに乗ってきたわけだが、いいか悪いかは別としてなんかオチのない夢みたいだな。

 二千年前後にやっていたと聞いている「羅針盤」というバンドの「リフレイン」もしくは「アドレナリンドライブ」という歌が二十歳くらいから大好きで、その終盤の歌詞♪ どこからどこまでが夢なのかとうにわからなくなってる 誰もがほんとうは夢なんか一度もみたことがないのかもしれない♪が、たまに頭を去来する。だいたい雨降りでまばらに空いた市バスに乗ってる時かな。それかチャリ手放し運転中。

 ネコは近所でのバイトを抜け出して来ていたMちゃんに抱かれて丸くなっていた。かなり憔悴してるみたいで顔を近づけても目の焦点がなかなか合わなかった。

 どうも、なんとか禍の折で商店が閉まってる間、外へ出てお隣のクリーニング屋の猫捕りに捕まってしまったらしい。網づくりの窮屈そうなやつ。

 なんかあっし、旅行とか楽しんでて申し訳ないかんじ、すまんな、仕方ないが、不憫だ。

 で、Mちゃんが帰ってから、この日記を猫の隣で書いとるわけですが、ちょぼ穴、少しく生気が出てきたかな。

 午後六時半。いつのまにか生活の中に猫がいて、猫の生活に自分も、もしかしたら少しばかり欠かせなくなっていて、なんだか、よく考えたらすんごい不思議。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

haiku again

高瀬川沿いの八重桜がまばらに残ってるくらいになって少しマシ、気分が。安定が近くなってきてる気がする。

文章は書けないけど、丹田はたまにしごいている。風呂、サウナで濡れタオルごしに、または散歩中に風をなで切りながらしこたま吸い込む。

普段はふらふら、100ローの半額の焼き芋にも飽きて、バナナにも半分飽きている。サイケなレコードもとりあえず売って飲み代にした。サイケ離れも歳のせいか、単調な音が好ましくなり、80年代ニューウェーブ、ポストパンク寄りの気分…

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序盤であっさり集中力の切れた上記を残したのがどれくらい前だったっけな。

今年の桜は比較的早くに散って…

というのも年ごとに参考のために見返す桜花賞の映像には、どれがどうかまでは覚えていないけれど爛漫の桜のアップが印象的に映されるレース前のファンファーレ場面があって、つまりだいたい仁川の桜が満開の縁起に開かれる競争なので開催者の思惑通りに季節が進めばすなわち爛漫、うら若き乙女の祭典だとかその手の大仰なコピーが馬たちに擦りつけられたりするけど確かに馬も花も人も命は儚い。とくにしなやかで美しいと思えるそれに対してはそう。

涙は出ないがドライでもない。三十路も半ばに至りますと何だか次第にそんな感じです。

そうそう、そだし、今年は今年で桜花賞、緊急事態宣言みたいのが再決定なされたのが確か4月25日。皐月賞のときは七条の立ち飲み屋でワイファイを借りてラジコで5分くらい遅れた中継を生、半生で聴きながら飲んだので25日よりは前だった。そのちょうど一週前だからだいたい十五夜前後かな。

桜はすでにたいてい散っていて、高瀬川の沿道の八重桜がしぶとく残っててっていうのが、そんな感じの時なんで20日くらいは前か。

まわりくどく思い返して鯉のぼり、

今日は子供の日です。

あと、東さんという先輩の誕生日ですね。

さっきまで僕は能口と岐阜にいました。

能口とは五月一日に名古屋の金山で一年以上ぶりに再会したんですけどそこから都合まるまる四日間連れ歩きさしてもらいまして。お互い空いてて一緒におるときはだいたいそんな感じで、なつかしがろうが面倒だろうが準備体操もなく思い出す暇もなくとりあえずつるむ。

双方、予定というのを極力設けない体質ていうか、そこが合うのか、やもすれば東海道中膝栗毛、伊勢まで参ってしまいそうな勢いだったけど急遽の雨であえなく解散。これはこれでよかったな。いい風呂ばっかり毎晩入って寝酒して破産してまうわ。

そもそもの目的はライブを見に行くことだっただけに目的はほぼ完全に煙に巻かれてしまった。

まあそのうち思い出すでしょう。

帰り際に彼から出来立てのジンを買い、半生の文章に触れてたら少しばかり書きたくなって、けれどそれは誰に対して?

自分に対してははっきりもういいな。そもそも僕が理想とするような文章はここにはない。創造性?ないないない。

オマージュ?されても困るよね。

時間潰しだったらどちらかというと琵琶湖のまわりを眺めたいし。

強いて言う反応みたいなものですか。

さればこそ電車のソフアの背を眺め。

草津あたり乗り合い客がどつと増え。

山科にともだちおつたかおらんかな。

傘を買う余裕はないがいかなくちや。

昨日見し川の名前ももう忘れ。

頃合いに飽きてパチンコ鵜飼かな。

鵜飼すら鐘を鳴らして補償金。

鵜だけなら伏見の川でいつか見た。

つきかけた昨日晩見た月隠れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

節分/ラテン

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 サテンに来るのは二回目だけれど、今回は特に何気なく立ち寄った。最初は仏という人物に勧められて、ちょっと前に来た。

 宮川町と給付金の話を女給さんに掛けている老婆を横切りボックス席の一つを陣取り、どこの茶店においてもそうだがスポーツ紙を手に取り競馬面を開いた。

 青白い光の中、ショーケースで石膏の調度品が存在を主張しているのか、させられているのか、それよりショーケースの外の端の裸体像、銅だろうか、ゴルフしているスウィング中のそれが特に気になる。

 んなわけがないシチェーションが満点にも思える。

 とにかく、今年は例年より節分が一日早いとかでだからといって何が変わるわけでもないかもしれないが、私自身、世紀の肩透かしみたいな休暇をもたらされていて昼下がりの空もいやに好天でこざっぱりはしている。どことなく胡散臭い平和を感じながら惰眠を貪っている所もある。

 ときに栗ちゃんはけっこう神経質だったみたいで、間近で見やると目の下の細かく堆積した皺が古物屋の奥の真鍮の舶来品みたいに、凝縮された時間のなかの苦節を物語っているというか、一応まだ若いそうだが、だからといって辛気臭い類いの印象では全然ない。

 ファニーというか、ファニーみたいな感覚は達者で素早い感受の置き換えによってもたらされる一種の技のような気がして、ファニーを知った気になった気がしたけど、多分栗ちゃんはファニーだ。 

 陽気というのとはまた違う。一時間や二時間、ささいな物音や何かでしばしば睡眠を中断され、夢はほとんど観ないという性質もいたってファニーに表現しているというか、朝の出迎えはとてもうれしい。

 鍵を開ける前からにゃあにゃあ鳴いていて、ただこちらにエサを要求しているだけにしても、生きているだけでかなりうれしい。

 サボっているつもりはないけど、丸椅子に座りストーブに当たっていると前掛けの上にそろそろと乗ってきて、落ち着きどころを丸まりながら感覚的に探している。

 添えた腕に両の手を添え置くのが最近の落ち着きどころらしくて、置きどころの右手を動かすと少し落ち着かないらしいからなるたけ動かさないようにするしかない。

 椅子から立たなければいけないタイミングなんてそんなにないけど、いずれ立つ、立つときはいつもそれなりに切ない。

 あったかいので。

 サテンで灰皿を求めると、給仕は少し躊躇して、こちらに、八日から全席禁煙になる旨を伝えた。

 僕は確かそのとき、最近ではたまにしか吸わないハイライトを吸おうとしていて、無論吸ったけど手前勝手に辛気臭いな、落ち着きどころではないな、と思ってしまったので三度目が訪れることはないかもしれない。

 そもそも元から素敵な所だし、ネルで淹れて煮やかしたコーヒーはかなり好みなんだけど、一回目に来たときも、ここでは落ち着いてなど居なかったことを思い出したりしたので。

 味なんかは、何かの折にふと、思い出せることかもしれないし。

新居その1

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引っ越しして二週間が経った。

思えば京都に来てから幾多の引っ越しをしている。

最初は北野白梅町

すぐさま川端丸太町に移り、落ちつく間もなく七本松二条で姉と同居、嫌になって太秦近くにしけこみ(そこで闇おでん屋を始めた)、次は北白川かしら、落ち着く間もなく謎の気勢(恋みたいな…)を帯びながら関東に突入し、藤沢に転がり込んだものの直ぐいたたまれなくなり、なんていうとこだったっけな京急沿線の横須賀手前、漁村みたいな鈍行停車駅から徒歩十分坂の上のシェアハウスに世話になったこともある。金沢八景の近くだったな。

そこはたまたま住人の4人に3人が北海道出身で、たまたまながら不思議な気分になったもの。そこからバレンタイン特需のクロネコヤマトの仕分けに鶴見あたりまで通ったけど二日で嫌になって東京にジェネリック睡眠薬の治験に行った。出所したのち直ぐさぼうるに出向きキツいヤニを決めてお茶の水、得た金で衝動買いしたマーチンのトラベルギターは現在おおよそ多分、野口の家にあるかあるいは捨てられているか、している。

特に楽器にはけっこう悪いことをしている。

雑な扱いは言うまでもなく、弦は代えず拭くことも滅多にしない。すぐ出先に置き忘れるし、思い出した頃には取り返しのつかない状況にいる。ネックはテンションでじわじわ反り続け、たまに弾いても数分のテロテロで終了、いかにも可哀想だった。

そんな付き合いはもう辞めたいので楽器を持つ時は慎重になろうと決めたけれど、都度なんとなしに新しい楽器は欲しくなるし、次いでほったらかしにしたそれを思い出してソラで撫でたりもできなくはないです。

触感というか、やはり実際に手で、あるいは腕で、時にお腹で抱え込んだりしていたものなので。

 

スカスカ夢日記4

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とあるレコーディングスタジオ。

地下です。薄暗くて風通しは悪いけど調度品はなかなか豊かで、皮の三人がけのなめし革のソファーは家主いわく70万したらしい。いったん腰掛けたらついつい横になって結局寝てしまう。エンジ色の柄もの絨毯がしきつめてあって、照明はシャンデリア。熊の置物もあるし、日本人形も置いてある。食器棚は鈍いバーガンディ色のカリモク製だ。

いつものメンバーがくだけた録音作業をしていて気の置けない、というか惰性だな、金のかからない時間潰し、維持費のことは家主が地上で済ましている。一階はカルト宗教じみたコミュニティカフェだ。毎日だれかしら、座敷で近隣の主婦が主婦に手製のお守りとかクッキーとか売ってて、家主の鹿肉のカレーとかフェアトレードのコーヒーとか(原価はたかが知れている。ジビエはいただきものだし)それなりに高く値付けされた逸品をちんたら飲み食いしながら共感の輪みたいのを拡げている。

ちょっと前よく風の通るその一階のカフェの座敷スペースで死んだミュージシャンの奥さんが死んだミュージシャンの旦那の曲を息子の伴奏と一緒に歌う、という催しをみた。

決して便のいい場所ではなくて、市街からのバスは平日一時間半に一本、ダムのある山の谷あいの国道沿い、最寄の停留所は辰の落とし子弁財天。名物の「やわらぎ水」目当ての参詣客はちらほら見受けられるけど、せいぜい週末に2、30人とかちゃいますかね。

その催しのたけなわ、夜の八時くらいかな。地下でカーペットにコロコロクリーナーをかけていた僕は平常通りの気怠さをもって冷やかしに、たまには上を覗いてみようかなと思いたってそろそろ階段を登りまして厨房というか台所を通っていたら家主家族のプライベートな居間の引き戸の隙間から斑の飼い猫と目が合った。

猫はファックス台の上にましまし、こちらに向けギャッという威圧感を放って尻尾を逆立て、僕は毎度のようにゾッとなった。三年くらいは借り手として世話になっているけど猫には余所者と思われ続けている。なんとなしに直感できる、彼女の敵意はこれから先も失くならないだろう。

それはそれでインドの琵琶の爪弾き音がてろてろ響いてきた。

張り詰めているかんじはないけど、静聴ありがとうございますって雰囲気。そんな誰もおれへんやろ思いながら腰をかがめて障子戸をあけたら曲に合わせて20代から50代くらいの生成りのワンピースをきた女たちがぞろぞろ、ハワイアンダンスみたいなのを皆が皆、それぞれの恍惚を表しながら踊っていてついつい、思わずゾッとしてしまった…

谷あいの辺鄙なお店でぞろぞろ…

そんな胡散臭さを通奏低音みたいに感じながら俺は今日も現状維持。

すでにベロベロの先輩のシャオさんがボコーダーシンセでミョ〜ンとした音に執着している時、僕はミョ〜ンに心なし同調しながら背筋を伸ばしてグラスを拭いている。テーブルの上の吊り下げ照明がゆらゆらしていて、時折光色が淡い紫に見えたり見えなかったり気のせいかなとか思ったり。

今日はかなり有名な地元のロックバンドの生収録、生配信、生演奏が控えていてちょっとそわそわしてます。先方、この不景気で気でも迷ったんだろうか。そういえば十数年前くらいに紫野のどよんとしたカフェでシークレットライブしてたな。あそこの店主最近亡くなったらしい…

唐突に、なんだか剽軽な表情をした折坂くんがやってきた。やけにヘラヘラしている。

そんな感じの時もあるんや、なんか変だなと夙と思ったけどそこは時の人、僕もけっこう調子のいい人間なので、お酒を要求されたら下手はこけない。

めっけもんの年代物のホワイトホース12年を開封することにしたんだけど、小気味いい音は出ず、コルクがぼろぼろと崩れて酒に入ってしまった。

先輩は相変わらずミョ〜ンと音を出している。

茶こしで濾してコハクイロの街♪♪

今日はペースが早いですね、いつものペース知らないんですけど、

「そうっすか?どうなんですかね」

「あ、なんとなく」

「ところでヨンニャムチキンあります?」

はてな

よんにゃむ?

いつの間にかボコーダーの音が破裂音になっている。

行きます!

と折坂さんは財布から(たぶん)韓国の紙幣を渡してきた。

私は寸、あっけにとられたが、そこはトンチかもしれんと意識を切り替え、先方の顔を正面から見定めたが、ことさらにへらへらしていてピエロみたいだ。

くるりと振り返ると、一応はガラス張りの収録室で今日の主賓がガットギターを弾きながら歌っている。

上から下へのストロークがベベベベベベン、ひとつひとつの弦をしらみを潰すみたく押し鳴らしていて、少しばかりこちらに音の質感が漏れてきたくらい。

大御所感ってやつか。

なんとなしに感心している自分がいるなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特異日

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 昨日はタバコ屋のイベントがあるので気のいい仕事先の同僚におねがいしてシフトを替わってもらった。

 半年くらい、何がなくとも早起きする、という扶を自分に課していたし、それに慣れていたつもり、睡眠四時間半でイケます!など周りに吹聴していたけど、春樹さん風にいって泥のように眠る他なかった。

 アウトオブリズムは些細なことから始まる。

 起点を探すとどうしても前世をひょいと通り越えてキリがないのでなるべく最近、、

 朝一番の白湯とキウイを粗雑に食うようになってきた。

 そのあとの朝風呂で股間を石鹸で洗うのを端折った。

 そもそも深夜に帰って親たちの残したごはんを畜生みたいにガツガツ食い過ぎる。

 深夜、畜生みたいに残飯を食い荒らしたあと、追い焚きした風呂に浸かる前に一寸ふとんに転がろうと身を横たえたら上着着たままそのまま寝ちゃう。

 睡眠時、消化にエネルギーを使い過ぎるのか、ちんたら寝ちゃう。

 睡眠時、足がつる。

 睡眠時、スカスカな夢しかみない。

 朝一番の白湯とキウイを粗雑に食うようになってくる。

 やっぱり些細なことほど、ぱちぱちパンチみたいな渾身のギャグみたいに敬虔に取り組まないとあかん。

 救いとギャグは人に求めたらいけん。

 有史いらい古今東西偉人変人全部おのれが厄災なのでした。

 ハードリラックスを基盤にしたマイペースを維持することの難しさ…

 とはいえなぜ自分のとんちきには慣れっこの自分が、たかだか一日遅起きをしたくらいで、へんな自戒に至ったかといいますと、その昨日、滅多に連絡のないNから昼飯の誘いがラインで入っていて、それだけで自分の中では逐一の特異日

 空間でいったら特異点

 料理でいったら給食で忽然現れた、たけのこの木の芽あえ(小四か小五の時、一回だけ出てきた)。

 で、ただ単純にめっちゃ嬉しい、ってだけではなんでかしらんけど、ない。

 なんか慮外のことが唐突に起こる予感が退けられない。

 不穏とか凶兆とか後ろ暗いたぐいのコトとも感じられないから、余計ややこしいといえばややこしい。

 経験則によりリスクヘッジをかけ回避という選択肢がないからだ。

 これは客観的にみると、もしかしたら飲み屋で人ごとの恋煩いなどを横耳に聴きながら感じる、あほちゃうか、っていうそれかもしれない。

「好きすぎて辛い!」みたいな。

「某のこと考えすぎてどうしたらいいのかわかんない!」とか、折々あほちゃうか、思うてたけど、、

 リターンですな。

 そんなNをこちらのペースに落とし込もうと、老舗のパスタ屋に誘った。こちらの予定と同線に都合がいいからだ。

 ラインを一報、打ちっぱなしで進む。

 俺はワイファイ乞食。セブンイレブンセブンイレブンを目的のラインに合わせ、一言ボヤいたら夢想無念でしばし歩く。

 正午前の鷹揚な南風が鼻から後頭部にスウぅと抜けていく。

 閑話。

 汚くて心地よい木屋町のジャズバーで雇われバーテンをしているK君は言う。

「まあ、けっきょく丹田やな」

「それ、白隠っていう坊さんも言ってたなあ」

「へえ…知らんけど…

   まあ、でも座禅とか、近いんやろな」

 Kくんは巷では引く手あまたのスーパーマイナージャズドラマーなのだけれど、師事してるドラマーが丹田を意識してドラムを叩く人らしく、それもあり丹田のことを普段から意識しまくっているようです。

 かくいう自分も疎開以降、呼吸を意識しまくってちんたらしていたら段階的に、意識が自然と丹田に行きつかざるを得ず、もしかしたらこれは…

という確信を得、そわそわぼちそわかしていたわけで、なんというかシンクロニシティ

 しかもシンクロ対象が普段下ネタしか言わないスーパーマイナーヒモジャズドラマーのKくんということもあり、なんだか嬉しい。

 下ネタしか言わないがKくんの姿勢はいつからか素晴らしい。

 アゴが後ろ斜めの上空からスウとヒモで引っ張られてるみたい。

 半笑いでもベロベロでもぎりぎりのラインで毅然としており、時折思い出したように肩を緩慢にぐにゃぐにゃ回して(おそらくや)背骨の座りを調整している。

 そんなんでいながら、

「こんぶくん、オナホール使ったことある?

 あれ、めっちゃええで」

とか、そんな話ばかりする。

「騙された思って、まじでいっかい試した方がええで…」

 何事でも一回、試してみるの大事だよね。

「せやけど温めたこんにゃくでもいけるらしいな」

等々、日々伝え諭してくれるKくんを僕は尊重している。常軌を逸しているくらい尊重しているし、歩きながら彼のことを思い出すと、つい吹き出し笑いをしてしまう。

 姿勢のいいアホは最高だ。

 場所を選ばず、どんなときも、フトよぎれば即笑える。

 休題。

 川端丸太町上がるのセブンイレブンでワイファイを拾うとオンタイム15分前にNからのラインメッセージが届いていた。

〈最近小麦あかんねん〉

 私は半笑いで動転した。

 相変わらずシンプルにややこしい奴やな。

 ややこしいけど、嫌な気分じゃないのが謎だ。

 たちの悪い話、相手が異性だったら一発でレッドカード、無視して一人で汚いジャズバーに向かっただろう。

 けっきょくNのペースにあっけなく呑まれている。

 こういう時、たいていあとから気付くのだけれど、相手を勝手に尊重して普段寄り付かないようなオシャンな店に行くと最終ロクなことにならない。

 実際、Nを誘い待ち合わせた御所南の小さい蕎麦屋の蕎麦は美味しかったし、Nにも会えたし、清々しいような気分にはなった。

 Nは少しくメニューを悩み、けっきょく薬味がぜんぜんのってない潔よさそうなかけそばを頼み、私はぐいのみ酒とざるそばを頼んで、たまにはこういうのもありかもね、分かりやすいイナセなムードっていうか。

「最近、酵素玄米しか食ってないんやんか」

と、Nはいった。

「で、調子ええの?」

「まあ、ええな。

 ただ、たまにええかなって思って違うもん食ったら、やっぱなんか調子悪なんねんな。うすうすそんな予感はしてたんやけど」

「そばなら大丈夫やろ。せやけど徐々にジャンクを取り入れんと隠者になるしかなくなってまうで」

「せやなあ…」

と、薬味のまったく入っていないイナセ風なかけそばを意味ありげに食うN。

 おそらく、ここらへんからマイペースが狂い、Nの関心を惹こうと久々の市役所よこの古本レコード屋に連れて行ったら、どうも、レコードをジャケ買いしてまうことには、たばこ屋のイベントで邪念しかないかけ回しをしてしまって、その日の晩、店主の顰蹙を買った。

 客は仕事前のKくんしか来ないし、誘っていたNもやはりというかなんというか、

「なんかめっちゃ眠いわ…

 やっぱりソバがあかんかったかな…」

ていう文面をよこし、その夜再会することはなかった。

 それからまた改めなおしてっつうか、そっちはどうだい?うまくやってんの?こっちはそんなんどうにもならんよ、邪念と丹田行つ戻りつですわ…